第2話 モノクロの世界に色を加えて

—1—


 翌日の放課後。

 川上部長から野球部の顧問が呼んでいる旨のチャットを貰い、オレは職員室に足を運んでいた。


「昨日川上から話は聞いた。怪我の具合はどうだ?」


 野球部の顧問に加えて3年生の学年主任も務める小笠原先生が資料を机に置きオレと向き合う。

 小笠原先生は強面で威圧感が凄い。その割に話すと案外優しいから見た目とのギャップが強くて慣れるまで大変だった。


「打撲と擦り傷だけで骨に異常はありませんでした。1〜2週間くらいで完治するみたいです」


「それはよかった。大会には間に合いそうだな」


 野球部は7月上旬から夏の大会の予選が始まる。

 先輩の引退が掛かった最後の大会だ。大会までは残り1ヶ月半。オレも控え投手として最大限チームの力になりたい。


「まだ体が痛むので通常メニューに復帰するのは数日後になりそうですけど」


「それは仕方ない。怪我が治るまで別に無理して来なくてもいいぞ」


「いえ、球出しとかできることはあるので」


「安達は相変わらず真面目だな」


 なぜか小笠原先生に関心され、事情聴取? は終わった。

 サッカー部は日頃の素行の悪さも相まって部の連帯責任として10日間の部活動停止と事件に関わった部員には反省文5枚の処分が下った。

 一部の生徒からは処分の内容が重いとの声も上がったようだが、一歩間違えれば命の危険もあった為、抑止力としては妥当な判断だったと思う。


「翔太、何やらかしたんだ?」


 職員室を出ると短髪のイケメンがニヤニヤしながら声を掛けてきた。

 菱沼裕介ひしぬまゆうすけ

 裕介とは1年の時に同じクラスだった。

 足が早くて所属する陸上部でも何度か賞を取っているのだが、女好きでだらしない性格がどうも気に入らない。


「別に何もやってねーよ。お前こそこんなところで油売ってないで部活行けよ。サボってるのがバレたらまた先輩に怒られるぞ」


 女子2人と雑談をしていたのか、はたまたショート動画でも撮っていたのか、3人の手にはスマホが握られている。


「堅いねー翔太は。たまには息抜きも必要だと思うけどね。学生生活は部活が全てじゃないよ」


「そうかよ」


 裕介から視線を切り、何気なく窓の外に目をやると校舎の隅で女子数人が揉めている様子が目に入った。

 いや、揉めているわけじゃ無さそうだ。3人組が1人の少女に一方的に暴力を振るっている。


「山村だろ? あんまりいい噂聞かねーよな。人の彼氏に色目使ったとか、クラスメイトの財布から金抜いたとか。あれも今に始まったことじゃねーよ」


 聞いてもいないのに裕介がペラペラと話しだした。


「お前は知ってて何もしなかったのか?」


「なんで俺が? 関係無いだろ。悪いことをしたら自分に返ってくる。自業自得だろ」


 クズだとは思っていたがここまでとは思わなかった。

 心底腹が立つ。顔も見たくない。


「おい、助けに行くのか?」


「噂は所詮噂だ。オレは自分の目で見たものしか信じない。それにどんな理由があろうと複数人が寄ってたかって暴力を振るっていい理由にはならないだろ」


 オレは裕介の顔を見ずに突き放すように自分の考えを述べた。

 噂を鵜呑みにして、場の空気に流されて、正しいかどうか考えることすら放棄して。

 噂が事実と異なっていたらどう責任を取るつもりなんだ。

 少なくてもオレは、オレの怪我を心配して絆創膏を貼ってくれた山村さんが悪い人だとは思わない。


—2—


「やば、誰か来た! 2人とも逃げるよ!」


 足音で気配を感じ取ったのか女子3人組がそそくさと走って行った。


「これ山村さんのだよね?」


 落ちていたスマホを拾い上げ、山村さんの背中に向かって声を掛ける。


「安達くん……」


 振り返った彼女は無表情でオレと目が合っているはずなのにどこか遠くを見ているような気がした。

 拾ったスマホの手触りに違和感を感じて画面を見ると蜘蛛の巣のようにバキバキに割れていた。


「ありがとう」


 山村さんは使い物にならなくなったスマホを鞄にしまい、慣れた手付きで腕と膝に絆創膏を貼りだした。

 絆創膏を常備していたのと手当てする手際がよかった理由がここで繋がった。


「いつから?」


 なんて聞いたらいいか分からず言葉足らずになってしまう。


「去年のクリスマス前くらいかな」


「一方的にやられているように見えたけどやり返そうとは思わないの?」


「抵抗したら逆効果だよ。生意気だって言われてもっと過激になるから。だからやられている間は感情を殺すの。そうすれば興味を無くしてすぐ飽きてくれる」


 言葉が出てこなかった。

 山村さんの目は光を失っていた。

 それもそうだ。5ヶ月近く1人で理不尽に耐えてきたのだ。

 変わらない世界に絶望し、救いを求める声すら上げることができずにただ地獄の日々が繰り返される。

 それでも学校という檻から逃げないで静かに戦い続けた。


「あのさ、もし良かったらなんだけど公園で話さない?」


 噂の真相やなぜ暴力を振るわれるに至ったのかなど聞きたいことが山ほどある。

 他人に土足で踏み込まれるのは迷惑かもしれないけどこのまま放ってはおけない。


「うん、いいけど」


 山村さんの許可が下り、オレは川上部長にチャットで部活を休むことを連絡した。

 すぐに既読が付き、ゆっくり休んで下さいと書かれたクマのスタンプが送られてきた。

 オレはこの日生まれて初めて部活をサボった。


—3—


 高校から自転車を5分走らせた所に滑り台とブランコしか遊具が無い小さな公園があった。

 山村さんは高校の最寄りの駅から3駅先に住んでいるらしい。

 電車通学に憧れがあるが金銭面が厳しく自転車で通学しているとのことだ。


 ブランコに座り、西の空に傾き出した夕日を眺めながら話し出すタイミングを窺う。

 公園にはオレ達の他に小さな子連れが1組だけ。

 砂場で母親と棒倒しをして遊んでいる。


「安達くんは優しいんだね」


 最初に口を開いたのは山村さんだった。


「優しい、のかな?」


 自分としては正しいと思った選択を取っているに過ぎない。

 だから優しいとは少し違うような気もする。


「安達くんになら話してもいいのかなって思えたんだけど、同時にブレーキをかけちゃう自分がいるんだよね」


「うん」


 複数の影が公園を横切り、空を見上げるとカラスの群れが北の山に帰るところだった。


「私ね、色々あって人を信用できなくなったんだ」


 山村さんは頭の中で言葉を探しながら自身の過去を話し始めた。

 中学3年生の時に両親が離婚。母親と妹と3人暮らしになり生活が一変した。


「お母さん、初めはパートを掛け持ちして頑張ってたんだけど、ストレスが原因で精神的に不安定になっちゃって。お酒に頼るようになったんだ」


 それから夜に出歩くことが増え、山村さんが妹の面倒を見ていたらしい。

 受験や進路について相談する相手がいなかったから自転車で通える公立高校に進学することを決めたようだ。


「高校に入ってからはお金の問題で部活には入れなかったけど友達もたくさんできて充実した毎日を過ごせてた。親友と思える人もできたし」


 しかし、その親友に裏切られた。

 萩野真由はぎのまゆ

 山村さんに暴力を振るっていた3人組の主犯格だ。

 2人は1年生の時に同じクラスだった。


「去年の冬に真由の彼氏に告白されたの。真由と別れるから俺と付き合って欲しいって。親友の彼氏だったし、私は友達として仲良くしてたつもりだったから断った。でも——」


 フラれた萩野の彼氏が逆上し、山村さんが自分に色仕掛けをしてきたと萩野に嘘の報告をした。

 山村さんは事実無根だと萩野に訴えたが萩野は親友よりも彼氏の言葉を信じて山村さんに攻撃を開始した。

 これが根も葉もない噂が蔓延している正体だった。


「山村さんは何も悪く無いじゃないか」


「人は影響力の強い方に味方をする生き物なの。学校のように狭いコミュニティーだとより一層集団心理は強く働く。小さくて弱い声は簡単に掻き消されちゃうんだ」


 両親に見放され、親友や友達に裏切られ、人間不信に陥った山村さん。

 ここまでやってこれたのは妹の存在が大きかったらしい。

 とはいえ、このままだと彼女の心が完全に壊れてしまうのも時間の問題だ。

 場合によっては最悪の選択肢を取りかねない。

 山村さんが纏う雰囲気にはそんな危うさがある。


「オレが山村さんの味方になるよ」


「本当?」


「うん、約束する」


 彼女を守りたいと思ったのと同時にオレはいつの間にか山村茜という少女に惹かれていた。

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