第13話 失われた青春
「小春ちゃん、大丈夫かい?ちょっと、顔色悪いよ?」
その日は、小春が喫茶店『乱歩』で働く日だった。『KRONUS』との掛け持ちになったとはいえ、小春にとってはここの仕事も大事なことの一つだ。
店を訪れるなり、店長の鏑木は小春の顔を見て心配そうに見ながら、そう言った。
「いえ、最近ちょっと夢見が悪くて……」
「そうかぁ。夢見が悪いと言ってもねぇ。ストレスでも悪夢は見たりするからね。ここの仕事が大変だったりとか、辛いこととかあったら、すぐに言ってね。君はまだ若いんだから、自分を大切にしなきゃね」
「いえ、その…本当に夢見が悪い、っていうだけなんです。なので、安心してください」
そのまま、小春は準備のため裏手に向かっていった。
『KRONUS』の面々が無残に殺されてしまうという予知。
見れば見るほどに解像度が上がっていき、紬や悠希の死に顔まで見てしまった彼女の精神は、すっかりすり減ってしまっていた。
鏑木とのやり取りも、ほぼイエスノーを返すだけで精一杯で、少し話すだけで大いに疲弊してしまっている。
果たしてこんな状況で接客など出来るだろうか。裏手で制服に着替えながら、小春はそんなことを考える。
「準備できました~!」
半ば空元気で声を出しつつ、小春は鏑木の元へと戻っていく。
喫茶店にはほとんど客は来なかった。
平日の昼間という時間もあるのだろうか。それにしたって来客が少なすぎる気がする。店内で流れているオルゴールの音楽が、小春を絶妙に眠りに誘っていった。
そして、そのまま彼女は眠ってしまう。
「…小春ちゃん。小春ちゃん大丈夫かい!?」
鏑木の起こす声で、小春はようやくその事態に気づくことになる。
「す、すみません…思いの外本当に寝不足だったみたいで……!」
「寝てしまったこと自体は別に何か言うつもりはないよ。たまたまお客さんも来ていなかったわけだしね。それよりも、君寝ている最中えらく魘されてたじゃないか」
「魘されてた…そんなにですか?」
特に夢などは見ていなかった。気づけば、意識が落ちて、鏑木に身体をゆすられていたという記憶だけが彼女の中に残る。
記憶が飛んでいるだけで、やはり例の予知が予知夢として自分の頭に浮かんでしまっていたのかもしれない。
何はともあれ、今の彼女にそれを確かめる術はない。それこそ、鏑木が人の記憶を覗くような才能<ギフト>でも持っていない限り、だが……。
「ああ。すごく苦しそうな顔をしていたもので、思わず起こしちゃったよ。でも、今日は無理しない方がいい。何だったら、そろそろ上がりでも…」
「いえ、せっかく来たので最後まで仕事はします。それに…今月結構ピンチですし……」
ここの所物価が上がり始めており、今まで通りの生活ではいずれ生活が続けられなくなることを、小春は危惧していた。実際に貯金こそまだ余ってはいるものの、それでもアルバイト代をふいにするような真似を、彼女はしたくなかった。
「…うーん。君がそう言うなら、僕は止めないよ。ただし、無理だったら本当に言ってね」
「はい。本当に大丈夫ですので……」
「無理に働かせたなんてことになったら、僕の責任問題になっちゃうからね」
「はい……」
鏑木の顔が、少しだけ険しくなるのを見て小春は引き下がる。働く側の責任というだけではない、雇う側の責任というものを、彼女は垣間見た気がした。
店のドアが開かれる。カランという音と共に、一人の客が来店してきた。
「マスター、こんにちは」
「おお。こんにちは」
小春はその姿に見覚えがあった。長く美しい黒髪に、鋭くも優しさを感じさせる瞳。久遠寺紬だ。
「…つ、紬さん?どうしてここに!?」
「こっちこそ…。小春!?ここで働いてたの!?」
鏑木は2人の方をキョロキョロと見まわしてから、小春の方に向けて小声で
「……君たち、知り合いだったのかい?」
「ああ。なるほどね。それにしても、若いのにバイト掛け持ちだなんて、本当に頑張るね、小春ちゃん…」
「あはは。私、家が貧乏なもので……」
何せ高校にすら通えないほどの環境なのだ。この2096年の時代において、高校にすら通えないという人間は非常に珍しい。
「紬さんはそういえば高校通ってるの?」
「ん?もう卒業したよ。去年卒業したばかりだけどね。『KRONUS』の方で働き始めたのも、卒業してすぐの話」
「へぇ…っていうことは、結構年上なんだ…」
「学年で言えば2つくらいかな?まあでも、私も進学するかどうかも途中までだいぶ迷ったんだよね。あ、店長。コーヒーとチョコケーキお願い」
注文を受け取り、鏑木がその品を持ってくるまでの間、紬はこんなことを話し始めた。
「私の家さ、代々警察官やってる家でさ。まあ、ちょっと古い言い回しするとやんごとなき家系、って感じなのかな。そんな身分なものだからもうこれでもかってくらい嫉妬もされちゃって」
「そうなんだ……大変、だったよね」
貧乏暮らしの小春と、お金持ちのお嬢様である紬。言われてみれば、久遠寺という苗字も随分大層な家系を思わせる、言ってしまえば少し大仰な印象を、彼女は抱いていた。
「めちゃめちゃ大変。こんな家系なものだから教育も厳しくてね。同年代の子が遊んでるような事とか全然やれなかった。言ってしまえば、青春がなかったんだよ」
青春がなかった。
それは自由に高校にすら行けない自分と、ある意味同じなのではないだろうか。
「そんな中で落ちこぼれちゃってさ。だからさ、あの姉が言ってることだって真実なんだよ。その結果、進学も出来ずに探偵なんてやってる。
私って人間って、結局何もないんだろうねって、今考えちゃってるんだよ。
…あはは。ごめんね、わざわざこんな話しちゃって。それに仕事中だろうに、邪魔しちゃったかな?」
「ごめん、紬さんの方こそ、話しづらかったことだったのに、返事も出来なくて……」
精神のすり減った今の自分では、紬の話をどう受け止めていいのかわからなかった。だが、彼女自身が小春を信頼した上でこんな話をしたのだろうということだけは、小春にもわかった。
「勝手に話しただけなのにそんな顔しないでよ」
どこか作ったような愛想笑いを浮かべながら、紬は自分の座る机に来たコーヒーとチョコケーキを受け取る。
「ここ、すっごい落ち着くよね。店の中も静かだし」
「そうだね」
「たまーに物思いに耽るために、ここに来たりするんだ。マスターも優しいしね。それにしても、小春がいるとは思わなかったなぁ……」
小春の方こそ、まさか紬が来るとは思わなかった。会話一つ一つに妙な緊張感が生まれ、冷房がかかっている店内のはずなのに、汗が少しずつ肌に滲んできた気がする。
「これはもしかして、ちょっとした運命ってやつなのかな」
「そう、かもしれない……?」
未来が少しとはいえ見えてしまう小春にとっては、あまり冗談にもならないような台詞だったのだが、妙にそれが頭の中に残り、結局上がりの時間まで、小春は熱に浮かされたような気分になっていた。
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