ガーゴイルの殺人

ぎざ

前編 想像

第1話

 ◆◆◆


 あくまでも私の想像を話すに過ぎません。

 それでも良ければ、続きをお話ししましょう。

 あの大きな竜の口の中で、ヒトが死んでいた、事の顛末を。




 ◆◆◆


 ヒストリカの村は大陸の中央都市から馬で行っても40日以上かかる。大魔法ワープや、翼獣による大空移動をしなければ、情報の共有などは決して出来ない辺境だろう。

 作物は村の中で栽培されたものが流通しており、近くを川が流れているので水源も豊富。その村に住む人々も都市部の力を必要としていない。ヒストリカは孤立してはいるが困窮していない。田舎ののどかな村であった。


 しかし、そんな穏やかな村の珍事は、遠く離れた中央都市フィクスに伝わることになった。

 竜がヒトを食い殺した?

 ヒトが竜を退治した?

 噂は噂を呼び、何が真実で何が空想か判別が出来ない。そうした経緯から、その事件の真相を突き止めてみたいと私は考えた。中央都市フィクスの小さな新聞社に務める私、ルメットがその村に出向くことになったのはそういう経緯によるものだった。

 といっても、馬による移動だと往復で季節が変わってしまうし、その間に真実が明るみになってしまって、人々の興味が移ろってしまうかもしれない。大魔法ワープを私一人のために使うには、金銭が足りない。その間を取って、私はこの事件の真相に興味がある人を何人か募って、相乗りでワープで行くことにした。それならワープ代は十分の一に収まる。私の財政に優しい。中央都市に帰るのは7日後にしようと決め、ワープの同乗者と別れを告げた。

 しかし、帰る日を7日後と決めたのは私の早計だったと悔やむことになる。実際に竜とヒトの珍事件があったのは、ヒストリカの村からさらに馬で2日歩いた先にある森の中の滝の付近だと聞いたからだった。

 この事実に気付いたのは1日目の夕方だった。1日目くらいはゆっくり宿を取ろうと思い、宿屋近くの酒場に情報収集だと立ち寄った。地元の家畜のステーキ肉に舌鼓を打ち、村の酒好きに進められ地酒を飲み、気持ちよくなった頃に酔いの醒めるような事実を告げられたのだった。

 滝の付近には旅人小屋があるらしく、そこで最低限の寝泊まりをすることに決めて、翌日私はその小屋を目指して馬を借りて行くことにした。

 辺境の村とは話に聞いてはいたが、私の想像を上回っていた。事実は往々にして記事よりも物語性を帯びていることがある。

 事件の事実を知るためには現地に赴く必要がある。ヒトの話は回り巡ることで精度が欠いていく。一次的な視覚情報が最も純度の高い情報である。私は中央都市フィクスで、私が実際に見て感じたことを記事にしたかった。十分の一ではあるが、私にとっては大枚である往復ワープ代を支払った手前、諦めるには早すぎた。実際にこの目で竜を見ないことにはおめおめと中央都市フィクスには帰ることは出来ない。


 森が茂ると、日の光を遮ることがある。

 樹木は日の光を浴びて成長するはずなのに、日の光を遮断してしまうのだ。よって、森の奥に入っていくと、成長した木々によって、日中なのに闇が生まれる。これは木々が管理され、成長を促すために定期的に伐採されている中央都市では気付くことの出来ないことだった。深い緑と深い碧色の闇には、日の光を必要としない生き物のみが存在を許される秘密の空間のようだった。

 もちろん私は日の光が無いと先を見通すことが出来ない。馬も同じであった。私と馬は森の途中で路頭に迷うことになった。村の住人からすれば、森の中を探索するためには、灯りを準備することは必須過ぎて、わざわざ言う必要の無いことだったのかもしれない。不覚だった。灯りを取りに戻るためには、1日掛けて村に戻り、またこちらに向かわなければならない。私はこのままだと文字通り田舎を散策するだけして、中央都市に帰ることになってしまう。しかし、現実は厳しい。記者としての情報収集能力の低さを目の当たりにしてしまい、ひどく悔しい思いがした。

 このままここに居ても仕方が無い。森の小屋にたどり着かなければ、森の中で野宿することになる。日の光が遮られた闇の中で、野宿なんてとても考えられない。帰り道を間違うと迷うことも考えられる。苦渋の決断で、私は来た道を戻ることにした。

「おや、戻るのですか?」

 ヒトと会うとは思わず、私は「ぎゃっ!!」と叫び声を上げた。

 私の叫び声は反響することもなく、暗い森の中に吸い込まれた。

 私の目の前には丸いメガネを掛けた少年がいた。大きなリュックサックを背負い、装備品は皮のブーツにグローブ。立派な冒険者のそれだった。

 そういえば、ワープの同乗者にこのヒトがいたような気がした。

 えぇと、戻るのですか? と聞かれていたな。

「はい。灯りを忘れてしまって。とてもこれでは先に進めません」

「それなら私の灯りをお貸ししましょう。ルメットさん」

「あなたは……」

「スートといいます。魔物学者をしています。森を歩くのは慣れっこですので、良ければ案内しますよ」

 頼もしい!! 魔物に詳しい学者さんと来ていたのか! 専門家と事件を調べることが出来るのは私にとって渡りに船だった。

「ルメットさん、魔力はありますか?」

「えぇ、多少は。魔法は使えませんが」

「結構です。自分の魔力を最小限与えることで使役できる灯精霊をお貸ししましょう」

 彼の袖から白い綿毛のようなものが現れると、私の方に飛んできた。私の額に触れると、ひときわ強く光り輝いた。

「あなたの魔力を必要以上に吸い取ったりはしません。彼らも私たちと共生するほうが長生きできますからね。では行きましょうか」

 灯精霊が道を照らし、森の中を歩く。

「こういった闇の深い森に住む生物は、光が苦手なので、灯精霊を連れていればこちらに近づいてくるおそれはありません。基本的に草食ですので、食われる心配も無いでしょう」

「ほっ」

 魔物に襲われる心配もゼロでは無かったが、そう言ってもらえると私は安心することが出来た。

「怖い魔物が居ないなら、安心ですね」

「はい。ルメットさんは温厚なヒトみたいですし、魔物のみんなも安心ですね」

「?」

 魔物を恐れさせるのがヒトであるかのような言い方に違和感を覚えた。

「えぇ、そうですよ。ヒトが魔物に襲われるのが怖いと感じるように、魔物だってヒトに襲われるのは怖いと感じます。ルメットさん、あなたは昨晩宿屋で何を召し上がられましたか?」

「えぇと、昨日はステーキを食べました。とても美味しかったです」

「はい。あのステーキはサッグという温厚な牛獣の肉です。中央都市では似たものでウユザッグの肉が流通しています。サッグは草食で、ヒトを襲いません。しかし、ヒトはサッグの肉を食べます。理由は美味しいからです」

「…………う」

「はは。仕方が無いですよね。ヒトは生きるために生物を食べなければなりません。でも、魔物学者である私からすると、魔物だって、ヒトという魔物に襲われている。そう思えて仕方がありません」

 ヒトも魔物たりうる。

 私も魔物を食べているのだから。

 この話を聞いて、私が魔物のステーキを食べるのをやめるかと言われればそんなことはないだろう。

 しかし、その話を実際に聞いて、実際に見た私の記事の内容が、少し物の見え方が変わるような気がした。

「さぁ、あまり魔物を怖がらせないように急ぎましょう。もうすぐです」

 スートさんが案内してくれたおかげで、小屋にあっという間にたどり着くことが出来た。小屋は手入れされており、スートさんは慣れた手つきで荷物を置いてこちらに向き直る。

「さて、早速ですが、見に行きますか? 彼の亡骸を」

「はい。……彼、ですか?」私はとっさに、竜の口の中にいたヒトのことを思った。

「はい、翼竜サンガの亡骸です」

 そこで私はまた、自分の考えの浅さを痛感したのだった。


 ◆◆◆



 端的に言えば、死んだ竜の口の中に死んだヒトが横たえられていた。

 ヒトの顔は胃酸によってただれていて、顔の判別は出来ない。首の後ろまで胃酸は垂れていたようで、首の骨が見えた。衣服は身につけているがボロボロで、そのヒトがどこの誰なのかはわからない。

 普通に考えれば、竜によってそのヒトが殺されてしまったという結論になるかもしれない。しかし、それは

 なぜなら、竜の首から下が消滅しているからだ。

 大きく開かれた竜の口は、首から下が存在しない。首の鱗と鱗の間に見える皮膚がちりぢりになってちぎれてしまっていた。

 竜の頭の大きさは、ヒト3人が縦に連なったくらいの高さだろうか。実際に測ったわけではないが、大きい。記事で見たことがあるウユザッグとはとても比べものにならないほどの大きさ。頭だけでこの大きさならば、身体はどのぐらいの大きさだったのだろう。

 さて、では先に死んだのはどちらだったのだろうか。

 ヒト3人ほどの大きさの竜の首を断つ。そんなもの、中央都市の王国騎士団の中に、それができる騎士が存在するだろうか。ウユザッグのような脂肪の蓄えられた柔らかい肉ではない。固い鱗で覆われた竜の皮膚は、そう簡単に傷を付けることは出来ない。首元に逆さについた鱗は私の顔よりも大きい。これが逆さ鱗の『逆鱗』という代物か。竜の弱点であると伝え聞いている。しかし、その鱗でさえも、朽ちずに残っている。

 この大きい竜の首を断ったのが、口の中に横たわっていたヒトだったのなら、そのヒトの顔を焼いたのは竜では無い。

 ヒトの顔を胃酸で焼いたのが竜だったのなら、竜は首だけの状態で胃酸を出したことになる。

 もう、はちゃめちゃだ。

 事実は記事よりも物語りめいている。この事をそのまま記事に書いても、中央都市で信じられることは無いだろう。

 面白い絵空事フィクションだ、と。

 それで結局、犯人は誰なんだい? と。


 私は目の前に横たわっている事実に圧倒され、何もできないでいた。

「ルメットさん」

「はい」

「彼を、どう思いますか?」

「どうって言われても……」

 何も考えられない。何が本当で何が空想なのか、何も考えられなかった。

「彼は私の旧友です。そんな彼の死が謎を呼び、興味を呼び、彼の亡骸が面白半分に晒される。そんな日を今日で終わりにしたいと考えています」

「はぁ」

「ですので、この事件のことを、記事にしていただけませんか? 謎が解き明かされれば、人々の興味は薄れます。彼もここで静かに眠ることが出来ると思うんです」

「そうしたいのはやまやまなんですが、私にはこの事件の真実が何にも分からないんです。竜を殺したのはヒトなのか。ヒトを殺したのが竜なのか。どちらが先だとしても矛盾が生じてしまうように思えます」

「はい。ですから、これはあくまでも私の想像を話しているに過ぎません。それでも良ければ、続きをお話ししましょう。あの大きな竜の口の中で、ヒトが死んでいた。事の顛末を。竜を殺しうる存在を」


 私は、その言葉の続きを待つことにした。



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