第一章 夏に響く虹色

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 佐野さんが残していったメモを頼りに、メッセージアプリから【佐野彩葉】を友達に追加して、アプリに連絡を送った。

 学校をさぼった後の帰り道をぼんやりと歩いていたけど、まだ返信は来てないみたいだ。


 僕が自分の家に帰ると、敷地のどこかに止まった蝉が絶え間なく鳴いていた。

 網戸がはめられた窓を開けると、地上に出てからの残り少ない命を告げる彼らの鳴き声が、だだっぴろい縁側を通り抜けて行った。

 この庭付きの古い家は、僕と両親が3人で住むには、あまりにも広すぎた。使われていない部屋が沢山あるからといって、僕には使い途がない。本当に、ただ広いだけの家だった。

 生まれ育ったこの家の寂しさが気になるようになったのも、僕が色彩を失ってからだった。

 何年も使われていない部屋には、僕の幼い頃の賞状やトロフィーがいくつも飾られてホコリをかぶっている。

 僕の中では、自分が積み上げてきたものはもうほとんど無かったことになったも同然だった。作品や受賞の証が置かれた数部屋は、空き部屋としか見ることができない。

 僕はかつて、画家というものに憧れていた。

 小学生の頃、市のコンテストで、何度も僕の絵は入賞した。

 僕の心に刻まれているのは、かつて幸せに包まれていたこの家で、描いた絵を見せる度に喜んでくれる、両親の笑顔だった。その思い出が、僕が絵を描き続ける理由になった原体験だった。

 僕は中学生になっても美術部に入り、ひたすら絵を描き続けた。

 僕にとっては描くことが、他の何よりも自分の気持ちを表してぶつけることができる手段だった。

 画家という夢は、漠然とした世間知らずな考えだとわかっていたし、周囲に打ち明けることはしなかった。ただ、僕は死ぬまで絵を描き続けることになるだろうと確信していた。

 だけど、僕が中学の時、唯一の友達だった清水しみず君が自分の家で首を吊って死んで以来、すべてが変わった。

――『城田くんのおうちって、良さそうなロープある?』

――『明日のクラス会で、皆へのサプライズをする。ロープは工作の材料』

 僕は彼のSOSに気づくことができなかった。

 清水くんがクラスの皆と仲良くできてるなら良かった。当時の僕はそんなふうにしか思わなかった。

 本当は死にたいくらいに追い詰められて、ある決断をして、だけど最後の最後まで決めきれなかった彼がしたのは……きっと決めるためのコイントスだったんだと思う。

 彼にとってのコインの表は、「唯一の」友達である僕の家に使えるロープが無く、かつ僕が彼の家でロープを見つけられなかったら、「もう少し生きてみよう」。だけど、もし僕が丈夫なロープを発見して、手渡したりしたら、裏。

 つまり、「実行」。

 今となっては真意はわからないけど、清水くんは控えめでいつもニコニコしていて、だけど自分の意見を言うことは無くて、自分で何かを決めようという気持ちを彼から感じたことがなくて。とても純粋な子だった。

 だから、死の前日に彼がしたのはそんな賭けだったんだと僕は思っている。

 唯一の友達だった僕が彼の家で、ホコリをかぶった倉庫の荷物からカラフルなロープを見つけて、彼に嬉々として手渡したりなんかしなければ……。

 いいや。本当に大切な事実から目を背けるな。

 彼は、僕に気づいて欲しかったんだ。死ぬのをめてほしかったんだ。

 何度でも、あの日のことが再生される。

 あの時、こうしていれば。僕が気づいていれば。だけど僕は彼を救えなかった。

 僕が用途がわからない虹色のロープを見つけて、清水くんに手渡した時の、彼の透き通った笑顔とあのロープの色が、頭にこびりついて離れなかった。

 僕はそれ以来、何ヶ月も精神的にふさぎこみ、学校に通えなくなった。

 そして、いつしか僕の世界は色彩を失い、見るものすべてがモノクロに変わっていた。

 それをきっかけに、僕はちょっとした絵さえ描くことができなくなった。

 これが友達を救えなかった罰だというのなら、僕は受け入れるつもりだった。

……だけど、そんな僕のモノクロの世界に突如として現れた彼女。色をまとった佐野彩葉と、彼女と過ごしたあとに取り戻された、透き通った青空。

 もしかしたら僕はもう一度、昔のように絵を描けるようになるかもしれない――。これから夏休みの間、彼女のお願いにつき合うことで。

 彼女の意図はわからない。だけど、友達ひとり救えなかった僕に、少しでもそんなことを期待する権利はあるのだろうか。

 あの日以来かたちを変えて何度も何度も襲ってきた自己嫌悪に、こうして今日もさいなまれる。

 早めの食事を買ってあった惣菜で済ませて、シャワーを浴びて、僕はようやく自室で勉強机の前に向かう。

 明日は期末テストの返却で、明後日はロングホームルームを行って、そのまま終業式。

 机に置いていた携帯の画面を見るとさっそく彩葉からメッセージが届いていた。

『お疲れ様! 話そ話そ』

 僕は机に向かうとすぐにアプリから彼女にメッセージを返した。

『いつ返せば良い?場所はどうしよう』

 彼女が言っていた他の要件についてはあえて僕の方からは触れなかった。

 携帯に送られてきた天気予報のプッシュ通知に『猛暑』と表示されていたのを思い出す。


 あの年も、そうだった。


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