#5:大体、同じ"非"日常

「こんにちは。お目覚めかい?」


 視界が定まり、雲の無い青い空が見える。その中に何か黄色い点が動いているのを眼で捉えて、それが蝶だと気が付い時、右手側からはっきりとした女性の声をリフィは聞いた。


(そうか、私……空から落ちて、それで倒れているのか……)


 だんだんと、記憶が蘇って来た。

 国を守護する騎士としての最中、一瞬の内に意識を失い、気が付いた時には雲の中であった。

 雲を泳ごうにも胴体に響く鈍い痛みがそれを阻害して、避難が間に合わず大地へと激突し、弾かれた。父から継承した鎧は自身の身体を完璧に防護していた。しかし、体の内側にあるよくわからない痛みは次第に全体へと広がっていき、動かすことが出来なくなっていった。迫る竜に対して抵抗する手段が無いまま、確かな終わりを静かに感じていた。


 ――その時、誰かの声を聞いた。


 空中で誰かと会うなんてことは到底ありえない。

 国から遠く離れたこんな空域であるならなおさらであった。

 

 しかし、薄れゆく意識の中でそれでも聞こえたその声は、力強く、元気で、自身に満ち溢れていた。

 たった一言、自分には到底言えない言葉を全力で言い放ったその姿は背後に差している陽の光よりも輝いて見えた。


 淀んでいる記憶を辿って再生された声と、聞こえてきた声がなんとなく一致する。


 リフィは相手の声に応える為に体を起こそうと力を込めた。だが、感覚が鈍い。重たい。鎧を支える力が体に入らない。


「からだ、痛めているでしょう? 大丈夫。 無理をしなくていいよ」


 リフィは声の主の方を見ようとしたが、動かせない兜の合間からではその姿は見えない。

 

(……助けて、もらったの? わたしは、何をしているんだ……)


 自身が置かれている状況を少しずつ理解し始めたリフィは、自身の使命に胸を締め付けられて、体に広がる痛みとは違う、冷たい苦しみが、静かに涙となって溢れて来た。


 上体を起こそうとするが、腹を押さえつけられるような痛みがそれを遮った。それでも、その痛みを避けるように少しずつひねりながら体をゆっくりと動かした。


 震えながら起き上がると、その人がリフィの右手を握ってそこに寝転んでいた。感覚が鈍くなっているせいで、起き上がるまで気が付かなかった。痛みの影響で視界がぼやけるが、呼吸を整えて、少しずつ痛みを慣らしていった。


 冷たい風が二人の間を通り抜ける。

 辺りの草が揺れて、その動きを追っていた細めた目をゆっくりとリフィは開いた。


 ――綺麗な人だった。


 赤い髪の女性が特徴的な頭巾の中で片目を閉じて、こちらを見るとニコっと、微笑んだ。

 寝転んでいる様子から、自分と同じように怪我をしているのかと思ったが、そういったものは見当たらない。頭巾と繋がっている大きな黄色い服を着て、黒く長いブーツを履いている。独特な服装で初めて見るが、髪色と相まってとても似合っている。


「このような格好でのご挨拶……お赦し下さい。私は……フィビアンスにある焔勇国えんゆうこく、カイドフォーケストの騎士、ロークレイでございます」


 感謝を言葉にすることは出来たが、最初の言葉以外は声が掠れて、とても感謝を伝えるような礼ではないまま、頭を下げてしまった事を恥じた。それでも、命を救ってくれたことに対する感謝を伝えられずにはいられなかった。


「貴女様が、私を……あの竜から救ってくださったのだと……すみません。まだ、状況の整理が出来ておらず――」


 言葉にするたびに息が上がっていく。


「どこか、お怪我はありませんか? 横になられているということは私を救助してくださった際に、負傷なされたのでしょうか……本当に、申し訳ございません」


 女性はリフィの言葉を聞いて、少し間を置いてから話始めた。


「いや、これは……ちょっと張り切りすぎちゃったというか……調子にのっての加減を間違えちゃって、全然起き上がれないんだよね――あー、もうよ」


 女性はぐっと力を込めて起き上がった。しかし、維持することが出来ず、思い切り地面に後頭部をぶつけて、倒れた。


「――ロークレイさん、ごめんね。貴方を不安にさせる為に助けた訳じゃないのに……本当はもう少し、かっこいいお姉さん! って感じで助けて貴方の目が覚めるのを待ってようと思ったんだけどなぁ……なかなかって上手くいかないもんだね」


 女性は苦笑しながらも、どこか嬉しそうな表情だった。


 「でも、貴方が無事で本当に良かった――そっか、まだ私の名前を言ってなかったね。私はミー二。お互い、変な挨拶になっちゃったねけど、よろしくね!」


 リフィは少し面食らってしまった。その人は確かに疲れて体を動かすことは出来ない様子だったが、言葉や表情からはそんな事を感じ取れなかった。


 その溌剌とした様子から、確かにあの時聞いた声の主だと確信した。


「いえ、そんな……私の方こそ、騎士として人を救うべき立場にありながら、貴女様の命を危険にさらしてまで私を救って頂き、なんとお礼を申し上げれば……」


「はは、そんなことないよ。人は助け合わないと……色々と、思うところはあるかもしれないけどさ、今は一休みしようよ」


 ミー二は少しだけ体を起こしながら頷いて、リフィを促した。そして、そのままゆっくりと二人は仰向けに寝転んだ。

 

 優しい風が二人を撫でて過ぎっていく。とても静かな時間の中で、二人は大きく息を吸って体を休めた。



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