宮崎空港もかつて特攻基地でした。挺身が本格的に神格化されたのは日露戦争の肉弾三勇士(陸軍久留米基地の工兵隊です)あたりからですが、新聞・映画・歌・もちろん小説でも賛美の嵐だったようです。
時代の狂気だったのだ、と離れたところから冷めた目で見るのは簡単ですが、刷り込まれたものを上書きするのは恐らく容易なことではなかったはずですよね…何が必要だったのか、自分が思うのは正しい情報と教育かなあ…何が大切か、大切なものを守るためにどうするべきか、あの頃の若い人たちはそんな選択肢が限られ過ぎていたのでしょうね…それでも「生きてさえいれば」。偉そうなこと言ってますが、九大病院でも捕虜の方の解剖が現実に行われていたのです…
限られた時間でこのお題を選ばれた祐里様には頭が下がります、とっさに浮かび上がるほど想いが刻まれていたという事なのでしょうから。素晴らしい小説、ありがとうございました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
宮崎空港……、そうでしたか。
私にはこういう知識もないので、勉強になります。
祖父は洋裁ができる人だったので(軍服を作る工場などに勤めることになるかもしれないので)徴兵されなかったそうなのですが、当時のことはあまり話してくれませんでした。
私は「戦争を知らない子供たち」と言われるのが嫌いでした。
知らないものは知らないんだから仕方ないじゃんって思ってました。
ただ、教育ではかなり戦争はよくないと教わりましたね。
おっしゃるとおり、正しい情報と教育は必要だと思います。
九大病院、そうでしょうね、そういうことがあったでしょうね。
ちょっと言葉にするのが難しいのですが、諏訪野さんのコメントを借りれば、一口に「捕虜の解剖をしていた」「そうでしょうね」と言ってしまえる世の中だからこそ、記録に残しておかないといけないことなのかもしれないと、思っていました。
売春島よりは歴史としても文学としても芸術としても残っている事物が多いだろうけど、忘れてはいけないことのうちの一つかな、と。
頭が下がるなんて、滅相もないです。
偉そうに言っていますが、普段は戦争モノ絶対読まないし見ないんです……
だって悲しいじゃないですか(´;ω;`)
すぐ登場人物を死なせる私が言うのも何ですが……
とっさに浮かび上がったのはXのおかげだったりします。
のちほど近況ノートに詳しく書こうと思います。
数々のお褒めのお言葉をいただけて、とても光栄に思います。
ありがとうございました。
彼らの挺身は、大局で見れば尊いものだったのかもしれません。
でも、愛するものを残して逝く君を
親よりも、先立つ不幸者の君を
私は、どうしても褒めることができません──
いつか冥土で再会することがあるのなら
せめて、改めて親に叱られてやってください
そして、愚かな大衆であった私たちに、
訓告を与えて下さい
咲いても実を結ぶことのない花として、散らせてしまった、時代の流れに
仕方のないことだったと、思わずに
真っ直ぐに……向き合えるように
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうですよね。
書いておいて何ですが、私も同じです。
褒めるなんてしたくありません。
しかし当時は、特攻隊員は2階級昇進したりなど
誉として散っていったんですよね。
時代の大きな潮流に飲まれる……恐怖でしかありません。
いつの時代も悲劇は起こり得るので、自戒しないといけないなと思います。
心に響くコメントをいただけて幸せです。
この作品に真剣に向き合ってくださって、本当にありがとうございました。
編集済
戦争ってやだなぁ…。本当に神がいたら人を戦わせないはずなのに神風ってちゃんちゃらおかしいですよね。平和であれ世界。
何万人が死亡とか人は数字だけを見がちですが、何万人の人生があって物語があったんだよなぁ…。悲しい。
儚いお話でした。書いていただき感謝します。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
平和というのは尊いものです。
現代ではそういうことを心に刻んでおかないと、忘れそうになってしまいます。
お読みくださいましてありがとうございました。