第9話

 真田商事の生産研究部の部長は、真田社長の弟の嫁の兄の子であり、血は一切繋がっていない。

 だが、継承権はあると思っているからこそ、この部署で頭角をあらわそうと躍起になっていた。

 実力がなければ見向きもされないと、この数年で思い知ったからだ。

 真田大地だいちは数十年前、今の安売りスーパーの原型となる店を開き、この地にはなくてはならない存在を作り上げた、敏腕社長だ。

 六十に近いその年でも、その腕は劣ることなく、人を見極める目を駆使して部下も育て上げ、会社も順調に売り上げを伸ばしていた。

 その年になっても独身だが、色事の火種をいたるところに持ち、事実婚として囲っている女の数は、軽く調べた限りでも四、五人はいた。

 そのうちの三人に、子供もいる。

 認知はされているが、会社に障る事態ではない、今の所は。

 数年前は、違ったが。

 あの後すぐに回復した社長直々の辞令で、この部署に異動することとなり部長となった沢井さわいは、この日新たな商路を築こうとしていた。

 退職した社員の考案を真似て作らせた、今までで最高の出来の作品を、とある客に売り渡す手はずを整え、今日が引き渡しの日だった。

 これが成功したら、この商品の価値を知った国からも、依頼が来るかもしれない。

 そうなれば、この会社で頭角を現す必要もなくなる。

 自分で会社を立ち上げ、この商品だけを扱って財をなせるようにもなるだろう。

 今はこのビルも、借りた社長の好意で使わせてもらっているにすぎないが、丸ごと買い取ってそのまま居座ることもできるかもしれない。

 そんな期待に胸を膨らませ、接客室に入ると、そこには二人の客がいた。

 初老で長身の男と、まだ幼さの残る小柄な少年だ。

 引き渡しは済んでいたようだ。

 硬い表情の部下が顔を上げ、席を立つ。

 首尾良くいったと察し、部長はその場で丁寧に頭を下げた。

「この度は、このような窮屈な場所までご足労頂いたこと、感謝いたします」

「いえ。こちらこそ、このような素晴らしい商品を、安値で取引していただけたこと、有り難く感じております」

 少年が、つたない日本語で男に返し、頭を下げた。

 初老の男は、手のひらに収まるほどの小さなプラスチックの容器を、大事そうに懐にしまった。

 それを見届けて、二人の客を会社の外へと送り出す。

 会社の外に連れ出した客の前に、手土産として用意したものを引き出す段階で、最初の誤算があった。

 焦った様子の別の部下が、部長の傍に駆け寄って耳打ちする。

 手土産にするはずのものが、何処にも見当たらないと言う、意味不明な報告だった。

「……何を言っているんだ。あれはもう……」

「しかし、いるはずのあの部屋のどこにも、見当たりませんっ」

 舌打ちしたかったが、初老の客が怪訝な顔で見ているのに気づき、部長は無理に笑顔を浮かべた。

 昼間の取引は、不自然に見えないようにするための、裏工作だ。

 ここで騒ぐわけにはいかない。

「本日も、同じホテルにお泊りでしたね? ゆっくりとお休みください」

 客たちの居場所は、昨日と変わらないから問題ない。

 早く探し出して、手土産を差し入れなければと、客を早口のあいさつで送り出すと、部下に短く告げた。

「探せ」

 その命令を聞いた部下は他の部下に伝達し、会社内は騒がしくなった。

 そんな喧騒の中接客室に戻り、そこにいた部下にねぎらいの言葉をかける。

「初めてにしては、上出来だったな。これで成功すれば、顧客も多くつくだろう」

「……」

「お前の技量も、認められるという事だ、良かったな」

 青ざめた部下の肩をたたき、やんわりと言ってやった。

 珍しく新規採用でやって来たこの男は、この数年でその技術の高さを見せつけ、上司である自分の理想に近い、今回の商品を作り上げた。

 今は良心が疼き元気がないが、取引が成功した今、引き返せないと分かっているはずだから、すぐに開き直るだろう。

 多少の誤算はあったが、今日中にそれも解決する。

 そうなれば残るは、過去の憂いだった。

 今はこの部署の長としての貫禄がついて冷静になったが、数年前はまだ若く、すぐに結果に辿り着こうとして、熱くなったものだ。

 その若気の至りの過ちに、証拠と証人が残っていると知った時は、肝が冷えた。

 悪友の一人に金を掴ませて、その存在に近づき片づけることを頼んで数年。

 公になった事件の概要を見ると、首尾もまあ上々、と言って差し支えないだろうと思っている。

 残りは、警察の目につく前に、証人である母子が持っていたはずの証拠を、回収して処分するだけ、なのだが。

 この数日、悪友からの連絡が途絶えている。

 連れ去った少女の片づけに手こずっているからなのか、回収するべき証拠が見つからないからなのか。

 取引を無事終了した部長は、今はそのことが気になり、内心焦燥していた。

 ビルの三階に事務所と作業場を持つ身で、それを面に出してよその会社の面々に、悪い印象を与えたくないが、その焦燥をさらに激しくする報告が、部下からもたらされた。

「見つからない? 誰かが、持ち出したのか?」

「そんなはずは。施錠もしっかりとしていましたし、他の会社の従業員方は、それの事を知りもしないはずです」

 その答えに、ふと不安になった。

 自分たちが預かり知らぬところで、よその会社が件の手土産の存在を知ったのではないかと。

 これは、探りを入れるべきかもしれない。

 そう判断した部長は、昼過ぎに従業員たちを集め、一時間ほどの会議で他社に自分の商品を売り込む体で、探りを入れる段取りを整えた。

 それが起こったのは、その会議を終えてすぐだった。

 従業員に解散を伝え、すぐに動こうとする面々の前に、唐突に現れた男がいたのだ。

 会議室の一つしかない引き戸の出入り口に、意思のない表情で立ちふさがった男に、従業員が戸惑いを見せる中、部長がいらいらとした表情を見せた。

「竹田。報告なら後で聞く。そこをどけ」

 険しい表情の言葉に、竹田と呼ばれた男は表情を動かした。

 部長を見返す目に、意思が戻る。

 恐怖という明確な表情が。

「沢井、不味い、あれは、不味いよう」

 声も、恐怖の色を帯び、引きつっていた。

「助けてくれ、オレは、もう嫌だっっ」

 恐怖に当てられ、立ち尽くす沢井部長に縋ろうとした竹田が、突然爆発した。

 実際には違う。

 だが、そうとしか言えないような勢いで、恰幅のいい体が破裂した。

 室内の誰もが動かなかった。

 肉片と内臓が飛び散り、血の匂いが強烈に噴き出しても、動けなかった。

 突然の事に固まる従業員たちの耳に、穏やかな声が呑気に宣う言葉が聞こえた。

「おお、成程。合わせ技なら出来るんだな。必殺、時間差潰し」

「お前さん、もしや最近暇を持て余しているか? テレビの類に目が行くようになったのはいいが、影響受けたら、周囲が迷惑だぞ」

 苦笑気味な落ち着いた声が返し、別な声が全く別なことをしみじみと言う。

「色々な事務所や制作会社が集まるビルの、三階部分での稼業ねえ。難しいけど、あなたとあたしが組んでかかれば、楽勝じゃない?」

「楽勝? 呑気に言ってくれるな。この一日で、作戦変更を余儀なくされたこっちは、また寝不足なんだけど」

「ま、それは大変。早く済ませてしまいましょう。署への報告は、このビルの三階部分にて立てこもり事件発生。他の会社の従業員や客は避難済み。三階の、真田商事の系列の会社の従業員は……」

 場を読まない太い呑気な声は、一旦途切れた。

 竹田が立ちふさがっていた引き戸が、廊下側から開け放たれる。

 姿を現したのは、長身の偉丈夫だった。

 まだ明かりなしでも明るい室内を見回し、人を食ったような笑みを浮かべる。

「既に全員、死亡している模様、ってところかしら?」

「不自然すぎるだろう」

 小首をかしげて言う褐色の大男に、無感情な声が反論した。

 意外に整った顔立ちの大男の後ろから、それよりも遥かに整った顔立ちの、小柄な若者が姿を見せた。

 手を加えていない、薄色の金髪と白皙の顔の若者は、その色とは対照的な黒々とした目で、従業員たちを見回した。

「立てこもり犯が、完全にテロ集団でないと、この数を皆殺しは不自然だ」

「じゃあ、身近なテロ集団を捕まえて、連れてくる?」

「ここまで来て?」

 可愛らしく見せようと、小首を傾げたまま問う大男に、若者は溜息を吐いて無感情に返す。

「まあ、いいよ。報告は適当にしてくれ。結果は変わらないから」

 言い切った若者の横から、風が凪いだ。

 呑気に話す二人の侵入者に、隙を見つけたと思ったのか、従業員の一人が先手必勝と、若者に殴り掛かったのだ。

 が、振り向きもしない若者は、誰にともなく言う。

「苦しめながら、死なせるんだろ?」

「ああ」

 穏やかな声が横で答え、その声の主が殴り掛かった従業員の手首を難なくつかんだまま、握りしめた。

「一番弱そうなやつを狙うのは、生き物として妥当な生存術だが……見る目が、ないな」

 穏やかに笑顔を浮かべたまま、声の主はきっぱりと言い切った。

 が、相手はおろか、この場の従業員たちは、部長を含んで全員聞いていなかった。

 手首を握り締められた従業員の男の絶叫が響いたためと、その手首があっさりと、その持ち主の腕からとれてしまったからだ。

 血が噴き出る己の腕を見ながら絶叫する男を見て、まだ廊下に立っていたもう一人の侵入者が、嫌そうに咎めた。

「うるさい。早く黙らせろ」

「はい。喉を潰します」

 振り返らずに答えた男は、穏やかに実行したが、すぐに気の抜けた声を出した。

「あ。首を潰してしまった」

「もう、あなたは、拷問には向かないわねえ。相変わらず」

 そんな様子を見ていた従業員の数人が、我に返って出口を求めて窓へと取りついたが、その背中に笑い声がぶつかった。

「無駄だぞ。窓を開けて出ても、この中に逆戻りだ。今風に言うと無理ゲー、だな。逃げられない狭い空間に、殺人鬼が二人。見物が二人。怪我覚悟で逃げようにも、ここに逆戻りしてエンド……面白くないな」

「……あなたも色々と、染まってるじゃないですか」

「何で、あたしまで殺人鬼に数えられてるのよ。一人で充分じゃない、この人数なら」

 じわじわと恐怖が浸透し、混乱する従業員たちの阿鼻叫喚を見ながら、侵入者たちは何処までも呑気だ。

 混乱する部下たちを見て、逆に冷静になった者が、絶望の滲む空間で対抗策を必死に考えていた。

「……こんなことしても、すぐに捕まるぞ」

「捕まらないってば。隠匿案件なんだから」

 褐色の大男の返事に、沢井部長が鼻で笑い、吐き捨てた。

「そんなことが、現実にまかり通るかっ」

「まかり通らない事態を、一時期堪能していたのは、そっちだろう?」

 呆れた声を上げたのは、侵入者の中で一番小柄な男だった。

見せた姿は全体的に白く、眼だけが異様に赤い。

そんな男がその赤い目に呆れを滲ませ、淡々と並べ立てた。

「家族や近しい者への暴言暴力から、不倫略奪、果ては殺人まで犯しておいて、今まで野放しにされていたのが、不思議なくらいだ」

 しかも、とそこで言葉を切った男が、暗く笑った。

「家出していたとはいえ、まだ中学生の年の小娘を、薬詰めにした挙句、商品として使おうとしていたな? それを、お前らは全員が周知の上で、今動こうとしていた」

 室内が静まり返った。

 険しい顔を作った沢井が、男を睨みながら返す。

「お前らか、あれを持ち出したのはっ?」

「あれ? お前よりもはるかに人間のあの娘を、物扱いか? じゃあ、お前は、物以下でいいな? このゴミが」

 睨み返す目は、その色と反対に冷たく光っている。

「虫の息寸前にまで中毒症状に陥らせた娘に、何を仕込んでいるのかを、知らないとでも思っているのか? あれを、何処で稼働させる計算だ? その計算が狂ってもし、あの客の宿泊するホテル内だったら、どうする気だ? 帰国途中の、交通機関の中だったら? お前らは、テロ行為を行っているも、等しい」

「黙れっ。国を相手取るなら、その位の犠牲はつきものだっ。商売相手の国を信用させるためならば……何がおかしいっ?」

 白い男に真剣に反論していた沢井は、相手の傍で笑う二人の男を見とがめ、つい怒鳴った。

 怒鳴られた方は、少しだけおどけつつも、笑いをやめない。

「相変わらず、この手は屁理屈が上手よね。だから、あたしたちみたいのが、揚げ足を取れるわけだけど」

「この男風に言うならば、オレたちも世間を納得させられますね」

 返り血で顔を染めた穏やかな男が、ゆっくりと口を開いた。

「この国が、自ら戦乱に巻き込まれに行くのを、身近な方々のために止めなくては」

 そのままゆっくりと、立ち尽くす従業員の一人に歩み寄り、手を伸ばす。

「そのためには、犠牲もつきもの、ですよね」

「ひっ、やめっっ」

 穏やかに響く声に、断末魔の悲鳴が重なった。


 響く悲鳴と、楽しそうな見物人。

「……」

 古風な引き込みと殺戮。

現代になってもこれが出来てしまった事実に、セイは驚きを隠せなかった。

 実は少しだけ、セキュリティが邪魔して、こちらの思う通りにはならないのではと、心配していたのだが、いらぬ心配だったようだった。

 昨日の夕方、学校から帰ったセイは、玄関先で古谷家当主に土下座された。

「も、申し訳ありませんっ。私の読みが甘いせいでっ、今度こそは、この件から引いていただけると思っておりましたのにっっ」

「……そういう事になったか。分った」

 悲痛な謝罪により、あらかたの予想がついてしまった。

 古谷家を中心とする、周囲の家々は有能だ。

 血まみれの解決法を良しとしない正当な彼らは、法律を最大限に利用して、セイが今まで扱っていた仕事の取りこぼしを、解決してくれていた。

 その内の一つが、この真田商事のこの部署の件だ。

 異国の抗争が尽きない場所に、ある商品を高値で提供すると言う、どう考えても夢物語な案を、自分たちで採用した従業員の一人に研究させ、現実化しようとしているのは知っていた。

 その様子を監視し、もし現実化してしまった場合の対処も、隠密に長けた家が受け持っていたのだが、セイが護衛のバイトに駆り出されたころ、突然事が動いた。

 その唐突さも違和感があったのだが、ある指示を出すことの方が先だった。

 その事を書いていた箇所が、兎の男や刑事の男の目に留まり、そこを突かれてしまった老練な家々が、陥落してしまったのだ。

 さりげなく、小さく書いていたつもりだったし、対処済みとも記していたのだが、それでは足りなかったらしい。

 真田商事はこの数日で三人ほど、裏稼業から薬依存となって廃人に近い者を、安値で買い取っていた。

 そのうちの一人が、今の自分と同じくらいの年齢だったのだ。

 中学二年の家出少女が、虫の息寸前まで追い詰められ、命を落とそうとしている。

 そこを突かれてもしもの話を出され、側近たちは動揺してしまった。

 見つけた時は既に廃人同然だったため、すぐに保護しても助かる見込みはないから、取引を終えた客の方と接触して少女を保護し、その後薬を体から抜く作業を得意とする若者と、繋ぎを取ろうと考えていたのだが、古谷家当主の土下座を受け、セイは早急にその作業に移った。

 連絡を受けてすぐにやって来た若者は、意外にもあっさりとその荒行を承知してくれた。

「実はな、ミヤの件、間違いだったんだ。悪かったな」

「は?」

 だから報酬はいらねえと言い切った若者に、思わず蹴りを入れそうになりながらも少女を託したが、既に体に染みついた薬は、様々な器官を衰えさせており、この後回復するかは本人次第だと言うことだった。

 そこまで進めてから、水月のいる病室へと向かうと、こちらが考える必要がないほどに、計画は出来上がっていた。

 古谷家にまで侵入した竹田何某は、引き込みに使う。

 その前に、ビルの他の会社の従業員や警備員、清掃員などは警察の権限を利用して、避難させる。

 標的は十数人と少ないので、エン一人が動き、後は見物に回る。

 一気に片を付けずに、一人ひとり丁寧に、黒い過去を耳元で指摘しつつ、弄り殺す。

 ここまで計画しているのなら、自分はいらないだろうと反論すると、水月は真顔で返した。

「見物の二人が手を出さないように、見張れ。それから、エンが遣り過ぎるのも、面倒だ」

「両手を使うのは、久しぶりなんだ」

 舅候補の言葉に同意したエンは、穏やかな笑顔のまま、言われたとおりに一人一人捕まえて、長々と耳元で呟いている。

 あの報告書の黒い罪状を、全て諳んじられるように、暗記したらしい。

 真面目だが、方向性がおかしい。

 一気に葬るのを得意とする男は、表情とは裏腹に苦労しているのだが、見物人たちは呑気だった。

 これも実は、昔から変わらぬ光景なのだが、殺戮される側から見ると、異様だろう。

 ビニールの敷物を敷いて座る見物人たちが、彼らの最期を肴に、酒盛りを始める図は。

 申し訳ないとは思うが、これが昔からの風物詩だったのだと、察してもらおう。

 察してもらったところで、すぐに考えられなくなるのだが。

 無感情で見守っているうちに、残りは沢井部長のみとなった。

 床一面血の海となった中、座り込んでしまった男は、ゆっくりと近づいてくる血まみれのエンから、必死で逃げようと後ずさりしている。

 逃げても捕まるだろうが、それ以前に腰が抜けてしまい、まともに立つこともできないようだ。

「やめろっ。近づいたら、あの娘を殺すぞっっ」

 震える手が、何か掲げた。

 それはペン型のリモコンで、その先のボタンに親指が乗っている。

 震えすぎて、何かの拍子で押してしまいそうな様子だが、エンは構わず足を進める。

「お前らっ、娘を保護したと言ったなっ。死んだら病院が吹っ飛ぶぞっ。それも分かってるんだろうがっ。止めるすべを知っているのは、私だぞっ」

「ああ。人間の体が、機能停止すると同時に、内臓の組織を起爆材にして発火できる薬と、発火した組織に爆発を誘発する薬を仕込んでいたのは、知ってるよ」

 立ち尽くしたままのセイが、無感情に頷いた。

「でもあんたが飲ませた薬は、もう排泄や汗で、体内からは完全に出てる。部下の研究資料、読んでないのか? あれは、健康な体内でしか、浸透して堆積しない」

「はっ?」

「あんな薬詰めの体では、浸透する容量がないんだよ。だからその脅しは、無効だ」

 払いのけるように言い切った若者を呆然と見つめた男が、不意に顔をゆがめた。

「黙れ、この、クソガキがっっ」

 リモコンを投げ捨て、捨て身で殴り掛かった先で、セイは目を細めて言った。

「一気に、は駄目だぞ。特にこの男は」

「ああ、分っている」

 拳は、鼻先にも届かない。

 沢井部長が動いた途端、エンの手がその頭に届いたのだ。

 このまま潰しかねない握力で、声もなく頭をそらす男を見下ろし、エンは穏やかに笑った。

「いやあ、すごいすごい。オレを、最大限に怒らせる奴なんて、獣や異形にも、滅多にいないぞ」

「ひいっっ」

 ようやく声が出て抗う男に、セイの兄貴分は穏やかに笑いながら言い切った。

「うちの弟を傷つけようとする奴は、一番罪深い。誰であろうとも、許さない」

 一気に怒髪天を抜いた男を見ながら、ロンが楽しげに笑う。

 兎の男も苦笑いしながら、言った。

「水月がこの場にいなくて、良かったな。昔と変わっていないじゃないか」

 呑気な会話と悲痛な断末魔が重なり、凄惨な殺害現場が完成したのだった。

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