ある女の狂騒曲

噫 透涙

人生

雨音で目が覚めた。

水木しと。23歳ニート。

友達も彼氏もいない。日々をただSNSを見ることで過ごしている。

仕事を辞めてから、交流関係は消滅した。

新卒で入った会社で既婚男性と付き合い、露見して社会を追われた。

そもそも恋愛経験のない、しとが色男の誘惑に騙されないわけがなく、ただ性処理の道具にされ、一方的に別れを切り出された。

相手の男は謹慎処分で済んだ。会社ではかなりの地位で、ポストを埋める人員がいなかったのだ。

悔しい。本気で好きだったのに。

妻と別れるとも言っていたのに、妻とは上手くいっていないと零していたのに。

こどものことを考えると、そうはできないと言って。しとを切った。

夜も眠れなくなり、睡眠薬を飲んで寝る。

朝目覚めてもすっきりしないし、何もおもしろいことはない。

虚無だ。

死んでしまいたい。

だけど痛いのも苦しいのも嫌だ。生きてるのも死ぬのも怖い。


ある日、SNSで話しかけられた。

何気ない日常のポストに反応があったのは嬉しかった。

彼はフォローもしてくれて、毎日話すようになった。

仲良くなるにつれて、色んな話をするようになり、近くに住んでいることが発覚。

オフ会をしようということで、店を予約した。

現れた彼は、一見取り柄のなさそうなごく普通の男性だったが、彼と話す時間は楽しく、そのままお付き合いをすることになった。

彼はメーカー勤務で、丁度2LDKの部屋が空いているとのこと。

しとは自室のワンルームを解約して、彼の家に引越した。

そこからは二人の甘い生活が始まる。

もともと、しとは1000人程度のフォロワーがいたが、コンタクトを取ってきたのは彼だけだ。

たまに自撮りを載せていて、いいねももらっていたが、実は隠れファンがいたのか彼の手でほっぺたを挟んだ自撮りを載せると、いつもよりいいねが多かった。

そのうち、匂わせ投稿をするようになり、そしてついに彼との関係を明らかにした。

その頃にはSNSで話すフォロワーもでき、毎日が充実していた。


一年が経ち、彼から結婚を切り出された。

SNSに婚姻届けと結婚指輪の写真をポストし、フォロワーに祝ってもらえたり、ファンアートまで描いてもらえた。

その時点でもしとは無職だった。収入があるとすれば、フリーライターとしてブログで広告収入を得ているのみで、生活費の足しになるほどではなかった。

それでも彼は文句も言わず、愛してくれた。

順風満帆だった。

あの日の事件が起こるまでは。

しとは、SNSで出会ったフォロワーたちとオフ会をすることになった。

集まったメンバーで盛り上がり、酒も飲んだ。

その中でも一人、雰囲気の違う男性がいた。

憂いのある目つきをしていて、どこか触れにくい感じ。前髪が長く顔の印象は暗いが、かなり綺麗な顔をしていた。

しとは彼が、仲良くしていた「ハンムラビ包茎」さんだと知った時、あまりのギャップで気持ちが揺らいでしまった。

彼は日頃は明るい下ネタ系のムードメーカーなのだが、オフ会では静かにしている。

気まずいのかと思い、しとが話しかけると、少し笑って、こう言った。

「しとさんに会いに来たんです」

ハンムラビ包茎はしとの耳元で、何かを囁いた。

それからメンバーに先に帰ると伝えた。

しとも夫が心配するからと続いて店を出た。

ハンムラビ包茎は店の外で待っていた。

「瑠璃山さん、旦那さんに大事にされてないでしょ」

「瑠璃山」は、しとのハンドルネームだ。

「なんで分かるんですか?」

ほら、これ。とハンムラビ包茎がしとの愚痴ツイートを見せてきた。

「最近愚痴が多いから。それに、ご飯も一人分しか映ってない」

そうだ。最近夫は仕事が忙しく、すれちがうことが多くなった。

「俺なら、瑠璃山さんのこと、大事にできるよ」

しとの心臓は限界を迎えていた。

顔も普通、年収も普通、身長も高くない、高卒の夫。

綺麗な顔、上場企業に勤めていて、背の高く、某有名大学出身のハンムラビ包茎。

どちらも選べるなら……。

「今夜はカラオケに泊まったって、嘘つきます」

しとは、ハンムラビ包茎に抱き着いた。

彼はしとの腰に腕を回して、夜の街に進んだ。

その一夜は最高だった。何度もハンムラビ包茎の名前を呼んだ。実際のところ、彼は

包茎ではなかった。


翌朝帰ったしとに、夫が鬼の形相で迎えた。

「カラオケに泊まったって言ったよね?既読もついてたし」

夫は黙って、スマホをテーブルに置いた。

オフ会にいたメンバーがホテルに入る瞬間のしとの姿を捉えて、夫にDMを送っていた。

「浮気だよね、これ」

体の熱が引いていく。これは仕方ない。彼の方が誘ったのだから。

「違うよ。脅されたの。じゃないと大変なことになるって」

口から流れ出る嘘は次第に矛盾を生み、取り返しがつかなくなった。

その朝を境に、夫は口を利かなくなった。

ハンムラビ包茎からもブロックされている。

あの夜、あんなにも「かわいい」と言ってくれたのに。

しとはSNSで告知をした。

ハンムラビ包茎の名前は出さず、ただ「脅された」と。

所在が分からないので訴訟もできず、泣き寝入りだと。

フォロワーはしとのポストを信じて、慰めてくれた。

オフ会に参加し、ホテルに入る瞬間のしとを撮影したフォロワーは、何も言わずしとをブロックした。

しとは邪魔者がいなくなり安心した。

だが、今度は夫がしとを邪魔者扱いするようになった。

「この居候」

「稼いでもないくせに」

しとは激高して、夫に罵声を浴びせた。

過去に受けた暴行のフラッシュバックがあるから、働けないのだと主張した。

実際親はシングルマザーで、養育費をパチンコや愛人につぎ込み、しとを束縛していた。今でも母親とはたまに連絡を取るが、帰る場所はない。

ついに夫から離婚を切り出された。

しとは即入居可のワンルームを契約し、引越した。

離婚届を出して、夫をSNSでもブロックした。

しとは夫からプレゼントされていたブランドものの製品を売って、生活した。

趣味で始めた活動で、三か月も経たずに彼氏ができ、彼の家に引越した。

それでも、ハンムラビ包茎のことが忘れられなかった。

あんなに女の子扱いしてくれたのは彼だけだった。

今の彼氏に物足りなさを感じながらも、しとは彼氏と同棲している。

結婚の話も出ている。


ある日、ハンムラビ包茎と思わしき男性のアカウントを見つけた。

文体、使う単語に見覚えがあった。

メインアカウントではないアカウントで彼にコンタクトを取った。

すると返事から、ハンムラビ包茎であることが分かった。

彼はハンムラビ包茎のアカウントを消して、「すぽっ茶」というアカウントでポストしているらしい。

彼は会社を辞め、投資で生活しているのだという。

しとは彼と一日中話し、また仲良くなった。

異変を察知した彼氏が、しとに話しかけてきたが、しとは嘘をつき、その場を凌いだ。

その時点では、しとにとっては住む場所とすぽっ茶がいればよかった。

彼氏はしとに結婚を申し出、しとはそれを受け入れた。

が、婚姻届を出した日の夜、すぽっ茶との会話を見られてしまった。

そこには付き合っている男女の会話のような、甘い内容が羅列されていた。

結婚は白紙になり、しとは家から追い出された。

最低限の荷物だけキャリーバッグに詰め、すぽっ茶に連絡をした。

一緒に暮らそうと言ってくれていたのだ。

待ち合わせ場所に着いて三時間。彼は来ない。

確認すると、ブロックされていた。


しとは当分寝る場所を確保して、キャバクラの面接に行った。

結果、その見た目じゃ駄目ということで断られた。

ラウンジの面接にも行った。

しとを見た面接官が渋い顔をして、デリを紹介した。

寮があるらしく、そこで寝泊まりできるとのこと。

もはや行く宛てのない、しとは従った。

体を売って過ごす日々。

いつしかホストにもハマり、シャンパンを入れろと怒鳴られ、ツケで飲み、地方に逃げた。

闇金から金を借り、整形をして、パパ活をして生計を立てた。


数年後、しとは結婚した。

マッチングアプリで知り合った男性と意気投合したのである。

過去の経歴は彼も知らないし、彼の経歴も知らない。

仕事内容も知らない。

それでも、落ち着きたかった。

こどもも生まれ、夫が酒に酔って暴力を振るようになっても、しとはじっとしていた。

こどもは養護施設に預けられ、夫は逮捕され、しとは生活保護で暮らすようになった。


ここに書いてあるのは、しとのごく一部である。

実際しとが誰とどんな話をしたのかは不明。

だが、彼女は自分の人生を歩んだ。

彼女が自ら命を絶つまでは。

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