1部1章 夜。寝静まった頃、作戦会議

 たった今、日付が変わった。

 だからといって、町のそこかしこで起きていることで、急に大きく変わることはない。

 ほとんどの子どもたちは寝入っていて、とくにやることもない大人たちも朝仕事に備えて夢の中へと旅立っている。路地裏では、野良猫たちも丸まって、心地よさそうだ。

 町のほとんどは寝静まっている。

 そんな中、一カ所だけ、活気に満ちた場所があった。


 町に一つだけあるギルドでは、今、二十人の大人たちが会議をおこなっている。

 町長を始めとした行政に携わる者たち。

 町の経済や近隣の人流や商品の動向に詳しい商人たち。

 そして、町の防衛を担っている守備隊たち。

 ここ《コテキ》の根幹となる仕事に従事している大人たちは、この辺りで最も大きな規模を誇る都市リーリエッタから配給されている電力で光る電灯の下、大きなテーブルに広げられた地図を囲み、言葉を飛ばし合っていた。

 一同、険しい顔つきをしている。この町で唯一、このギルドのみ配給されている電力だが、それも無尽蔵ではない。というか、国から定められた電力以上を使ってしまえば、この町が……町民が納めるべき税金が跳ね上がるため、慎重に使わなければならない。そんなことは、大人たちなら誰しもが理解している。それなのに、こうして電球を灯し、町周辺の地図を睨んでいることもあって、緊張感は高まっている。これがもしも、蝋燭に火を灯している中だったら、いつもの日常と思ってしまって気が緩む人もいたかもしれない。


「グレンさん。改めて確認させてください。アナタの得た情報の信頼性は?」

 議題に対して各々が好き勝手に口を開いていた中、不意に空白が生まれたのを逃さず、町長のホシュレ=ソーマが言葉を発した。

 カノジョは改めて確認したかったのだ、事の重大さを。


 今回の集会を開くように働きかけた張本人であるグレン=ロットマンは、背凭れに預けていた上体を前のめりにし、テーブル上の地図の一カ所をトンと右手人差し指で叩いた。

「ワシがボケてきておると、お前たちは思うわけか? ん?」

 トン、トンと続けて指で同じ個所を叩きながら、グレンは鋭い目でホシュレを睨んだ。

 びくっと、カノジョは身を竦ませる。

 町長であるカノジョのほうがこの町での立場は上だ。しかし、いち商人でしかないとはいえ、グレンほどの場数を踏んではいない。カノジョは自らの経験不足を素直に受け止められる才覚の持ち主だった。

「いえっ、アナタのことは信頼しておりますともっ」


 グレンは続けて、周りにいる者たちもジロリと睨む。

 みんな、まるで子どものように姿勢を正した。

 若かりし頃、この国全土だけでなく他国も他種族も巻き込んで、多くの商店を経営し、複雑な金銭や商品の流れを支配し莫大な利益を得ていた大商人に逆らえる者など、ここにはいない。

 なぜならば、この町の今の発展は、今の便利さは、この大商人が築いてくれたものだから。

 莫大な私財を、公共のためにと、寄付に近い形で投じることによって。


「ワシが懇意にしている情報屋だ。つまり、ワシはその情報を信頼しているということ」

「では、イツミ川で人が惨殺されているというのは、本当なのですね」

「ワシはそう思っている。だからこうしてお前たちを集めたのだから」

「そして、それをおこなったのが――」


 この町の傍を流れている《イツミ川》で、ここ一週間、連続で人が殺されている。

 人が死ぬことは、何も珍しいことではない。国土には無数の野生生物がいるのだから。町の近隣の森でも平野でも、人を捕食する獣や蟲は確認されている。死は珍しくもない。

 しかしそれは、獣や蟲の場合は、だ。


「――魔族かもしれない、のですね?」

 魔族という言葉の重みが、場の空気そのものを重苦しいものに変えた。

「ああ。発見された死体は、どれも、獣や蟲がやるようなものではなかったようだ。詳しい殺され方までは、聞かされなかったがな」

 人は死ぬ。

 それは日常だ。

 しかし、魔族に殺されたのであれば、話は変わってくる。


 魔族は、非日常なのだから。


「でもよぉ、魔族の姿そのものは目撃されてねぇんだろ?」

 守備隊士の一人、ニア=マークベンチが言葉を挟んだ。

 グレンはその目を見返し、うむと頷いた。

「だったら、獣や蟲って可能性も全然あるんじゃねぇか? いくら、その、死体が惨くてもよぉ」

「ならばお前は、特別に何か備えをしなくてもよい、いつも通りで構わないと言いたいのか?」

「や、それは……」

 がしがしと、ニアがその短い黒紫色の髪を大きな右手で掻く。

 考えが上手くまとまっていないときのクセだと、グレンはよく知っている。


「ふむ。では、仮に魔族でないとして、だとしても、近くで人が殺されている。それもこの辺りで見かけられるような死体とは明確に異なる死体。言われずともわかっていることだと思うが、死体を見ればどういったものが殺したのか、大体わかる。この辺りに生息しているはずの獣や蟲であれば、どう殺すのか、殺された死体がどんな形をしているのか、見当がつくはずだ。ということは、だ。魔族でないにしても、この辺りに、今までこの町の者が対応したことのないような獣や蟲が潜んでいる、ということになる。であれば、いつもと同じ備えのままで、よいのか? どう思う? 備えることはな、何も負債にはならないものだぞ?」

 何も起きなければ、それでいい。

 でも人の多くは、備えることで消費する時間や労力を損だと考えがちだ。

 愚かしい。

 何か起きてしまったときの損害のほうが、備えることによる損よりも、遥かに甚大である場合が大半だというのに。


「まあ、備えたほうがいいって言うのも理解できるよ。守備隊でも人員を割いて調査したっていい。けど、問題が解決するまで川へ行くことを禁止するって言うのは……なぁ」

 ニアの同僚の一人が、すぐ隣にいる同僚に意見を求めた。

「グレンさんに言うようなことではないですが、イツミ川はこの町の商売の、生活の土台になっています。日々、川へ行く町民も多い。それを禁止するというのは、不満が噴出するかと。具体的な理由を説明できれば、まだ、受け入れてくれるかもしれませんが」

「ダメだダメだ。魔族がいるかもしれないから~なんて言ったら、町は騒動になるぞ。大混乱になっちまう」

 別の守備隊士が話に割って入った。

「いや、魔族のことはもちろん言わないが」

「人を殺す獣や蟲がいますって言うのか? そんなの、そこの森にだっているだろ、って受け止められるだけだろ。言う意味があるとは思えない」

「注意喚起という意味では、意味はあるだろう」


 ああだこうだと、また議論が白熱し始める。

 ひとつ息を吐いたホシュレが、諫めるように両手を一回叩いた。


「……グレンさん。こうなったら、アナタが采配していただけませんか?」

「それはダメだ。病や事故などの例外を除いて、順当にいくなら、ワシはお前たちよりも早く死ぬ。お前たちよりもワシが先にこの町から消えるのだ。ならば、この町のことは、若いお前たちが決めていかなければならない。決めていく習慣を、能力をつけていかなければならない。ワシがやることは、情報収集であったり、提案であったり、質疑応答であったり、あくまでも補助。決断は未来の担い手の仕事だ」


 グレンは、日頃の鍛錬や健全な食生活などの成果もあって、今のところ心身に問題を感じていない。とはいえ、もはや老人の部類だ。高齢による綻びも、さすがに近いうち現れるだろう。時間は、人生は、有限なのだから。

 であれば、町のことは可能な限り若者たちに任せるべきだ。

 年の功を活かした手助けはいくらでもするが、何かに対する決定を下すのは常に若い世代でなければならない。

 事あるごとに一つ一つ決定を下すことも、よい未来を築いていくための訓練なのだ。


「……わかりました。では、町長として、決断させていただきます」

 みなの視線が、ホシュレに集まる。

「……念のため、備えはしましょう。まず、川の見回りを、今晩から早速、二人ずつ。朝、昼、夕、夜、夜中で、交代でおこなっていきます。これは主に守備隊のみなさんで」

「……よっしゃ! 備えておいて、何もなければ、笑って酒を飲めばいいんだよな!」

 ニアが分厚い胸の前で、右拳を左掌に打ち付けた。

 ほかの守備隊も頷いて同調する。


「あと、商人のみなさんには、いざというとき、すぐに町民を逃がせるよう、馬車の整備をお願いします。携帯食などの備蓄の確認もしてください。足りなければ、補充を。かかった費用に関しては、あとで請求してください。公金で賄いますので」

 若き商人たちが頷く。

「守備隊のみなさんが今晩から早速始めるなら、ボクたちもすぐに取りかかろう」

「もちろんだ。ワタシは店の干し肉や干し果物の量を調べてくる」

「アタシは早朝、薬品類について動くわ。エネスさん、ミーシャさんにも話を通しておいてくださいね。薬草の種類や量についても調整したいから」

「わかった。妻には朝イチで話しておく」


 前向きな作戦会議の始まりを聞きながら、グレンは口元だけで笑んだ。

 まだまだ未熟だとしても、間違いなく成長はしている。


 この町は大丈夫だ。


 そんな確信を持つことができた。

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