第24話 仮病

 三十七度五分か……これじゃあ学校行くのは無理そうね。今日は休みなさい」


 私の脇から取り出した体温計を見るや母親の顔がしかめっ面に変わった。

 今日は練習試合の翌日の朝。

 私は自室のベットでうんうん、とうなされていた。

 最近は自分で起きられるようになっていた私だが、今日はいつまでも経っても起きてこない。

 しかたなく、起こしに来たとこベットで大量の汗を掻いて寝ていた私を発見したらしい。私は顔が真っ赤になっていたらしく、随分と心配したらしい。

 まあ、このときはまだ寝ていたので私の意識は全くないのだけど。

 私が覚えているのは母親の慌てた声で目を覚ましたところからだ。


 「ちょっと、大丈夫?」


 朝目覚めると心配そうにこちらを見つめる母親の顔が目の前にあった。

 最初に感じたのは寒気だった。

 夏本番もそろそろという、今の季節では感じることの無い悪寒が私を襲った。

 次にやけに肌に吸い付く服による不快感を感じた。

 これは完全に風邪だな……と寝ぼけた頭でも理解できた。

 昨日の帰り、傘もささずに歩いて帰ってきたのが原因かなあとぼんやりとした頭で考える。

 母親は私に薬を飲ませると仕事に向かった。

 そのため、今家に居るのは私だけだ。今日は私の看病のために仕事休もうとしていたが、断った。

 それほど高熱でもなかったし、わざわざ仕事を休ませるほどではないだろう。

 正直、風邪をひいてラッキーだった。

 今日行ってみんなに顔を合わせるのが嫌だったのに加えて静香とも以前と同じように話せる自信がなかった。

 それからもベットで熱にうなされながらバスケ部について考えているうちに昼になって、いつの間にか夜になっていた。明日も行きたくないなあ。

 いや、もうずっと学校なんて行きたくない……そう思いながら眠りについた。


 「だめ、熱もないんだし今日は学校行きなさい」


 「そこをなんとか……今日だけは、今日だけは行きたくない。この通りですから……」


 翌日の朝、私は自室に起こしに来た母親へ向けて土下座していた。

 幸か不幸か、私の風邪は完璧に治っていた。

 今の状態だったら学校に行っても全く問題ない。

 しかし……まだ行きたくない!

 みんなに会いたくない。

 いつかは会うことになると分かっていても流石に今日はダメだ。

 心の準備ができてない。


 「コホッ、コホッ、急に咳が止まらなくなっt」


 「白々しい演技はやめなさい」


 なんとか理由をつけようと、咳き込んで見たのだが全く効果なし。

 これは無理矢理にも学校に行かされるかも……そんな最悪の予感が脳裏をよぎったとき、「わかった、それだったら今日は学校休んでもいいわ」と、求めていた言葉が母親の口からでた。


 「ほんと⁉ありがと……」


 「その代わり、行きたくない理由を教えてほしいの」


 喜びもつかの間、その言葉で全身が固まった。

 行きたくない理由、そんなこと言えない。

 まさか、部活を一方的に辞めてしまったなんて……いじめについて話すわけにはいかない。

 どうはぐらかそうか?

 一瞬、そう思ったが、こっちを見る母親の顔は真剣で、本気で私のことを考えていてくれているのが分かる。


 「お母さん、涼音が困っているなら力になりたいの」


 母親はきっと心配なのだろう。毎日学校に行っている、娘が急に学校に行きたくないと言い出したことが。

 母親の気持ちを考えると軽い言葉を吐くことは出来ない。

 でも……言えないよ。

 無言の時間が流れる。

 普段聞こえることの無い一階のテレビの音が微かに聞こえた。

 気まずくなって母親の顔から視線をそらす。

 床の木目の数を数えて気を紛らわしていると「わかった」と目の前に立つ母親が言った。

 分かった、何がだろう?

 上を見あげると母親の目の中に横になっている私の姿が写っているのが見えた。

 私と同じ少し茶色がかった目。

 ああ、この人と血が繋がっているんだなと実感する。

 明るい性格で気の強い母親と根暗な私。

 母親は髪も茶色がかっているのに私の髪は真っ黒。

 そんな共通点が少なすぎて普段実感することのない血のつながりをふと感じた。

 母親のようにまっすぐ生きていけたらいいのに。

 そうしたらこんなことで悩む必要もないし、いじめられてもやり返せたかもしれないのに……。


 「涼音がどうしても言いたくないならお母さんはこれ以上聞かないし、無理に行けとは言わない。でも、これだけは覚えておいて。お母さんはいつでも涼音の味方だから、例えどんなことがあってもね」


 それだけ言うと母親は私の部屋から出て行った。

 無理に理由を聞いてこないことに安堵しつつ、ベットに潜り枕に顔を沈める。

 「今日の所は学校に行かなくてもいい」その安堵感もつかの間、もしかしたらもう2度と学校に行く勇気が出ないのではないかとの恐れが体を震わせた。

 それは不味い。

 女手一つで私を育てて中学校から私立に行かせてくれた母親のためにも学校には行かなくてはならない。

 けど、学校に行く勇気は出ない。

 どうすれば、臆病な私の体から勇気は湧いてくるんだろう?

 突然、湧いてくるのだろうか。

 それとも勇気を出すスイッチがどっかに隠れてしまっているだけなのだろうか。

 一体どうしてこんな状態になってしまったんだろう。

 昨日の試合の後から私の胸にはなにか大きな穴が空いてしまっている。

 その穴が原因でバスケ部を辞めるなんて言ってしまった。

 私がチームの役に立てない自分への失望もあった。

 けど、それ以上に私は成長していない自分が許せなかったんだ。

 最後のシュートを打つ瞬間、私は絶対にシュートを決められる感触があった。

 しかし、シュートを外した。なぜか?

 それは辻裏に怯えてしまったから……。

 あいつの声、こちらを見下すような顔を見て体が思うように動かなくなってしまった。

 結局、いつまで経っても過去に怯えつづける自分に失望したのだと思う。

 バスケットをやる限り私は過去を思い出すし、いじめっ子に出くわすかもしれない。

 それが嫌になったんだ、過去を忘れられない自分が。

 あの日々のことを。

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