第8話 前後が逆です

ヤスの三倍の量をぺろりと完食したぺリスは紅茶を飲み干した。空になった皿を一つ一つ見下ろす。

「……ふむ。自炊初日にしては及第点であった」

「ならば、例のキワドイは……」

「いいだろう」

 ガタリと立ち上がると、こちらに尻を突き出した。妖艶な眼差しを向けながら、じらすように摘まんだスカートが舞台の幕のように上がってゆく。

「欲情しすぎて卒倒するなよ? 変態」

 目の前に飛び込んできたのは桃色レースのパンティ。話していた通り、あちこちが網目になっておりその隙間からむっちりと尻肉が膨らんでいる。丁寧に乗った刺繍がよりエロティックさを演出しているのだが――

「どうだ? 驚きのあまり声も出せんだろう?」

 パンティに目線を合わせ、探偵のような素振りでそれを観察した。 

「ぺリス、貴様――」

 ぷりんと揺れた臀部。それに密着した生地に違和感がある。

「……前後が逆じゃないか?」

 時間が止まった。空間が凍結する。悟った彼女は自信満々な顔を徐々に引っ込め、恥辱という名の赤さを全面に押し出した。スカートを摘まんだ指先が震えている。

「ははっ、貴婦人の履くようなものの着方などわからんかったのだろう。お子様だなぁ」

 小ばかにしてやろうと笑顔を向けた。赤面を歪ませた女がなにかを言おうとしている。

「……消せ」

「なに?」

「今すぐ記憶を消せぇ!!!!」

 同時に放たれた後ろ回し蹴り。顔面に直撃し、木箱の山に突っ込んだのだった。


「くそ……なぜ俺がこんなことに……」

 ヤスは寝室の天井から鞭で吊るされていた。まるでミノムシのようだ。パンパンに腫れた顔面で眼下を見やると、超ふかふかベッドの中から地鳴りのようなイビキが聞こえる。布団からアイマスクを付けた頭と脚だけが垂直に飛び出しているが、いったいどんな寝相なんだ?

「まるで魔獣の巣穴だな……」

 特大わたあめに化け猫が住み着いているようだ。大量のよだれを垂らす口元がパクパクと動く。

「むにゃむにゃ……串刺しにした後で皮を剥ぎ焼き殺してやる」

「なんて寝言を言うんだ……」

 普段からこんな悍ましいことを口にしながら眠っていたのかこの女は。「夜が更けたら副団長の寝室には近づくべからず」と暗黙のルールが王城内で囁かれていたが、その原因が分かった気がした。多数の騎士から要望を受けて寝室の壁に防音材を施した過去を思い出す。

「世話が焼けると嘆くのは今更か……」

 先が思いやられる。思うがままにパンティを追い求められる日はいつ来るのだろうか。

「前後が逆のパンティなどいくつ見てもなぁ……」

 不安に駆られて零した一言が悪かった。わたあめの中から赤い眼光が鈍く灯っている。爪を尖らせ、牙が煌めく。

「ま、まてぺリス……!! 今のはほんの冗談だ……!!」

「ガルル」と呻ったぺリスもとい化け猫。意識があるのかどうかは定かではない。ただそのパジャマ姿の怪物はわたあめを這い出て、一歩また一歩とこちらに近づいてくる。

「おちつけぺリス……!! そうだ!! 明日は貴様の好きな八〇二のあんまんを大量に買ってきてやろう!! もちろん紅茶も一緒にだ!! 極上の茶葉を――!!」

「ガルァアアアアアアアアアア!!!!」

 必死の抑制も水泡に帰した。飛び掛かかってきた彼女は身体に爪を喰い込ませ、剥いた牙で首筋に齧り付く。

 断末魔の絶叫が夜の旧市街に響き渡った。

 ヤスは明日からパンティ探求を始めようと誓った。

飼い主を自称する化け猫に食い殺される前に。

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