第7話 約束は破るためにあるその1

 リアムは「完全っ制覇!」と声高らかに告げ、自分が座っているソファーに読み終えた本を放り投げる。ずっと同じ姿勢で読書していたことが原因だろう。凝り固まった体からはポキポキと動くたびに音が鳴る。少女が立ち上がったことにより、定位置で眠っていたおもちは、その場から強制的に降ろされていた。受け身すらとろうとせず、ソファーに転げ落ちるその様は何とも愛らしい。ただそれは第三者から見ればという話であり、数えきれないほど見てきた者にとっては哀れみの感情が先にくる。

 リアムは先ほど無造作に放り投げた本を拾い上げ、もう片方の手で熟睡するおもちの首根っこをつまみ持ち上げる。作業机にある綿が敷き詰められた小箱におもちを置いて、本を本棚に戻すと読んだ証として、背表紙にレ点チェックを書き込んだ。それから本棚前から数歩後ろに下がると、左端から赤印が刻まれた一万冊の本を感慨深い思いで眺めていく。


「お母さん褒めてくれるかな。早くお母さん帰ってこないかな」


 本から得た知識とおもちとの度重なる対話によって、リアムはより人間らしい言動をとれるようになっていた。それに伴い自然と様々な欲望も生まれたことで、少女は心身ともに人間と遜色ないものに成長した。ただ喜怒哀楽といった感情を表に出すのが少々苦手。これは話し相手がおもちしかいなかったことによる弊害ともいえる。


 創造主からの宿題こと読書を完遂した日から一週間が経過した。リアムは未だに本棚を眺め続けていた。本を読破したことによる達成感や母との思い出に浸っているというわけではなく、これから何をすればいいのか分からず思考停止に陥っていた。少女が受けていた指示は自分が帰宅するまでの間、本を読んで、大人しく留守番しておくこと。片方はもうすでに終えている、残された指示は大人しく留守番をしておくこと。留守番という言葉の意味は理解できるし、今までも何度か行ってきたが『大人しく留守番』とは、そもそも一体どういう状態のことを指すのだろうか。少女は昼夜問わず、そのことだけを延々と考えるようになった。その結果、本棚を呆然と見つめ立ち尽くす少女の図が完成した。これは十日ぶりに目覚めたおもちが、少女の鳩尾に掌底を繰り出すその日まで継続された。


 正気を取り戻したリアムだったが、あれから特に何か行動をとるわけでもなく、今度はソファーに仰向けで寝そべり天井のシミを数えていた。この家の壁にはどんな汚れでさえも吸収し消失させる謎の塗料が塗られている。これは創造主が『掃除マヂだるい』という理由で、片手間で作ったもの。この塗料はもちろん壁以外にも床、天井と家中に塗布されているため、一部の荒れ果てた空間にさえ目を瞑れば、とても掃除の行き届いた良い家。少女が咄嗟に思い付いた妙案が、その存在しないものを数えるという空虚な時間潰し。そんな彼女の胸元では、ひと仕事を終えたハムスターが四足全てを伸ばして全力で寛いでいた。

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