たとえばいつか愛の前で

墨色

第1話

 最近夫が抱いてくれない。


 結婚して三年。まだまだ新婚だと思っていた雫は、ダイニングテーブルでピルを数えながらため息をついていた。


 確かにまだもう少し女としていたい自分ではあったが、そろそろ赤ちゃんが欲しいなとも思っていた。


 上京してもう七年になる。地元を出て、大学に入り、夫と出会い、卒業前に結婚した。


 決して祝福されない結婚だったけど、あの時の雫は幸せだった。


 夫は大学時代から自信に溢れていて、あまり自分に自信のなかった雫の身も心も変えてくれた。


 そんな大学時代はデートを重ねるよりも後の夫、隆章との肉欲に溺れていた。


 そして夫は大学で優秀な成績を納め外資系企業に入社し、「苦労はさせない」とまだ大学生だった雫にプロポーズをした。


 それを受けそのまま駆け落ち同然で結婚した。


「はぁ…」


 あの時の熱意は確かに本物だったし、今までの過去を捨て自分は生まれ変わったのだと雫は信じて疑わなかった。


 夫は真面目に働いた。


 夫が頑張れば頑張るほど、会社は彼が活躍出来るポストを用意した。勤める会社は多国籍企業で、イギリス、スイス、日本、アメリカといろいろな人種で溢れていて、社内の公用語は英語だった。


 英語がそこまで得意ではなかった夫だったが、大学時代所属していたサークルで培った度胸と明るさで何とか仕事をこなしていた。


 だが、雫は夫のいつも自信を崩さない態度の裏側で、無理をしているのはわかっていた。


 気づいたのは結婚してからすぐだった。何のことはない。学生の時はあれだけ大人びて見えていた、いや、見ていた自分がいただけで、夫も社会に出ればただの新人だったのだ。


 だからあまり自分から求めるのはダメだと思って我慢していた


 雫と営む時はいつも夫からだった。それしか知らないし、自分から来いと言われなければ動けないのはついに変えられなかった。


 でも今日は金曜日。少し大学時代の友人と飲むから遅くなると出掛けていて、もうすぐ日が変わりそうな時間になってもまだ連絡がない。


 大学時代は朝までハメられっぱなしだったから、零時を過ぎようとする時間まで起きていると雫の身体は疼いてくる。


「ん、ふぅ、は…」


 本人はそう思っていて、一人その時を思い出しながら自然と自慰に耽ってしまう雫だった。


 だがそれは大学時代に覚えてしまった朝帰りに由来することを雫は知らなかった。駄目なことだからといつも最終電車を気にしていて、結局強引に引き止められ朝までハメられたその時の罪悪感が快楽に置き換わっていて身体に疼きを与えていたのだ。


(やっぱり足りないわ)


 夫を誘う服に着替えてから目の前のピルを片付け、ため息をついた時、ピンポーンとチャイムが鳴った。


 早足で玄関に向かうと、泥酔したのか、肩を担がれた夫がいた。



「お、雫ちゃーん、久しぶりー」


「…戸塚くん…久しぶり」



 夫の肩を担いでいたのは、大学時代、同じサークルだった戸塚誠太だった。



「ひゅー、相変わらずすっごいおっぱいしてんね、奥さ〜ん」


「え? きゃっ!」



 雫は咄嗟に身を屈めた。夫の為にと、いや自分のために薄い水色の下着の上に透け感のあるペビードールを着ただけの姿でいたのだ。


 すると夫である隆章が意識を取り戻した。



「…お前、殺すぞ」


「だからピンポン押したじゃないすか。痛っ、はいはい、すみません。玄関置いて帰っていいすか?」


「ダメに決まってんだろ…ベッドまで運べ」


「わかりましたよ」


「雫、水…くれ」


「は、はいっ」



 雫はすぐにキッチンに向かった。その後ろ姿はさらに凶暴なエロスが揺れていた。桃尻が強調されるかのような下着で、匂い立つくらいの劣情を放っていて、誠太は思わず目を細めて見つめた。



「先輩めっちゃ羨ましいっす」


「アホ言って、ないで、早く…運べ…つか見んな馬鹿」


「うははは、見るくらいいいっしょ。散々見たんだし」



 誠太のその言葉に、隆章は微睡みながら「バーカ」と呟き意識を手放した。


 そしてそれはどちらも雫には聞こえてはいなかった。

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