第1話・文架市の少女

1-1・プロローグ~紅葉の登校

 古の日本には、強い龍脈の影響で数多の人間の念が集まり、大きな時空の歪みが維持され、常に地獄界と隣り合わせになっていた一地域があった。その地は、事実上、地獄界の支配下に有り、「この世の地獄」と呼ばれていた。危機感を持った人間は、神の力を借り、その地に結界を張って‘大きな時空の歪み’を封じ込める。

 だが、それで全てが人間の社会から排除されたわけではない。人間の持つ強い邪気に引かれて、地獄の住人は出現をする。


 科学が未発達だった時代、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす不可思議な力を持つ非日常的な存在(地獄の住人)を‘妖怪’と呼び、時には恐れ、時には敬っていた。


 21世紀、科学が発達した現代においては、妖怪の存在は実証はされていないはずだった。

 しかし奴等は科学の影に隠れ、人知れず何処にでも存在をしている・・・。



 まだ10歳に満たないツインテールの少女が、何処かの陸上競技場のスタンド席に居て、トラックを走っている人達を眺めていた。

 親に連れられて‘走る人’を見に来たんだけど、全く興味が無い。「何で、あの人達は、こんなに暑い日に‘走る’なんて疲れることをしているんだろう?」「家でゲームしてた方が良いじゃん」くらいにしか感じず、「早く家に帰りたい」と思いながら、ただボケッと眺めていた。


「あっ!」


 何人も走っている中で、1人の少年が転んだ。だけど、痛そうにして立ち上がり、一生懸命走っている。少女は‘少年が群れから引き離される光景’を見て「恥ずかしくないのか?」「サッサとリタイアすれば良いのに」と思った。ゼッケン60番を眺めながら、心の中で「やめちゃぇ」「やめちゃぇ」と何度も語りかけた。しかし、彼は、止まろうとはしない。痛そうに足を庇いながら走り続けていた。


「ガンバレ!60番!!」


 気が付くと少女は、小さい拳をキュッと握り、座席から立ち上がり、周りから取り残されたゼッケン60番を応援していた。諦めずに走り続けた‘ゼッケン60番’の姿は、幼かった少女に「頑張る」という気持ちを植え付けていた。


 それまでの少女は、周りからは「お人形さんみたい」と評価されていた。可愛らしいけど、温和しくて人見知りで、友達が居なかった。

 少女には、他の人には見えない物が見えた。亡くなった人や動物が、現世に残した寂しそうな念である。見てしまうと、少女も悲しい気持ちになって、でも、その気持ちは、周りの人とは共有できなくて、「悲しくなっちゃう」気持ちを理解してくれない友達なんて、要らないと思っていた。


 だけど、60番に勇気をもらって、少女は変わった。その日以降、無駄に「頑張る」ようになった。少女にしか見えないなら、「自分が力になってあげよう」と思う事にした。


それから8年が経過。




-文架市(あやかし)・広院町-


「やっべぇ~!ちこくだぁっ!!」


 寝癖だらけ&スウェット姿の美少女が、洗面台で何度も髪に櫛を通して整える。口に咥えていた輪ゴムを手際良く後髪に廻して、ツインテールが完成。頭頂部にピィンと立っているアホ毛を軽く撫でて、鏡を見て確認。体調が悪いときは、アホ毛の立ちが悪いのだが、本日のアホ毛は理想的な状態である。再度、鏡に映る自分を見て、満足そうにニィッと微笑む。


「早く準備をしなさい。」

「ぅん、わかってるぅ!」


 母親が呆れ顔で声をかける。少女は少し怒鳴り気味に答えると、自室に戻って今日の科目の教材を集める。

各教材を束にして積んであった山が崩れたが、特に気にしない。物理と英語はチョット苦手だ。物体の運動とか、光と色彩とか、熱とか、天体等々、そ~ゆ~のは直感的に解る。それなのに、わざわざ数字で表現しなきゃならないのが面倒くさい。英語についても、相手が本気で伝えようとしているなら、相手の顔を見ていれば言いたいことは解る。学ぶ必要は無い。それなのに、授業では気持ちは込めずに教科書に書いてある文字しか読まない。気持ちが入っていないと、言いたいことが解らなくなる。


 スウェットを脱いでベッドに投げ置き、ワイシャツに袖を通し、壁に掛けてあるブレザーに着替えて、自室の鏡で全身を眺めながら襟元とネクタイを整えて、スカートをちょうど良い感じに上げて、準備完了。再度、鏡に映る自分を見て、満足そうにニィッと微笑む。


「まだなの?早く行きなさい。」

「ぅん、だぃじょーぶっ!


 母親が呆れ顔で催促をする。少女は、自室から出てキッチンに顔を出し、テーブルの上に準備されていた朝食のうち、サンドイッチを一つ口の中に放り込み、カップに注がれていた牛乳を飲み干し、サンドイッチをもう一つ掴んで頬張ったまま、「いってきまぁ~す」と玄関に向かう。

 母親は、朝食の残りを見て溜息をついて、見送る為に娘を追って玄関に向かう。


「サラダとタマゴ焼きは食べないの?」

「時間なぃっ!学校から帰ってきてから食べるっ!」

「あと10分早く起きなさい。そうすれば、ゆっくり食べてられるのに。」

「ぅん!ゎかったぁっ!」

「昨日もそう言ったわよ。」

「ぅん!明日ゎ気を付ける!」

「全くもう。昨日もそう言ったわよ。」


 少女は、靴を履いて慌ただしく駆けていく。共有通路を小走りで進み、エレベーターの前に立って「下る」ボタンを押す。エレベーターの扉の上にある階数表示を見ると、今はエレベーターは1階にある。彼女が待つ5階まで上がってくるのに時間がかかりそうだ。「待つ」が苦手な少女は、エレベーターホールの隣にある階段で、1階まで駆け下りることにした。


 文架市の鎮守地区にある広院(ひろいん)町。近年の開発行為により、川東で最も発展をした町の一つである。その住宅地の一角にある中層マンションから、自転車に跨がった元気な美少女が登校をする。


 少女の名は【源川紅葉(みながわくれは)】。文架市の中心を流れる山頭野川の西にある県立優麗(ゆうれい)高校の2年生の生徒である。テレビで活躍中のアイドルなどよりも、よほど完成度の高い美少女なのだが、背が低いというコンプレックスが手伝って、彼女自身は自分の魅力に自覚が無い。


 彼氏いない歴16年と9ヶ月。校内で交際を申し込まれたり、街中でナンパをされた経験は複数回あるが、全く相手にしていない。

 ただし、恋愛に全く興味が無いわけではなくて、年相応に好いている(片想い?)男性はいる。・・・とは言っても、リアルな知り合いではなく、幼い頃に一回だけ会話をして一目惚れをしたまま、今でも忘れることが出来ない、名前も知らない年上の男性。何処に住んでいるのかも解らないけど、いつかまた会いたい(アテは全くない)男性。つまりは、リアルなんだけど、限りなく2次元に近い男性だ。


「ゼッケン60番・・・どんなふぅに成長したんだろ?また、会ぃたぃなっ!」


 自宅から学校まで、自転車で飛ばせば15~20分程度で到着をする。まだ間に合う。・・・が、問題はそこではない。自宅から自転車で3~5分ほどで通過する鎮守の森公園前で、友人と待ち合わせているのだ。

 紅葉が‘遅刻ギリギリ’で‘自転車をかっ飛ばさなければ間に合わない’って事は、必然的に、待ち合わせをしている友人も、同じ状況になってしまう。3分後、紅葉の駆る自転車が、大きな公園の前に差し掛かる。


「んっ!居た居た!待っててくれた!」


 鎮守の森公園。広大な面積の一画に、手入れの行き届いた広い芝生があり、グルリと取り囲むように、左右にくねった遊歩道が造られている。朝夕はジョギングや散歩のコースとなり、休日は、家族やカップルが弁当を広げ、桜の季節や夏祭りや初詣に人々が集まる等々。典型的な地域の憩いの場である。


「アミっ!!ちぃ~~っすっ!」


 自転車にブレーキを掛け、友人と合流して、ピースサインで敬礼をしながら挨拶をする紅葉。


「おっそ~い!クレハ~~~っ!!!」

「ごめぇ~~んっ!!」


 ボブカットの友人が、自転車を公園の入り口脇に駐めて、スマホを操作しながら待っていた。紅葉が待ち合わせ時刻より遅れるのは、もう慣れている。さすがに、待ち合わせ時刻から15分経っても来ないと、「まさか、まだ寝ているのでは?」と催促の電話を鳴らすが、5分や10分程度の遅れならば、「いつものこと」と考えて、公園入り口のベンチに腰を据えて待ってくれる。


 友人の名は平山亜美。同じ優麗高校(同級生)に通う親友で、小学校時代からの幼なじみ。学業の成績は学年でトップクラス。市内トップの進学校に通う学力があったが、「厳しすぎるのはチョット苦手」「高校生になったら少しくらい青春したい」「友達と同じ学校に行きたい」という理由で、優麗高を受験したのだ。

 紅葉ほどのS級美少女ではないが、ルックスは整っており、背が低くてやや幼児体型の紅葉とは違って、モデル体型で背が高くスタイルも良い。並んで(身長差、約10㎝)いると、同い年ではなく、先輩後輩、または、姉妹と間違われる(もちろん紅葉が年下扱い)こともある。


「昨日、また夜更かししたんでしょ?」

「ぇへへへ♪深夜のお笑い番組見てたら寝るのが遅くなっちゃったぁ!

 アミゎ見てないのぉ?」

「見てない!全く興味なし!」

「ちぇ~~~っ!アミゎ相変わらず超マジメなんだからぁ~~

 ベンキョーばっかりじゃなくて、もっと、高校生活を楽しまなきゃ!」

「ふぅ~ん!私は私なりに楽しんでるよ~だ!チョット急がないとヤバいよ!」

「ぅん!!」


 公道を進むと信号機に引っかかってタイムロスをしてしまう為、迷わずに堤防道路を進むことにした。

 堤防道に上がると同時に、紅葉は、自転車を立ち漕ぎしてペースを上げる。いくらスカートの中にハーフパンツを着用しているとはいえ、女子高生がスカートをなびかせながら自転車の立ち漕ぎをするのは、いかがなモノだろうか?


「急いでよ、ァミ!」

「クレハ!そこまで急がなくても大丈夫だよ!

 スカートの中、見えてる!女子の自覚が無さすぎ!」


 ‘年相応の女子’の自覚がある亜美は、立ち漕ぎはせずに、先行する紅葉を注意しながら追いかける。

 亜美が紅葉のペースに付いていけずに少し遅れたので、紅葉は橋の手前で亜美を待ち、合流をして山逗野川に架かる文架大橋を通過して、川西の堤防道へと進んだ。


「スピード上げるよっ!」

「学校の近くでそれは恥ずいって!」


 相変わらず、紅葉は立ち漕ぎでスピードを上げている。亜美は立ち漕ぎはせずに紅葉を追いかける。

 しばらく堤防道を走ると、住宅街を挟んだ向こう側・御領(おんりょう)町に、紅葉達の通う県立優麗高等学校学校が見えてきた。

 学業では市内2番目の進学校。「勉強との両立」を前提にしているので、部活動は基本的には市内で‘中の上’くらいで、目覚ましい活躍は少ない。ただし、希に、文武両道で全国区の選手が在籍をする。

 あまり勉強が得意とは言えない生徒も少なからず存在するが、進学校と呼ばれる理由は、国内のトップクラスの大学への進学実績が市内で最も高い為。2学年までは全クラスが横並びだが、3学年進級時に、理系と文系に分かれ、且つ、成績優秀で上位大学への進学を希望する生徒は‘特進クラス’へと振り分けられるのだ。

 創立当初は女麗(じょれい)学園と言う名の女子高だったが、文架市の開発と人口増加に伴い、共学化して名前を改め、市内トップの文架高校に「追い付け追い越せ」という意図で‘特進クラス’が設立をされた。

 戦国時代や明治維新の頃の古戦場らしいが、150年以上も前のことを気にする生徒はいない。一定以上の霊感を持つ者は、時々、「いつもと空気が違う」と感じることがあるが、今のところ、日常生活に支障が出るような違和感は無い。


 この辺まで来ると、徒歩や自転車で通学中の同校生徒にチラホラと遭遇する。紅葉は、スピードを上げたまま、スイスイと同校生徒を抜いていく。亜美は「危ないよ!」と注意をしながら、危険を避けてゆっくりと自転車を走らせる。

 徒歩ならば堤防から学校脇に続く階段を降りて行けば良いのだが、自転車の場合、堤防道から降りる坂道は、もう少し先にあり、学校に行く為には遠回りをしなければならない。


「アミゎ遠回りするんでしょ?先に行って、校門の前で待ってるね!」

「えぇ~?また、ショートカットすんの!?」

「ぅん、もちろん!!・・・そぉれっ!!」

「あ~~~~~~~~~~~!!」


 自転車に跨がったまま、迷いも躊躇いもなく無く、傾斜角30度くらいの堤防の芝生斜面を降りていく紅葉。亜美は自転車から降りて、呆れ顔で、車輪を若干持ち上げて浮かせながら、「待ってよ!」と言って、ゆっくりと足下を確認しつつ紅葉の後を追う。

 幹線道路を挟んだ優麗高の対面まで来て、スマホで時間を確認すると、始業の10分前だった。


「あっれぇ~?スゲー余裕だったねぇ!」

「だから、あんなに急がなくても大丈夫っていったのに~!

 スピード出しすぎ&近道しすぎなんだよ!

 クレハみたいながさつな女の子、この学校には、他にいないんじゃない?」

「ァタシ、がさつぢゃなぃもん!」


 2人並んで横断歩道で、信号が青に変わるのを待つ。

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