君と濁って

結城灯理

第1話

「一緒に死のうよ」


 君が愛くるしくてたまらない笑顔で言った。

 暗い夜道でも分かるクシャッとした表情は、世界で僕だけのもの。誰にも触れさせることはない。


「そうだね。それもいいかも」


「やったね。君がいてくれるなら怖いものなんてないよ」


 君がわざとらしくウィンクした。

 閉じた片目の奥で、眠ることをやめないパン工場の煙が立ちのぼっている。小麦の甘ったるい香りが、鼻の奥をくすぐった。


 可愛い笑顔に今日も今日とて尋ねていく。


「どんな風に死のうか」


 君は道に転がってる小石を蹴りながら「そうだなぁ」と呟いた。


「まず飛び降りは絶対やだな、練炭も苦しそうだからやだ。とにかく、辛いのも痛いのもいやだ。綺麗なまま保存できたらいいな」


「ずいぶんわがままだこと」


「だって君には可愛いと思われていたいんだもん」


 君は僕にいたずらっぽく笑いかけた。


「今のままでも充分可愛いし、綺麗だよ」


「社交辞令ですか? 」


 君は有名プロレスラーの名言みたいに元気よく言った。

 ああ、一生隣でこんな風にふざけてくれたらいいのに。元気ですか。


「残念ながら社交辞令じゃないよ。君が本気でやろうと思えば、男からありったけの金を巻き上げられると思う」


「じゃあ、今から億万長者目指そうかな。お金にまみれれば少しは生きたいって感じられるのかな」


 声音や表情は本気に感じられるものがあった。でも、このパターンは、表出されたものとは裏腹に大体冗談だ。根拠は今までの会話。


「そんなことしたら一緒に死んであげないよ」


 君は口を尖らせた。


「うわ。そういうトコずるいよね。私に清楚さ求めてるのうざいよ」


「あれ、死んだとき可愛く、綺麗でいたいんじゃなかったっけ? 」


 君が僕に半歩体を寄せたとき、ほのかにした甘美な匂いを痛覚が打ち消した。足を思いっきり踏まれた。


「痛いな。暴力に走るなんて可愛くないよ」


 君は本当に怒った表情になった。

 そして、まだ踏んでいない方の足めがけて体ごと飛んできた。

 僕の片足に彼女の全体重が乗る。重たいって思ったのは内緒にしておく。


「なんかさっきの十倍ぐらい痛っ! 」


 足を擦る僕の視界に、ほくそ笑んだ顔が映る。


「詳しく教えてくれて嬉しいよ。死んだときに足赤くなってたら私のせいでいいよ」


「君のせいにするよ。君だけ地獄に落ちてしまえばいいんだ」


 ふざけたつもりだったけど、目の前にあったのは存外悲しげな顔だった。


「私たちはいつまでも一緒でしょ」


 僕は真剣な彼女の瞳に、真剣な瞳を返した。


「不安がる必要はないよ。君が死んだら躊躇なく僕も死ぬ。僕にとっては、この夜が世界のすべてで構わない。もし君が勝手に一人でいなくなったら、寂しさで死ぬ」


「うさぎかよ」


「なんだっていいでしょ。僕は自分自身と君を混濁してるんだ」


 高らかに彼女の命へと忠誠を誓った僕は、そのまま唇を奪った。苦味を含んだ甘さが香った。


 多分僕らは、傍から見たら危険な関係だ。一心同体なんていいもんじゃない。

 共依存を超えて互いの全て混濁させて、自分と相手の境界線を完璧に失っている。

 自分の色も自分の意志もない。ただ、相手の全てで自分の脳を冒す。


 僕らの危うさやら暗い未来やらを教えてくれるのであれば、勝手にしてもらって構わない。聞く耳なんかない。

 だって、生きるにはこれしかないんだよ。彼女の笑顔が命綱なんだ。好きに笑ってくれ。

 世間、常識、大人全部消え失せろ。僕らだけの世界だ。


 君は本当に綺麗に笑っていた。綺麗以外の言葉はどうしたって馴染まなかった。


「ありがとう。今日も少しだけ生きたいと思えたよ。出会ってから君には救われてばっかりだね」


「こちらこそありがとう。愛してる」


「社交辞令ですか? 」


 夜が、僕らを包む。オレンジ色した蝶が僕らの周りで戯れていた。


 君はもう、僕のそばにはいなかった。


 見上げた先に君を見つけた。


 僕らは、同じ蝶だった。


 僕も、蝶になる。

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