夕方五時の幸せへの応援コメント
まほちゃんを心配するあまり精神を病んだママのお話かと思って胸苦しくなりました
公園などで流れる曲帰りの音楽というのですね
その幸せで楽しそうな雰囲気からの落差辛いですね
と思ったのですが他の方のご感想を拝見しますと
またいろんな見方があってなるほどそうかもなど思えてくる作品です
作者からの返信
@rnariboseさん
コメントありがとうございます、嬉しいです!!
これは、わたしの中では、ある結論があるのですが、
みなさんがいろいろな読み方をしてくださり、それをわたしが楽しんでおります。
なるべく、書き過ぎないように、余白を残して書こう
と思っています。
余白の部分をどれだけ残すかが難しいなあって思います。
夕方五時の幸せへの応援コメント
おはようございます。
まほちゃんが誰なのか、どんな存在なのかは秘密なのですね⁉️
まほちゃんは実在するけれど、実の子では無いとか。まほちゃんはもうこの世には居なくて、妄想の世界にだけ存在するのか。
……とても気になって、色々と考えてしまいますね😌
私も最近、小学校の下校の時間、家で待つようになったので(それまではお外で帰宅を待っていました)
こういうシチュエーションはすごくドキドキそわそわします。
タイトルとは、良い意味で内容が違って、とても面白かったです。
作者からの返信
ヒニヨルさん
このお話は解説をやめて、みなさんのコメントをわたしが楽しむことにしています!
わたしはある意図でもって書いたのですが、
でも、書き過ぎず……と書いたら、みなさんが多様な解釈をしてくださって、とても嬉しいです。
きっとそのどれも正解なのです。
子どもが帰って来る時間、どきどきですよね。
タイトル!
そう、ギャップを込めたので、分かってくださって嬉しいです!!
夕方五時の幸せへの応援コメント
コメント失礼します。
拝読させて頂きました。なんとも言い表すことのできない読後感にゾッともしております。
私的には母親が亡くなっているような感じで受け取ってしまいました。幸せな結末であってほしいと思いますが…。凄い作品でした。
拝読させて頂きありがとうございます。
作者からの返信
鈴ノ木 鈴ノ子さん
コメントありがとうございます!
これは、みなさん、いろいろな解釈をしてくださって、とても印象的な作品となりました。
コメントって偉大です。
多様な解釈が分かるので。大変ありがたいなあって思いました。
わたしの中ではもちろん「こういうつもりで書いた」というものがあるのですが、みなさんのいろいろな解釈がとてもいいので
あえて、わたしの中の「こういうつもり」は書かないでいようと思います。
こちらこそ、ありがとうございました!
夕方五時の幸せへの応援コメント
ホラーと捉えてしまったのは私の心が淀んでいるからかもしれません。子どもの帰宅を願うあまりの妄想の中に取り込まれていく女性……と読むと怖かったです(・・;)
まほが帰ってこなかった日は5時の音楽かなってますから、その時刻は過ぎている。で、その後になったということは別の日。「今日も」とあるので何日か後。 きっと、チャイムが鳴る。のあとは鳴ってない。つまりチャイムはなっていない。帰ってきてない。でも、5時の音楽がなると……。パブロフの犬(適当な例えではないかもしれませんが)的な条件反射でまほの好物を作る。悲しいく、怖い話と読みました。細部に散りばめられた信号(私の解釈が合っているか分かりませんが)、西さん、すごい!
作者からの返信
淀川神
ありがとうございます!
書き過ぎないように、暗示させるように書きました。
そして、ジャンルをどこにするか、とても悩みました(笑)。
わたし(作者)の意図は書かない、と決めています。
このくらいの書き方が「いろいろな読み方が出来る」ラインなのだ、と分かりました。
この間書いた、ミステリ長編は、やはり書き過ぎちゃったかなあ
なんて反省しています。
匙加減が難しいですよね。
夕方五時の幸せへの応援コメント
ハピエンにも読み取れるけど、不穏が散りばめられていて、散りばめられているような気がして。
福山さんの解釈も好きだなー。
認知症……
私の解釈。解釈は自由?だと思うから。
父親の姿が見えない。見えなくなっているとするなら、やはり。
悲しいけど、いろいろ読み取れて、すごい。
母としては、ちゃんと抱きしめられた最後を望むけど、物書きとしては父親が見えないあたり。
愛情深い母親像だから、愛する夫がいたんじゃないかなと推測。
でも、子どもが生まれてから愛情が子どもに傾きすぎて、夫は妻に対する気持ちがなくなり始めていた。
そんなとき、娘は行方不明……
事故だったのか事件だったのか。
この雰囲気は、事故というより事件かな……悲しいけど。
狂気の狭間に悲しみを感じるので……
妄想が捗るお話で、私はとても好きです!
作者からの返信
香坂 壱霧さん
この話はね、わたし(作者)の見解を載せるのをやめました。
実にいろんな広がりを見せて。
「もっとうまく書いて、一定方向に向かせればよかったのだろうか?」
とも思ったのだけど、いろいろな読み方をされる話があってもいいのかも、と思いました。
わたし思うのだけど、父親ががっつり子育てに参加している家って、どのくらいあるのだろう?
わたし、あまり知らないの、そういうの。
母親だけが頑張っている家がとても多い。
話が逸れてしまいました。
日常って、とてもだいじだなあって思います。
ときどき忘れてしまいそうになるけれど。
夕方五時の幸せへの応援コメント
残酷な現実、幸福な妄想、壊れた心が音楽に囚われ抜け出せない。絶望と見せかけの希望は、彼女が完全に壊れてしまうのとどめ、いつまでも、いつまでも、夢の中。
……なんて思った僕だけど、実はこれはおばあちゃんのお話で、痴ほうで娘が子供だった時間に囚われてて、同時に寂しいけど彼女は幸福な時間の想い出に生きている、なんてショートの別側面と見た(きらりん)( ;∀;)
作者からの返信
福山典雅さん
この話に関しては、わたし(作者)の見解を書かないことにしました。
色々な読み方をしていただけて、とても嬉しいです。
人生は残酷であり突然幸福が訪れたりします。
そして、ほんとうは日常がとてもだいじなのです。
誰かの比較ではなくて。
「いつも」の中で、小さい幸せをちゃんと感じられる子に育てたいな
と思ったことを思い出しました。
夕方五時の幸せへの応援コメント
おかえりの音楽のリズム、自転車のリズム、チャイムのリズム、ブランコのリズム、スキップのリズム、そんな当たり前の、生活の中の、幸せのリズム。
そんなリズムの流れを、ズバン、と断ち切ったのは、他でもない可愛い娘。心臓の雑音と頭の中の不協和音。
途端に不安になります。
けれど、また、リズムを取り戻すことで、今日こそは帰ってくるのではないか、と言う淡い期待が、彼女が居た頃の儚い幸せを運んで来るようで、物悲しく感じます。
まほちゃんを苦しいくらいに抱きしめたい。それはその存在を身体いっぱいに実感したい、母心。
最後のただいま、まほちゃんの声であることを望まざるを得ませんね。(*꒦ິ꒳꒦ີ)
作者からの返信
かごのぼっちさん
生活の中にはいろんな音があって、
それって、ある時間に聞こえてくる音もあって、
幸せの音だと思います。
日常って、いつも通り。
いつも通りって、なんて幸せなことなんだろう?
と思います。
いろいろなことがあると、つい、沈んでしまいがちだけど
日常とかいつも通りというものを大切にしたいなって思うのでした。
夕方五時の幸せへの応援コメント
ハッピーエンドとも取れるし、そうではないとも取れる物語的な仕掛けに感心しました。
それと同時に、お子様を思う親御さんたちの気持ちは常に、こうした「子どもがいなくなってしまう」不安感と隣り合わせなのではということも考えてしまいました。
山盛りの幸せと、かつそれと相反する感情を想起させる夕方五時のリズムを感じました。
作者からの返信
馬村 ありんさん
コメントありがとうございます!
とても嬉しいコメントです。
ショートショートを書くとき、書き過ぎないようにいつも気をつけています。
余白をどれだけ残せるか。
この話はその意味において、分岐点ともなる話だな、と思いました。
みなさんがいろいろな解釈をしてくださり、それをコメントに書いてくださり、大変嬉しいです。
わたし、子どもが帰って来るまでは、いつもどきどきしていました(笑)。
いまもどきどきします。