青春は、不思議と冒険でできている。

真生えん

出会いの文化祭編

第1話 運命の分かれ道

雨が降っていた。

空は灰色に覆われて、傘を叩く雨音がうるさい。

中学三年の六月の朝。じめじめした蒸し暑い日だ。

俺の心情を正確に表したような天気に苛立ちが募る。それもこれも進路に不満があるせいだ。俺のとそっくりな澱んでいて晴れ渡らない空に、ただでさえ暑いのに、気分が落ちる。

最近はこのあたりで放火事件が多発しているらしい。情勢すら俺の心を曇らせてくるから始末におえない。

資産家の父の財産を一身に引き継ぐと将来が決まっている。

父は自身の喜びは資産を増やす事だ、と常々言っている。そして、さらに増やすという夢は一人息子の俺が必ず叶えるだろう、と。

父はきっと満たされることは無いだろう。なぜなら数字には限界がないからである。そして父は、数字と同じくどこまでも尽きない野心がある。

けれど父は愛のない人ではない。多額の資産を引き継ぐことが、嫌なはずがないと信じ込んでいるのだ。

その期待と愛はーー俺には重すぎた。さらにいえば、気に食わない。

とはいえ、父の描く将来以外にしたいことがあるかと問われれば、答えはノーだ。

したいことはないけれど、将来を決められることも気に入らない。

そんな、思春期にはよくある都合の良い不満だ。

わかっている。どれだけ贅沢な話をしているのかは。でも、自分の未来は自分で描きたい。それはそんなに我儘なことだろうか。

「そこの少年。ちょっと話を聞いていきませんか?」

どうにも怪しい紫のローブに、口元にベールを着けている。顔はよくわからないが、声や穏や瞳は穏やかそうだ。女性だと確信する。

主要道路に面した広い歩道の、少し奥にある裏道にテーブルと椅子が置いてある。

あからさまに怪しい占い師だ。

「これからあなたの運命が別れます」

視線だけ向けて会釈し、素通りしようとしたが、後ろから占い師の声が追いかけてきた。その声がひどく鋭く感じた。声自体は柔らかかったのだが、『運命が別れる』と言うその言葉が、俺の心に強く刺さってしまったのかもしれない。

親に決められた道以外の選択肢を持たない俺にも、自分の未来を自分で選ぶことができる。そんな期待が膨らむ。

「時間はとりません。お金も要りません。これからあなたの運命が変わるので、少しだけ私に見せてくれませんか」

遅めに家を出たので、今日の予定である文化祭はすでに開始している。九時には始まっているはずだ。

最初の入場は混むと聞いたので、時間をずらしたのだ。ここからは徒歩移動だが、目的の学校はすぐそこにある。

今は十時前。特に急ぐ用事ではないけれど、受験生は時間を無駄にはできない。

「あなたは面白い運命にあります。私を楽しませると思って、少しだけお付き合いくださいませんか」

その一言で、俺は折れた。黙って占い師の前の椅子に座る。座ってから、乗せられたことに気が付いた。

先ほどの占い師の言葉を聞いて腕時計を確認した時点で、俺は占い師の言葉を断る気はなかった。無視して歩けばいいのに、立ち止まってしまった。時間を確認してしまった。

「勧誘したり商品の話をしたりしたら、すぐに警察に通報しますから」

冷ややかにそう言うと、占い師は笑った。正面から見ると思いの外、柔らかい目元だ。

笑った占い師は俺のその好奇心や期待すら見通しているように感じる。気付かれたくなくて冷ややかに声を発したが、今は後悔していた。その行動すら子供じみた反発に感じたからだ。

「そんな悪どい商法はしませんよ」

なにか、占い師の手のひらで転がされているような、操られているような感覚が少し気に入らない。が、先ほどの後悔で俺は学んでいた。持ち前の反発心を表情や声に出さないように気をつける。

ふふふ、と占い師は声を漏らした。

反発心を隠したことがバレたのだろうか。隠そう、という行動がすでに子供じみているのでは。

そんなことを考えて堂々巡りに陥った瞬間、占い師は真剣な声を出す。

「では、始めますね」

やはりどこか見透かしたような微笑みに視線をさまよわせる。微笑んだだけの占い師だが、勝手に居心地の悪さを感じた。

ようは、苦手だ。

水晶玉を出すのか。タロットカードで占うのか。

興味を惹かれ、さまよわせた視線は遠慮気味に占い師の手元を見る。どうやらどれもハズレらしい。

「名前は桧山洸。橋谷中学校、三年五組。これから若宮学園の文化祭に行く予定」

占い師は俺の目を見てそこまで言い当てた。

俺が感じていた占い師の『見透かしたような微笑み』はどうやらハズレではなかったらしい。

「どういう仕組みですか」

まさか本当に、見ただけでわかったはずがない。

しかし占い師は、ほほほと笑う。口にベールをつけているのに口元を抑えて笑う。上品な仕草だ。

「特別な瞳なのです。私の場合」

笑っていた占い師は、両手を組んで顎を乗せる。

「あなたにはこれから、素晴らしい出会いがあります」

俺は騙されるつもりはなかった。できる限り占い師の真意を、この出来過ぎた占いの真相を知りたい。そんな気持ちで、占い師の言う『特別な瞳』を、その奥を見つめる。けれど占い師の瞳は三日月型に細められるだけ。本当に特別だと信じてしまう引力がある。いや、信じさせられる。

「はあ」

諦めて先に目を逸らしたのは俺だった。ため息をついて、誤魔化す。

「その出会いは俺の運命にどんな影響を与えるものなんですか」

占い師はしばらく間を置いて、ゆっくりと話す。

「知りたいですか」

占い師の含んだ物言いが、苦手を超えてじれったく思えた。

「見せろと言ったのはどっちですか。……もういいです」

「待って」

苛立ち椅子を立った俺を、占い師は引き留めた。占い師は俺よりも勢いよく立ち上がり、ぐいっと顔を挟んで掴み、目を覗き込んできた。

「運命の出会い。それは生涯のパートナーになりえる、一生に一度の出会い。彼女を捕まえられるか、すり抜けてしまうか。この出会いは、乾いたあなたの人生に、刹那の潤いを呼び込む。その潤いは、生涯消えることのない輝きとなるでしょう」

間近にある占い師の瞳は透き通るような深い青色だった。

「その出会いの相手は……」

俺が声を出す時には、占い師は椅子に座り直していた。

「どの出会いを運命とするか。どの出来事を輝きとするか。そもそも、私の言ったことが実現するのか。それはすべてあなたの選択しだい。私の話は、可能性の一つ」

「詳しく教えてはくれないのですね」

ひどく遠回しな言い方だ。わからせるつもりがあるのか、ないのか。もしかしたらこれ以上知りたかったら、金が取られるのだろうか。

「さあお行きなさい。今からあなたは青春を掴み取る可能性の芽と出会うかもしれないのですから」

俺はただの中学生。これから変わる運命を告げられたら、知りたいと思ってしまうのは仕方がないことだ。けれど占い師は穏やかな表情――もとい、瞳だ。これ以上話す気はないとその瞳が物語っている

仕方なく腕時計を見ると、時間は十時を少し過ぎたくらいになっている。濃い時間だった。

「また会えますか」

占い師の答えてくれそうな質問は、これだけしか思いつかなかった。

「あなたの運命次第ですね。急ぎなさい。もう出会いはすぐそこまで迫っています」

悔しかった。非常に悔しかったが、俺は言った。

「ありがとうございました」

占い師を信じてみよう。そうしたらきっと未来は明るくなる。

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