第2話 大きい人のゆめ

大きい人のゆめ



そこは何とも荘厳で豪奢な場所だった。生成色を基調として作られた神殿のような場所で目を覚ましたのだ。

枕もなく横向きに突っ伏していたそこから緩慢に身を起こせば、大きな人たちがこちらを見下ろして指をさしたり口々に何かをごうごうと話していた。数がとても多くて、その豪奢な神殿を埋め尽くさんばかりに所狭しと揃っている。

その人らの口は最小限しか開いておらず、するするとその開いた薄い出入り口から音が漏れ出している。その音はとても響く大きな重低音で、腹の底の方にある己の根幹を掴まれて揺すぶられているようだった。けれどそれは別に嫌なものではなかった。

表現的な近さとしては、多分マッサージが近いだろう。全身をぐいぐいと揉み解されているような心地に浸っていた。温度に至っても、不感温湯につかり微睡む様な心地良さがあった。暖かくはないが冷たくもなく、適温に包まれるのはある種至上の快楽であるとさえ言える。


どうにも私がいるのはその大きな人の中の1人の掌の上らしく、身を起こしてついた手はふわふわとしていた。やわこい、それこそよく見知った人の手だった。見上げれば綺麗な長い銀に縁どられた青い宝石と目が合った。そのかんばせも酷く秀麗で、芸術品とはこれの事を言うのだと喧伝してまわりたいほど。

完全に脱力して夢心地で微睡んでいる私は口を開く事も億劫で、ぼんやりと綺麗な目の中を覗き込んでいた。目の中には何かが動いていて、少し離れているからそれが万華鏡のように変化する美しい覗き窓に見えていた。

万華鏡を覗き込み、そして手を伸ばすなどは幼子がたまにやる行動だが、弛んだ頭では何も考えられず、ただ気の赴くままに手を伸ばした。これこそが人の業と言うべきか、綺麗なモノには手を伸ばしてしまうのだろう。触る意図などなくて、ただただ手を伸ばしただけだった。到底触れられないとわかっていても伸ばしてしまった。だのにその大きな人は手を持ちあげて私に頬を寄せてくれた。だから私の手は、その毛穴すら見当たらない陶器のような滑らかな頬へとぺったりと触れられてしまった。手触りは本当にさらさらするするとしていて、白皙の顔は至近距離で見ても変わらず美しかった。

ただ何よりも無念なのは、あの綺麗な青の覗き窓は頬を寄せるにあたり、伏せられた瞼に隠されてしまった事。

普段の私であるならば、人の手が触れればこの美しいものを汚してしまう、と絶対に触りすらしないだろうに、私は惹かれるがままにそのまま乗っているその指へと寄り掛かった。見せて欲しいと懇願するように自ら額を擦り付けて。心の底から甘えるように、じっと見つめて。そんな曖昧なこちらの願いが通ったのか、くすぐったかったのか。ふわりと開かれた目は、きらきらと鱗粉に似て光を反射していた。この人は目に至極美しい青い蝶を飼っているのだと感嘆の息を吐いた。長らく使っていなかった喉から音を絞り出すように、すき、とだけ口にすれば、陶器のような口の端がゆるりとカーブを描く。完璧なアルカイックスマイルをそこに見た。対してこちらはだらしなく緩み切った笑みを浮かべて蕩けていた事だろう。

しかしこれほど己の不勉強さを嘆くことは人生でもあまりなかった。きっと勤勉であればこの人の事を言葉巧みに褒め称える言葉が出てきたのだろう。俗っぽい言い方をすれば、美の化身がお目見えして尊過ぎてマジ目が潰れるかと思った。



どれほど眺めていたかわからないが、それなりに長い時間その人を見つめ続けた。あちらも飽きる事なくこちらに視線を与え続けてくれた。これこそが慈悲。

見詰め続けてくれたその人のもう一つの手が伸びてきて、本当に指の先で触れるか触れないかの動きを私の頬にした。それは凄くくすぐったくて、自分からその手にすり寄った。ちょいちょいと暫く悪戯に指で転がされ、その手は引き上げられて、笑われる。

まるで人間が愛玩動物にやるような仕草だと思う。

私なんぞを愛玩しているのだろうか?この美しいひとが?と思いつつも、そのまましばらく愛でられていた。

そんな時間はすぐに終わりを告げて、きぃんと響く高い音が聞こえだした。不愉快な音ではないのだ。耳に馴染む高音で、目を閉じて聞き入るようなそんな音。大きな人の重低音とともになり続けるそれらは、互いにぶつかり合っているようだった。音と音がぶつかって、また新しい音が生まれる。

不思議な事にそれは目に見えていた。音がぶつかり合う様が確かに目に見えたのだが、とても表現が難しい。色と色がぶつかり合ってその部分の色が混ざり、別方向へと射出される。というのが1番近いかもしれない。


そんなことが幾重にも繰り返されて、そこは何故だか神聖な場所からは格が落ちたように感じた。交じり合う音たちの反響は私には問題なく心地良かったが、大きな人たちには雑音であり、雑踏へと成り下がったのだろう。犇めくほどいた大きな人たちはその場から一人また一人と消えていき、響き渡る音もどんどん少なくなった。

私を掌に載せて愛でていてくれたその人も、少し悲しそうな顔をして私を柔らかな草むらの上へと降ろし、頭を一撫でして最初からどこにもいなかったかのように空気へと溶けて消えてしまった。


そうしてそこは静かになった。何も聞こえなくて、ただ心地の良い温度に包まれた空虚な場所となり果てた。見えていた音が、全て消え失せてしんと静まり返り、沈黙がその場を支配する。人が居なくなって、神聖さが戻ってきたように感じたが、格が元に上がったようには思えなかった。

そのままゆるりと上体を倒して、また横になる。今度は草むらの上で。さわさわと頬に当たる植物の感触がどうにも物悲しくて、仕方がなかった。

そうして目を閉じたところで、目が覚めた。

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