岸辺の芹/小説・茨木のり子 🌿

上月くるを

第1話 プロローグ 🪑



 茨木のり子さん。むろんのこと、国民的詩人のお名前はよく存じ上げていました。詩を書いたことはありませんでしたし、将来、書くようになるだろうとも思えませんでしたが、読者の胸にすとんとおさまる、直球のような言葉を紡ぎ出せたらな~と、漠然と憧れを抱いていました。奇跡の人気と評された詩集を何冊か買い求めました。


 自分の感受性くらい

 自分で守れ

 ばかものよ                   (「自分の感受性くらい」)


 じぶんの耳目

 じぶんの二本足のみで立っていて

 なに不都合のことやある                (「倚りかからず」)


 アッパーカットが決まったようにあざやかなフレーズに息を呑み、生きて行く糧にしようと考えた時期もあったのですが、想像もできなかった公私の出来事に対処するうちに、不甲斐なさを責められているような言葉にちりちりした痛みを覚えるようになり、弱くてごめんなさいというコンプレックスにも後押しされて遠ざかりました。



      *



 それがこのたび、ひょんなことから読み直した先達詩人の生き方&作品に深い共感を覚えるようになり、あれこれと関連資料をサーフィンするうち、この詩人は決して強い女性ではなく、その詩は研ぎ澄ました感性で余分な言葉を削った結果であって、そのことにいっさい弁明しない潔さも身上だったことにあらためて気づいたのです。


 同時に、面立ちも所作も作品も、すべてにおいて清冽そのものだった詩人が本当に残したかったのは『自分の感受性くらい』(一九七七年)や『倚りかからず』(一九九九年)などの代表作と呼ばれる若い歳月の軌跡ではなくて、「気恥ずかしいから」として没後の刊行になった詩集『歳月』(二〇〇七年)だったことに思い至りました。


 生涯の盟友だった谷川俊太郎さんが「わたしが一番好きなあなたの愛の詩集」と絶賛する珠玉の一冊には、一九七五年に亡くなった夫・三浦安信さんへの切々たる恋情が深山の泉のように懇々と静かに湧き出ています。それから三十年近い時間をひとりで生きてなお深く思慕してやまない亡夫への想いの哀しさ美しさ……。(。・ω・。)ノ♡


 日に日を重ねてゆけば

 薄れてゆくのではないかしら

 それを恐れた

 あなたのからだの記憶                     (「部分」)


 これはたった一回しか言わないから良く聞けよ

 ある日 突然 改まって

 大まじめであなたはわたしに

 一つの賛辞を呈してくれた                 (「殺し文句」)


 私事にて恐縮ですが、仲睦まじいパートナーの片方を隣る世に連れ去る神の所業に異を唱えたい筆者は、去る方も、去られる方も、塗炭の苦しみであったにちがいない三浦夫妻のすがたに、やはり相思相愛を貫いた叔父夫婦を重ねてみずにいられないのです。どちらの妻もいまは、先に逝った夫にぴったり寄り添っていることでしょう。



      *



 獣医師の叔父夫婦にも子どもがおりませんでしたが、その分、お互いを想い合い、労わり合い、傍目にも情愛深いペアでありつづけたことを好ましく記憶しています。その美しい事実と、加齢によって純真さを失わない魂魄とはおそらく無縁ではなく、係累の多い男女が容易に陥りやすい世俗にまみれる機会から遠ざかったのでしょう。


 初々しさが大切なの

 人に対しても世の中に対しても

 年老いても咲きたての薔薇 柔らかく        (『汲む――Y・Yに――』)


 心から敬愛してやまなかった女優・山本安英さんの言葉を書き記した作品は、双子のように同質だった詩人の人物像を雄弁に物語っているようで、刻一刻、永遠の少女の晩年に近づきつつある現在の筆者には、綺羅星のように誇り高い語句よりも、胸の深い場所におさまるような気がしています。せっかくの人生を自ら貶めないように。



      *



 清冽の流れに根をひたす

 わたしは岸辺の一本の芹

 わたしの貧しく小さな詩篇

 いつかは誰かの哀しみを少しはあらうこともあるだろうか       (「古歌」)


 川島芳子・杉田久女・平林たい子・相馬黒光・齋藤史 etc.……これまで小説形式で書かせていただいた近代女性たちは多かれ少なかれ袖振り合った方々でしたが、はじめて著作物でしか存じ上げない先達を取り上げさせていただくことになります。多弁ではなかった詩人像に、少しでも寄り添えることができたらうれしゅう存じます。




                ※各詩作品の一部を引用させていただきます。




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