第4話 第一回戦『最強』対『アマゾネス』

 ――……私は弱いから……強くなりたい。人助けを、助けて欲しい 『玩具』


     一


 不本意にも『アマゾネス』という異名の似合う女こと志藤共恵だが、彼女のメンタリティは『真面目』の一言でまとめることができる。

 あと加えるとすれば『純情』、『気弱』だろう。

 つまり、女子中学生らしい肯定的な意味で『乙女』なのだ。

 彼女はバレーボール部のエースにして現キャプテンであり、才能豊かなプレイヤーだったが――実の所、元来はバレーボールなんてかけらも興味なかった。


 それは夕暮れの下校道で、冬の寒さの厳しい日に交わした会話だった。


「ねぇねぇ、ユウくんって、中学生になったら何部に入るの?」


 ランドセルの似合わない小学生こと志藤共恵が赤いマフラーに顔を埋め、楽しそうに質問した。

 ちなみに中学生としては童顔に分類されているが、この頃はまだギリギリ年相応の顔立ちと言えなくもない。


「俺は帰宅部に入るぞ」と、当時小学六年生だった市川雄姿は自信満々に言い放つ。

 彼は当時から無駄に自信に溢れ、何をやるのもクラスの中心人物だった。


「帰宅部って……どうして? ユウくんって運動神経良いし、絵とかも上手なのに?」

「ふんっ。俺にはやることがあるからな」

「そうなんだ」


 当時の共恵は、さすがユウくんだな、と素直に感心した。

 その辿り着く先が賭け事の胴元なんてことはかけらも想像していない。

 市川は寒さからポケットに手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに言う。


「俺よりも、お前はどうするんだよ?」

「んー、どうしようかなぁ……」


 うかがうような表情で共恵は続ける。


「……あのね、アタシって、背が高いでしょ?」

「あー、だなぁ」


 中学三年生の現在でも市川より一〇センチ近く高いのだが、当時は現在以上に身長差があった。小六にして共恵は高校生に見間違えられるくらい大きかったのだ。


「だからね、バスケとかバレーしなさいって言われているの」

「誰に?」

「お父さん」


 共恵の父親が娘にスポーツを勧めたのには理由があった。

 その当時、同じ市内にいる一学年上の少女が中学生になってから陸上を始め、あっという間に全国で一番になったのだ。共恵とその女の子は体格的によく似ていた。

 ただし、共恵は学年全体で見ても運動神経は上の下という程度であり、ズバ抜けたセンスを有していたわけではなかった。

 走るのだってそれなりに速いという程度だったが、しかし、父親はきっと同種の夢を見ていたのだろう。

 娘がスポーツで名を馳すという夢を。


「ふーん」


 市川はどこか釈然としていないようだった。


「何よ、その顔は」

「別に……ただ、共恵はあんまり向いてないと思うけどな」

「なんでよぅっ」


 睨みつけながら共恵が不平を漏らすと、あっさりと市川に言い返された。


「お前って、スポーツする性格じゃないだろ。泣き虫だし」


 共恵はムッとした。

 彼女は確かに『気弱』な性格だったが、それが故に思ったのだ。

 どうしてユウくんは応援してくれないの? と。

 基本的に市川が共恵の敵に回るなんて一度もなかったし、いざという時には必ず支えてくれたからこその思考だった。

 頬を膨らませながら、共恵は反論する。


「できるよ! アタシはできるもん!」

「やめとけって。もっと向いているもんがあるだろうが」

「できるったら、できるの!」

「んー、そっか。そこまで言うなら、まぁ頑張れよ」


 市川にポンポンと激励するように肩を叩かれ、


「え……う、うん」


 こうして、共恵は引っ込みがつかなくなった。


 幸いにしてと言うべきか、それとも意外にもと言うべきか――共恵には才能があった。

 豊かな身長に、スタミナとパワーの兼ね備えた筋肉が彼女の才能だった。

 地区大会一回戦で常敗していたチームを、ほぼ独りで県大会出場の常連にするくらいの力だった。


「でも、その程度なのよね……」


 と、彼女はベッドで横になりながら、独りごちることも少なくない。

 共恵の普段の素顔は悩み多き少女以外の何者でもなかった。

 日々、好きな人に素直になれないことや、チームを引っ張ることを義務付けられている重圧と戦っている。

 共恵は生来の生真面目な性格が災いし、人一倍不器用だった。

 意外と真面目な人間はスポーツに向かない。プレッシャーとの戦いに弱いからだ。

 スポーツのことをシナリオのないドラマと評する人間がいるが――彼女は真面目で善良だったため期待に翻弄され、土壇場で引いてしまう性格だった。


 だが、それは別の側面から見れば、長所でもあった。

 例えば、トレーニングを彼女は一日として休んだことがない。

 熱が出た時も普段通りに練習を行なったし、手首を捻挫した時も試合に出場し、結果として地区大会でトップに輝いた。

 その両方共に軽い症状だったため大事に至らなかったし、それどころか、周りから気づかれもしなかった。

 それくらい彼女は我慢強く――更に言えば、努力家であった。

 きっとそれは決定的な怪我や病気にならなければ悟ることのない――どうしようもない面も隠し持っていたが、そう――結果から見れば、やはり長所でもあったのだ。

 ただし、チームのために共恵はいたが、決してチームは共恵のためにあるわけではない。

 彼女は今の平凡なチームメイトから抜きん出ていた。

 それゆえ決定的に『アマゾネス』共恵を別次元の人間から取り残していた。

 そう、『最強』南口田尾のような人間から……。


     二


 南口田尾は孤独である。

 彼が『最強』と呼ばれ始めた所以は圧倒的な体力測定のデータからだ。

 南口は『東西南北』とやや冗談交じりに呼ばれる西中の北方と共に、中学三年生になったばかりとは思えないほどの記録を持っていた。

 例えば、背筋力は約二八〇キロ。西中の北方の三〇〇キロ超に比べればやや劣るものの同年代平均の遥かに上の数値を誇っている。

 なお、北方と比較した際、長距離の記録など上回るものもあるので、そこは互角と評しても劣るということにはならない。


 そんな南口だったが、所属は体育会系ではなかった。

 市川同様、無所属帰宅部である。

 あまりにももったいないが、スポーツはろくにしていないし、そもそもわざわざ鍛えるようなこともない。

 完璧な天然素材にして原石。

 ゆえに彼は良いアスリートではなかったが――。



「どうして兄さんはスポーツをしないのですか?」


 ある日、南口の妹――琴梅ことうめが不思議そうにそう質問した。

 彼女はベッドの上でノートと教科書を開いていた。


 琴梅は兄の田尾に似ず体が弱い。

 命に別状はないが、生まれつき心臓に欠陥があるのだ。

 身体を酷使すると簡単に倒れてしまうし、体調を頻繁に崩しては学校を休んでいる。

 琴梅の顔は兄と印象は異なるが、やはり同性から羨まれ、嫉まれるほどの美少女である。

 顔立ち自体は似ているので、兄妹で並ぶとより一層儚げに見える。

 艶やかな長髪も薄桃色の肌も天性の輝きを放ち、あまりにも美しいため、トラブルに巻き込まれることも少なくない。


 ちなみに年子の彼女はやはり東中の同学年、違うクラスに在籍している。

 その時は、少しだけ体調を持ち直し、休んでいる間に進んだ勉強を兄から教えてもらっていた。南口兄妹は二人とも成績優秀だが、妹の琴梅は不定期的に体調を崩して休んでしまうので、兄の方が若干上だった。

『最強』と呼ばれる兄は「んー」と困ったように首を捻って妹の質問に応える。


「いや、よく分からないけど興味ないし……。そもそも、僕は向いてないと思うんだ」

「ですが、武藤先生って頻繁に兄さんの所へ勧誘に訪れますよね?」


 ちなみに武藤教師にはゴリラという別称もあるが、琴梅はその蔑称を知らない。

 彼女はどこかの『女王』よりも、よほどお姫様扱いされているからだ。


「あー、そうだね」


 歯切れ悪く『最強』は頷く――妹は更に質問を重ねる。


「アメフトしないか、って誘われていますよね?」

「うちの中学にアメフト部はないよ」

「クラブチーム紹介されていませんでしたか?」

「んー、そうだけどさ。でもね、ああいうスポーツはやっぱり向いてないと思うんだ。乱暴だしさ、人を傷つけてまで勝ちたくないしね」


 どこか苦虫を潰したような顔で言う『最強』。


「そうですね。兄さんだったらそう言いますよね」


 クスッと琴梅は笑う。

 この兄が『最強』だなんてピンとこない。

 とてもそんなあだ名の似合う人間だとは思えない。

 平凡とか、そういう言葉の方が相応しい優しい人なのだ、と。


 ――身近であることは、時として人の目を曇らせる。


 琴梅の体が病弱であるということもその一因かもしれない。彼女は体育の授業を頻繁に休んでいるので、実感がないのだ。兄の圧倒的な才能に対して。

 例えば、自主的にスポーツなんてしない南口田尾だったが、趣味として山登りだけは行なっている。

 別にそんなハードなものではない。

 近所の裏山――標高七〇〇メートル強の普通の山である――を毎日の様に駆け回る。

 何か面白いモノはないか、と自由に体を動かせない妹のため、花や野草を取ってきては飾ったり調理したりする。

 それが南口田尾の兄としての優しさであり、もう十年以上続く日課だった。


 そう、十年だ。


 わずか、四歳の頃から彼は野山を走り回っていた。木登り。崖登り。花摘み。山菜取り。虫取り……等々。たった一人で朝から晩まで。暇さえあれば雨の日も風の日も。

 彼は孤独だったが――決して不幸ではなかった。

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