第三部「蛇のくちづけ」第1話(完全版)
あの子は
生かしておいてはいけない
殺せ
殺せ
殺せ
☆
その夏は、蒸し暑い夏だったという。
それでも昔ながらの日本家屋というのは、良くも悪くも風の通りがいい。風の通り方を考えて作られていることが多い。
それでも回復の見込みが無くなったことと
代々続く
広い一二畳の和室。
大きく開かれた
そんな気持ちのいい風すら、一日の大半を横になって過ごしていた
「もう、いつあの世に行ってもおかしかねえ頃だ…………あんたが来るってことは、そういうこったな」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ。ワシは寺の坊主じゃないわな。デカい神社の改修工事になれば必ず声のかかってた伝説の
タミは地元の歴史ある古い神社────
「……もう昔の話だ…………歳に勝てねえのはお互い様じゃねえか」
田舎の小さな村。
二人の付き合いも長い。
「あんたの歳なら
「……改修? もう一〇年以上は昔の話じゃねえか」
その目はまるで、天井以外に向けられているかのよう。
それに気が付いてか、タミの言葉が少しずつ強くなっていく。
「そうさね……そのくらいにはなるかね…………屋根裏の柱…………〝
直接陽の光の当たった縁側の上に、薄らと、僅かな
──……こんな体になったからこそ、見えるものもあるか…………
そんなことを思いながら、
「そんなことを聞きに……わざわざこんな所まで…………」
それにタミが気が付かないわけがなかった。
「そうさ……あんたがあの世に行く前に聞いておきたくてね……」
「
「屋根を支える柱が総てひっくり返っていたがね…………」
タミのその声が空気を包む。
その雰囲気のまま、タミの声が続いた。
「私に気付かれないとでも思ったかい?
「ほう…………あんたでも知らないものってあるのかい…………」
「ああ……この歳になってもいくらでもあるさ…………応えな、
再び風が入り込んだ。
蒸し暑い真夏の風だというのに、
「…………俺は言われた通りに────」
「────誰にだ」
タミのその声は低さだけではない、
そして、
「…………言われたんだ…………あいつにな…………」
☆
長期予報通り、熱い夏になることを予感させるような春の陽気。
それは同時に、もうすぐ春が終わることを感じさせる。
日曜日。
「あら、熱中症には気を付けてね。畑仕事のおばあちゃん」
車を降りた途端にそう声をかけた
そして懸命に笑顔を抑えながら返した。
「……ま、まだまだ若いもんには…………」
「コントしに来たわけじゃないわよ」
「冷たい……せっかく朝から考えてたのに」
「そんな冷めたボケより、何それ?」
「あ、これ?」
意気揚々と続ける
「電動の小型
「ああ、畑作りたいって言ってたね」
不規則に掘り起こされた庭の土はやはり湿度を纏っているのか、僅かに色が濃い。それを見ながら縁側に腰を下ろした
「うん!」
まるで子供のような表情を浮かべて声を上げる
その表情に応えるように
「なんだかまだよくわかってないんだけどとりあえずやってみようかと」
「うん、よく分かってないことは伝わった。とりあえず熱中症には気を付けてね」
「まだ春だよ」
応えながら、
春の昼前にしては強い陽射し。
すぐに
「春なのに夏日の気温だから言ってんの。でも山の中はだいぶ涼しいみたいね」
「まあね。ここで暮らしたくなった?」
「残念でした。久しぶりに仕事の話したら帰ります」
「…………ずっといてよ……」
少しトーンを落とした
視線を落とした
「…………ここで……一緒に暮らしたらいいじゃん…………ずっと一緒にいよ」
その言葉に、少し
それでも大きく上がった
「ちょっと…………冗談だってば……帰るわけないでしょ。今日は美味しいご飯作ってくれるんでしょ?」
「ふふ…………その通り…………」
途端に
「一晩
「とりあえず美味しいわけね」
「任せなさい」
事実、
例えアルバイトとはいえ、
そして街中にいた時以上に、山の中で生活している
「麦茶飲む? 朝に作っておいたよ」
「水周りのリフォームって全部終わったんだっけ?」
縁側から声を上げる
「この間、台所の排水部分も終わったから、これで全部だね」
言葉のやり取りのようにグラスを受け取った
「お風呂場もトイレも綺麗になったしねえ。外壁もするの?」
中に断熱材など入っているはずもない薄い壁。外は板。中は土壁。冬のことを考えたら、例え
「んー…………やったほうがもちろんいいとは業者にも言われたけど…………屋根と外壁はそのままでもいいかなって思ってる」
こう応えた
「そうなの?」
そう返す
「なんか、この家の見た目って、嫌いじゃないんだよね。屋根の
そう言って
「いいものは残していきたいじゃん。総てが新しいってなんか寂しい感じがして…………勿体ないしね」
その表情に、自然と気持ちの穏やかになった
「なんだか、分かるかも…………お互い歳とったねえ」
「まだまだ若いもんには負けんよ」
「で、今回の仕事なんだけど…………」
「どうしてスルーされるのか」
「仕事には真面目に取り組んでもらいます」
「はーい」
そしてグラスの麦茶を口に運んだ
「ちょっと遠いよ。だいぶ南」
「いいじゃん。新婚旅行みたいで」
「仕事だと心霊旅行だよ…………みっちゃんの依頼だから少し面倒だし…………」
「みっちゃんの依頼が面倒なのはいつものこと。勿体ぶらないで言ってみなよ。
「……霊能力者が絡んでる…………」
「…………ほう……」
そして、その口元に微かに笑みが浮かぶ。
その横顔に、
理由は〝真に認められる人物に会ったことがない〟というものだった。
そのためか、霊感があるという人たちにはなぜか二種類の〝目〟しか存在しない。
嘘を見抜かれるのを恐れての〝
だから自分を信じてくれるコミュニティの中にだけいたがる。否定的な意見を聞きたがらない。そして気が付くと
信じる者と信じない者の壁は厚い。
お互いに相手の考えを聞くことには不安が付きまとう。同じ気持ちの者同士では生まれない気持ちの
それは、出来ることなら誰もが〝
それこそが、
「〝呪われた土地〟って言われてる所なんだけど…………」
「安っぽいなあ、みんなそういうのが大好きだから世界中にあるが」
「まあ、そうなんだけど、今回は〝
「ああ、あそこね…………」
再び後ろに体を倒した
「昔、処刑場があったって言われてる所でしょ? そういう所って全国にあるみたいだけど…………確かそこって、土砂崩れで埋まったんだっけ?」
「その土砂崩れもその処刑場の
「ありがちな設定だなあ」
予想通りの
確かに全国的に見ても有名な場所だった。かつてはテレビでも取り上げられたこともあったようだが、あいにく
今まで
その不安を完全には
「そこもだいぶ前に再開発で住宅地になってたみたいなんだけど、結局自殺者とか体調不良者が続出して今は
「そうだったねえ。今はテレビも見なくなったから知らないけど…………最近はネット動画かなあ。あそこはまだまだ根強い人気みたいだけど…………地元の人間からしたら迷惑もいいとこだろうね」
「でしょうね…………実際行政側も困ってるみたい。元々周りを山に囲まれた
「人口減少の理由がそれだけとは思えないけどね…………」
そう言った
その汗ばんだ首筋を横目で見ながら、
「その〝
「トンネルで交通の
「そんなところでしょうね。地方の街からしたら人の流れが活性化に繋がるわけだし」
「そういう時代か…………」
その
口を開いたのは
「まさか今回の依頼って、市役所とかじゃないよね」
僅かに慌てた自分を見透かされまいと、
「まさか…………
「それもそうだ」
その
「最初に話した霊能力者って……神社のお
「税理士? 耳の痛い話だ」
「相談っていうか、
「さすがに顔広いねえ。でも税理士はまずいなあ。
「それは大丈夫。お金を払うのは霊能力者だけど、税理士経由で直接みっちゃんに渡るし、私たちが税理士に会う必要はないよ。それに…………裏の仕事だって分かって依頼したみたい。もちろん私たちが何者かも知らずにね」
「あの業界の人って、なんだか〝裏の仕事〟が好きだよねえ…………」
「まさか…………みっちゃんってほら、なんか裏で手を引いてる
「どんな理由だ…………ま、よほど困ってるってことかな。税理士ってことは行政とも繋がりがあるか…………地方の閉鎖的な田舎街ねえ……手間のかかりそうな仕事だなあ」
──……まさか…………早速何か感じてる…………?
「それよりさあ」
再び振り返った
「
「ちょっとだけでしょ⁉︎ してません!」
「認めたじゃん。私の背中に興奮して────」
「してないから!」
☆
さほど夜の業界が忙しくない時期でもある。
五月のゴールデンウィークが終わった直後。人の動きは少ない。
今回の仕事はさすがに
季節外れの夏日が続いていたが、その街は海から距離があるにも関わらず比較的穏やかな気候だった。
周囲の山の連なりが影響していることは明白だ。低い山々とは違い、標高が高めの山が多い。山から降りてくる風の通り道も形状的に確保されているため、空気が
そんな説明を、なぜか
古いテナントビルの三階。
昨今の陽気のせいか、すでにエアコンのスイッチが入っていた。
その応接室には三人だけ。
その
「それで、今回のご依頼の件なのですが…………」
穏やかな笑顔。
目の前のグラスの隣に置いた名刺に視線を落としたまま、
「ええっと…………
──……みっちゃん……寝返ったな…………
「ご安心を…………お二人のことは
笑顔でそう応える
「すべて⁉︎」
「
「つねづね⁉︎」
「実は以前から存じ上げておりました」
「以前から⁉︎」
──……目をつけられてたか…………
「すでに何度か、お二人には私からの依頼を受けて頂いているんですよ」
そう続ける
麦茶を冷やしている氷が小さく音を立てると、
「────何度かって──」
「私の名前と職業は
「……はあ」
「なんか…………隠れてこういうのって、かっこいい感じがしてましてね…………」
そう言って、まるで子供のような笑顔を浮かべる
「
「これからもよろしく」
「それはありがたい」
──……裏の
その
「いつかお会いしたいとは思っていましたが、私の職業柄…………お二人が嫌がるんじゃないかと
──……そりゃそうだ…………
そう思いながらも
「そうでしたか…………それで、今回のご依頼ですが────」
「ドキドキしますね」
無邪気な笑顔を見せる
──……この人もだいぶヤバいな…………
「ではまず、時系列順にご説明します。現在〝
「心霊スポットって
その
「そうですね。戦国時代というんですか…………今はありませんが
そこに言葉を挟んだのは
「土砂災害で生き残ったのって何人だったの?」
「お一人と
「一人だけ?」
「確か若い女性だったと聞きましたが…………残念ながらそれ以上は…………」
「ふーん…………」
小さくそう応えた
そして続けた。
「ごめん、続けて」
「はい…………市が再開発を始めたのが平成元年です。年号が変わったことでイメージを変えたかった意図もあったようですが、平成最初の公共事業ということで力を入れたそうですよ」
「その時の住宅地は無事に完成したんでしょ?」
「はい、最終的には五年ほどで…………それなりに事故はあったでしょうが、村の名前も無くなったことで災害とは言っても風化いたしますし、住民も増えて何も問題はなかったといいます。私が税理士の職に就いたのがその頃でしてね。おかしな話が広がり始めたのが、確か平成一〇年頃だったと思います。世帯数は五〇程度あったのですが…………そのほとんどで次々と自殺者が出ましてね」
「
そう言って麦茶を一口だけ飲み込んだ
「そうです…………しかも精神
「そして
「もちろん以前から新たな再開発の話はあります。近くにトンネルを掘って、同時進行で
「元の住人でまだ生きてる人は? 土地の所有者問題とか」
「総て市が買い取りました。そのくらいに大規模な公共事業計画だったんです」
「そっか、トンネルが出来て企業進出を
「そういうことです。しかし、事故があまりにも多過ぎました。いくら大規模な工事とはいえ、一〇年で三〇人近くが亡くなっています…………元々噂のあった土地ですし、最近になってまた話題になってきましてね」
「それで霊能力者を頼んだの?」
そう言った
それでもすぐに返す。
「直接的には、以前にお
「地元の人?」
「ええ…………残念ながらまだ効果は無いのですが…………事務所の立ち上げ段階で私が絡んでいる方でもありましてね」
──……やっぱり気になるか…………
そう思った
「なるほど…………事の流れは分かりました。でも
「ええ」
そう言って
「今回は私の地元ですし、だからこそ……今回は無理をしてお二人に会わせて頂きました」
そして
──……変なことにならなきゃいいけど…………
そう思った
「お
そこに笑みを浮かべた
「
そして、
☆
強い陽射しが容赦無くフロントガラスを突き抜けていた。
すでに車内もエアコンが必須の暑さ。
すでに街中から少し離れ、周囲の建物が少なくなり、やがて舗装された道路は登り坂へ。
車の外に山の影が見えてくると、後部座席の
──……やっぱり、土地に何か…………?
やがて道路の左右を埋める住宅の群れが突然現れた。
ほとんどが似たような二階建ての家。行政の土地開発の一環で
「確かに見事なまでの
外の景色を眺めながらそう
運転席から
「取り壊しの業者ですら見付からない
道路の
しかも住宅地全体ではかなりの広さ。その点でいくと行政が見捨てられないのも
市の中心部からは若干の標高の高さがあったが、目線を変えれば見晴らしのいい場所とも言える。小さなスーパーマーケットのような建物も見えた。中心地からの交通の便も悪くはない。元々冬でも雪が積もるようなことは稀な地域。立地条件だけなら住みやすそうにも見える地域だった。
「
思わず声をかける
「ん…………大丈夫」
しかしその目は何かを
──……水晶が熱いんだ…………
「こちらが、土砂災害の時の
そう言って外に出る
標高のせいか、陽射しの強さに反して、まだお昼時だというのに風が涼しい。
住宅地の外れ、周囲の林に隣接した場所。
五メートルはありそうな立派な
「毎年の
そう言いながら、
そして、
なぜか
──…………どうしたの?
「鳥の声がしない」
──……ホントだ…………
春。
季節的にも野生動物の静かな時期でもないはず。
応えたのは
「そうですね…………この近辺の山にはどういうわけか野生動物がほとんどいないそうですよ」
「まさか」
「下には畑もありますが、獣害と無縁の土地だそうでして……住みやすい所だと思うんですけどねえ」
──……そういえば…………この街に来てから虫も見てない…………
──…………どうして………………
そして、遠くからの車の音。
ここは
心霊スポット巡りの車なら夜。それ以外の車が来る理由はない。
やがて、その車は
そこに振り返る
車を降りてきたのは小柄な女性だった。
「
──……なるほど……そういうことか…………
すぐに
「お待ちしてましたよ
──……
女性は自らの身長の低さを利用するかのように腰を軽く曲げると、わざと低い位置から
「ふーん…………」
女性は目を細めながら続ける。
「どんな霊能力者が来るのかと思ったら…………ただのおばちゃんじゃん」
──……やっぱりそうくるか…………
「こちらは
──……あれ? ……この子…………
何か、吸い込まれるのとは違う。
それでもその目は、
「
身長の高い
軽く視線をずらしながら
「……よろしく」
すると
「それで……あちらの方が…………」
全員が顔を向けた時、林を見上げて背中を向けたままの
「大したことないね」
そしてゆっくりと首だけ振り返った
「でもそのゴスロリのスカートから伸びる太もも…………私は好きだよ」
「変態⁉︎」
そして、
☆
昭和四三年。
その村で古くから続く
父、
決して大きな神社ではなかった。それでもその村にとっては生活の中心。
そして
しかも必ず
僅かに黒味がかった〝火の玉〟と、透明な〝水の玉〟。
必ず
純日本産の水晶は珍しい。そしてこの二つの水晶は
通常は三才になる時に正式に伝承されてきたが、タミの言葉によって産まれた直後に伝承されることになる。
「
田舎の小さな神社。
そのタミが続ける。
「屋根裏の
本来、建物の柱は太さや長さに関わらず、木が地面に生えていた時と上下は変えない。わざと一本だけ逆にするという考え方もあるようだが、それは〝完成したものは後は
それをするとしたら、その多くは〝
「それで母上、理由とは、どういう…………」
「…………〝
「
「神が
「そうですね……警戒はしておきます。無事に
「
母の
出産時、
退院した日の夜、寝ている
「お母様…………どうされました?」
そう聞く
「…………
その夜、
「かなざくらの古屋敷」
〜 第三部「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます