「窓の向こう。」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「窓の向こう。」~10代から20代に書いた詩

「空論。」

 “スリラー..”その言葉は他の誰かが使っている、考えるんだ。何が新しいか、を。どこかにある筈だ。まだ尽きてない筈、いや、そんなもの尽きるものか..?(笑)。まだどこかに必ず残ってる筈だ。あの人を見て、どう思う?この人は、どんなことを考えているのか?わからない以上、まだ模範は残っている筈だ。いつしか必ず見つけてやる。


「夢。」

 夢をみた。経過は憶えてないが、インパクトもあり、あのシーンだけは忘れることができない。記憶が我をよみがえらせる。

…父親を殺して、バラバラ殺人のように頭、腕、足、胴、と切りきざみ、ダンボール?いや、何か箱のようなものの中に丁寧に積んで置いてあり、それを隠していた。我はバレちゃマズイと震える振りをしていて、他人が3Fへ上がってくるのを待った。そして、上がってくると、我はここぞとばかりに、猛威を振るって、さんざん振るえ上がり、他を寄せ付けず、演技をし続けた。計画的殺人である。他人からの容疑は我にかからず、他殺の状況はそのままに、時間は流れてゆく。

一方、波乱が去り、落ち着いた夜に、母親がうすうす自分の息子の疑惑に気づいていて、その箱を開けた。母親は以前、脳出血で倒れ、右半身麻痺である。その箱の中には、キレイに折り重ねられて積まれた父親の、また自分の夫であるその人の顔が一番上に目を閉じたまま置かれてある、冷体を目の当たりにした。我からは、母親の肩越しに父親の目を閉じた顔だけが見えていた。バレた..(!)。次の瞬間、半身麻痺の母親を(なにかで縛っていたか?)わからないが、いや、きっと思うように動けない体が既にその効果を現しており、我は母親の背後に立っている。

後ろを振り向くこともできない母親は何とも言えない感情を押し殺して、背後にいる息子の顔を見ることもなく、座っていた。その母親の頭を後ろから、鉄の棒?レンジ?なにか鉄でできたような硬いもので、そこらへんに転がっているものを叩きつぶす感じで、後頭部辺り、なぐり、頭蓋骨にヒビ、或いは陥没する位、力任せに振り下ろしてゆく。夢の中なので、内がみえる。それでヒビ、或いは陥没したかに見えた。母親は精神異常、いや、脳に障害を持った人特有の表情と声で、「はるおー..はるおー..」と、母親の顔を覗き込んだ私に向かって、焦点が合わないまま言っていた。はるおという人物は、身内にはいないのである。その母親の体から母がいなくなるまでの最後の断末魔の言葉、母の意識を追い詰めて、徹底的に粉微塵に殺してやろうと我は、底が見えない悪心に走って行く。それまで、通いリハビリ、訪問リハビリと、少しでも母の体が以前の健康に戻るように努めている毎日が現実で、あり、一つ一つ積み上げたそのものを一気に馬鹿にして無きものにする自分の意識と悪意が、怖いくらい我の前に立つ姿を見、その横で、自分が悪の側にいるのか、神の側にいるのか、さえない情念に駆られるのを自分で見ているだけだった。

その場所はあの教会の1Fだった。次に、ガスコンロにポッポッポッと火をつけ、何かわからないものが上に乗っているがコンロに火をつけてゆく。そうしている我をみてのその時の母の一言、「..(無表情のまま)殺して..」。最後の言葉である。それでも「楽に死なせる気はない」と我言い、責められるものは全て利用しようとあたりを見渡し、そのコンロの上にあるものでさえも、責められる道具になりはしないかと、画策している。とりあえず手に持っていたチャッカマンで母の顔、頭(髪の毛)、を蜘蛛の巣を焼き払うように、軽々しく、あぶっていった。「うぁぶぶぶぶぶ!」と母は絶叫し、“それでもまだ、熱さを感じる五感は残っているのか、”と笑わせる位に感情を覚える我の横で、母は苦しみながら、唯あぶられているしかなかった。やがては死ぬだろう、と我思いながらも、「少しは楽しませてくれよぅ」とののしるように悪心の中で調子づきながら、ずっと母を責め続ける。そこで夢はさめた。

目が覚めた私は無性に悲しくなって、何故こんな夢を見せるのかと、自分と、神様に問うた。現実に戻った私は、自分に裏切られた気がしながらも、たまらなく母を愛していた。ベッドで横になって眠っている母親がいる。私はテレビを見る振りをし、ちらちらと、母の方をみていた。抱きしめたかった。母親の背中、少し薄くなった頭、呼吸の音、眠って夢をみているのかと思わされる、その母の姿が、たまらなく愛惜しく思えて、思いきり抱きしめたかった。その私の愛は言葉では言い尽せない。そして今まで一生懸命に私のために、母のために、生活に汗水垂らし、大きく見守っていてくれた父親、その父は母の隣でいっしょに寝ている。なつかしい記憶をたどりながらも、同じように、私は父親をたまらなく愛していた。抱きしめるまではゆかなくとも、ただ、ずっとあなたの息子でいさせてほしいと思う気持ちで体は一杯になる。現実に何もなかった最近の今頃に、何でこんな夢をみたのかがわからない。自分の中に潜んでいる悪が顔を出したのかと思わ去るを得ない位に、恐怖は私の心の中でともにある。今はそれへの自問自答をただ繰り返す。その一瞬の自分の全てを、否定したかったのだ。今、階下から、「ごはん、はよたべよ」と、私を呼ぶ声がする。


「映画の質。」

映画を創る上で、作者の細かな心理までは、スクリーン上に映せない。

無意識下なりとも、意識下なりとも、大勢でものを創る場合、どうし

ても、ひとりの感情はうすれてしまう。10の想像をしたらスクリーンに

映せるのは、せいぜい8まで。あと2は、そのまま作者の頭の中に残

ってしまうのだ。そしてやがてはきえる。そう言ってしまえば夢と華がない。


「時間。」

“まだ、馬鹿なことをやってやがるのか、あいつらは。永遠に馬鹿だ。”


「論説。」

様々なスリラーものを書く小説家、皆人間にかわりない。

               それが儚く、空しい。“ハッピー”でもおかしくないのだ。

スリラーとハッピーは同じものだ。人間と動物は同じようで違う、人間と神も同じようで違う。人間と動物を創られたのが神であり、その動物を統治できるように創られたのが、2つのうち、人間なのだ。では天使の存在は?一説に、堕落した天使が、悪になった、というのもある。見たわけではない、私と同じ名前の人はこの世にあとどれだけいるのか..。解決するべき問題と、すべきでない問題、その2つしかないのだ。できない問題、というものは、存在しない、人間の空想にすぎない、夢である。神の想像と人間(ひと)の想像は違うものであろう。その距離が、人間を途方に迷い込ませるのだ。


「窓の向こう。」

ラジオをつけてみた。電波のとどきにくいその地方では、その音声がいっぱいだった。

くもりの空は未だ晴れるきざしがなく、外を歩く兵隊の靴を見るしかなかった、顔は

見えず、足音も聴こえず、ただその足跡をつける靴を見るしかないのである。退屈を

悟ったその日、普通にドアを開けて外に出たところ、兵隊に気づかれ、射殺された。

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「窓の向こう。」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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