Novel 1

菊池藍

蜉蝣日記

午前二時過ぎ。

あらゆる場所で出会う度、彼は大抵の人にハシモトと呼ばれている、本名、橋本一希という二十八歳の若い男性がタクシーに乗って夜の道を眺めていた。

 

後部座席、私の隣の席には、先程、街に設置されてある喫煙所でたまたま出会い、彼女から話を掛けられてたまたま意気投合した、同い年のいわゆるモテに属するシオンという女性が静かに座って携帯電話の画面と睨み合っていた。

 

彼女の方から名乗られたのだが、今の段階では、シオンという名前は、仮の名前なのか、それとも本名なのかも分からない。

 

タクシーが夜の首都高道路をもう数時間もの間、ひと休憩もせずに、真っ直ぐな道をひたすら駆け抜けて走り続けている。

しかし、ハシモトとシオンの目からは、車のウィンドウから見える周りのビルが何度も同じような建物ばかりに感じ、尚且つ、後部座席から見える世界は同じ道をずっと走っている感じであった。

まるで、スピードアップを図り、ボタンを押してベルトが早く流れていく、ランニングマシンのようだ。

ランニングマシンは、勿論、設定したスピードに必要な速さでついていかないと、ランニングマシンの外に脱線してしまう。

ハシモトはシオンに対し、自分が設定した一定の速度で頑張ってランニングマシンを走っている人間のようだとまるで壁に向かって一人で喋りかけるように一方的に話かけると、同じところをずっとランニングしているみたいに感じたとシオンはハシモトを数秒見つめて静かな声で囁き、優しく話を返した。

大抵のランニングマシンの電子板は、走った距離、時間、そして消費カロリーが表示されるのが一般的である。

 

突如として、タクシーが左の道端に急停車した。

ハシモトがタクシーの運転手にどうしたのかと尋ねると、運転手席には誰も乗っていなかったのだ。

ハシモトは驚き、慌てふためきそうになったのだが、この場においては、急停車した状況にどうこう考える余地もなく、また、二人は急いでいたので、ハシモトはタクシーの運転手席に潔く乗り、直ぐにアクセルを踏んで運転し、また先程から走っていた道に戻った。

もちろん、ウインカーを右に上げてから、車線に戻ったのだが、後ろからは誰一人と乗せた、何一つとして車の姿はなかった。

道なりに走って行くと、夜の首都高速道路に走っている方向に対して少し西に位置している満月と、車のバックミラーに映るハシモトの顔が、実際のハシモト自身の顔と向きあい、ある不思議な絵本の世界に迷い込んだ感覚を醸し出しているのだ。

 

車内から見える世界には、通常通りのハシモトと通常通りのシオン、そして、車と幾度となく果てもない様に思える位に繋がっている道と、真っ黒に染められた空を背景に満月だけがそこに存在していた。

 

「私たち一体何処まで来たのですか」

「だいたい都心あたりですかね」

後部座席と運転席との会話にしては、お互いに歪さをあまり感じさせない。

このまま都心まで行きますかとシオンが話し出せば、ハシモトの気の優しい性格だと快諾してしまうことであろう。

しかし、実際には何か気が狂ったのか分からないが、ハシモトが自らシオンに来た道を戻ろうかと提案した。

シオンはハシモトの突然の言葉に驚いたが、何一つ文句も付けずにその提案を受け入れた。

加えて、シオンはせっかくなのだから東京タワーと東京スカイツリーだけは見たいと言い出した。きっとシオンは田舎生まれだから摩天楼から見下ろす景色を想像したのだろうとハシモトは、一人で真っ直ぐに向けたハンドルを握りながら物思いに耽っていた。

 

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