舟中も敵国

せにな

第1話

 7月29日。2人の警察官はとあるマンションで頭を悩ませていた。



 7月27日の午後21時頃、犯人らしき人物からの電話により、マンション内で遺体となった21歳の女性を発見。

 電話主はボイスチェンジャーを使っており、性別不明。

 公衆電話を使っていたことから、特定できず。

 胸部には包丁が刺さっており、ソファーに仰向けになった状態で発見。

 室内はどこも散らかっておらず、争った形跡なし。

 窓の割れも発見できなかったことから、侵入逃走ともに玄関である可能性あり。

 ただ、玄関の鍵はかかっていた。

 この証拠から、犯人は被害者との関係が深い可能性がある。



 そんな大雑把な説明をされた俺は思わずため息が出てしまう。


「おいおい実況見分してそれか?舐めてんじゃねーぞ」

「そんなこと言われましても……。一応他にもあるんですよ?少し不可解ですけど」

「あるならさっさと言え!報連相だろ!!」

「あ、はい!」


 不可解という言葉が少し引っかかりはするが、証拠は証拠。


 慌てて資料を取りに行く部下の田辺に向けていた視線を、ソファーに貼られた白いテープに向ける。


「にしても生々しいな」


 田辺から渡された写真と、ソファーについた血痕を交互に見る。

 写真で見る女性――前田沙苗――は包丁を抜こうとしたのだろう。意識を失ってもなお、つかを握る被害者の手にはびっしりと血がついている。


 そしてメイクをしていないのだろう。真っ青になった頬と唇が目立つ。

 一重も相まってか、目を開けたまま倒れる沙苗さんは正直言って怖い。


「ほんで、部屋は何ひとつとして散らかってないと」


 辺りを見渡し、部屋の隅々にまで目を通す。

 これも田辺の言った通りでなにも散らかってない。本当に殺人が起こったのか?と疑ってしまうほどに部屋がピカピカである。


 ……まぁ、このソファーは除くけど。


 そうして走って帰ってくる田辺の手には複数枚の資料があり「そんなに隠し持っていたのか」と呆れのため息が漏れる。


「怒らないからさっさと言え」

「もう怒ってますよね?」

「いいから言え!」

「あ、はい!」


 なぜか敬礼をする田辺は一番上にある資料に目を通す。


「えーっと、まずこの部屋には2人の女性が住んでいました」

「……なぜそれを先に言わない」

「タンスが2つあるので気づいていたのかと」

「リビングにねーだろ!」

「寝室に入ってないんですか?」

「ずっと一緒にいたんだから分かるだろ!次!」

「あ、はい!隣の寝室で交換日記らしきものを発見しました」

「なぜそれを先に言わんのだ!さっさとそれを持ってこい!」

「あ、はい!」


 またも律儀に敬礼をする田辺は踵を返し、寝室にあるであろう交換日記を取りに行く。


 あいつは本当にどうやって警察になったんだ?

 たまーに。ほんっとたまーーに頭が切れるときがあるのだが、それ以外は頼りにならない部下だ。

 愛嬌がない……と言えばうそになるが、仕事ができるに越したことはない。


 扉が開かれたままの寝室を見やる俺は、ベッドに目を向けた。

 枕は2つだが、明らかに1人用のベッド。

 2人暮らしをしていたと田辺が言っていたのだが、嘘じゃなかろうな。


 自然と細めてしまう視界の中に、慌てて寝室から飛び出してきた田辺が入ってくる。


「どうかしました?僕の顔に何かあります?」

「ちげーよ。あのベッド、明らかに1人用だろ?なんで2人暮らしって断言できるんだよ」

「それが不可解な点の1つでして。この交換日記を見てください」


 そう言って差し出された交換日記は至ってシンプルなもの。

 表紙に花柄があるわけでもなく、茶色一色で塗りつぶされていて、名前の1つも書かれていない日記帳。

 そんな日記帳に首を傾げながら、俺は手袋をつけて1ページ目を開く。


『S:3月20日。Sが沙苗でNがせな。お互いに言い合いたいことがあるならここに書くこと』


 上下揃った綺麗な文字が綴られている下に『N:りょ』という短い言葉だけが返されているページ。

 沙苗さんが書いた字よりも線の歪さが目立つせなさんの文字。


 約4ヶ月前から始まったこの日記には、毎日どちらかの文字が書かれていた。

 その日のバイトの事。とある男性と出会ったこと。友達と遊んだこと。

 まるで中学生のような交換日記に目を通す俺は罪悪感すら覚える。


 ペラペラと流し読みだが、最後まで目を通した俺は目を細めたまま田辺を見る。


「これのどこを見て2人暮らしって断言できたんだ?」

「あ、いえ。そちらは別に関係ありません。2人暮らしが断定できたのは2冊目のこっちでして」

「はよ見せんかい!」


 渋々懐から出してきた2冊目の日記帳を、俺は叩くように奪い取る。


「あ、証拠ですから乱暴に扱わないでください」

「じゃあさっさと出さんか!」


 睨みを飛ばす俺は、田辺に背を向けて1ページ目をめくる。

 瞬間、ナイフが飛び交うような文字が目に入った。


 Sと書かれた文字の後ろは本当に沙苗さんなのか?と不思議に思う歪な字が綴られており、その下にはNと書かれたこれまた歪な字が記されていた。

 言葉も乱暴なものばかり。黙れだの死ねだのビッチだの。

 1冊目のほわほわとした会話が嘘かのように全てが変わっていた。


『6月29日。

 S:男連れ込むなら先に言え

 N:言いましたけど 毎週土曜に来るって』


『7月4日。

 N:私のタンス勝手に開けないで 汚い 服も触らないで

 S:自分で開けたんでしょ 人のせいにしないで 

 N:てか昼に掃除するのやめて

 S:私の家を掃除して何が悪いの』


 そんな単調な言葉たちが7月26日まで綴られている。

 この会話を見れば確かに2人で生活しているということが分かるが、なぜ日記で会話しているのだろうか。

 喧嘩をしている2冊目ならまだしも、1冊目のほわほわとした会話を交換日記でする必要なんてない。


「……なるほど。これが不可解の点ってわけか」

「そうなんですよ。だから迷ったわけなんです」

「正当化しようとするな!全部伝えろ!」

「あ、はい!」


 お馴染みの敬礼を見届けた後、日記を持ったまま寝室へと向かう。

 田辺が閉じなかった扉をくぐり、寝室を見渡す。


 入居したてなのだろうか。

 趣味の一つも見当たらない部屋はとにかくシンプルで、隅々までが綺麗だ。

 日記にも書いてあった通り、沙苗さんはかなりの綺麗好きらしい。


「あ、ほらそこ。タンス2つあるでしょ?」

「……言われなくても分かってるっての」


 扉から顔を覗かせる田辺は入口の隣にあるタンスを指さす。

 律儀にも、左側の白いタンスには『沙苗』という付箋が張られ、右側のタンスには「せな」と書かれた付箋が張られている。


 勝手に開けるなと怒っていたのも相まってか、この文字にかなりの圧を感じてしまう。


「ちょっと開いてみてくださいよ。面白いものが見れますよ?」

「言われなくても開くっての……」


 怖気づく俺の事なんてなんのその。ジェスチャーをする田辺は、相変わらず顔だけを出したまま指図してくる。


 というか面白いものってなんだよ。

 思わず訝し気な表情を浮かべてしまう俺は持ち手を握り、左側のタンスを開いた。


 けど、特に変わった物は何もなし。

 白や水色の下着に、緑のロングスカートや白のTシャツ。

 沙苗さんはザ・清楚系というファッションをしている。


 そして次に右側のタンスを開く。

 こちらは沙苗さんとは真逆の地雷系?ファッションが多く目立つ。

 ピンク色の服が沢山あり、そのほとんどにリボンが付いている。


 確かに左右でのファッションの違いはあれど、面白いものはなにもない。

 だからタンスを閉まって田辺の方に睨みを――


「ポケットにある写真見てくださいよ」


 分かりやすくニヤつく田辺は、タンスを指していた指を俺のポケットに持って行く。


「んだよ」


 なんて言葉を零しながらも写真を取り出した俺は、前田沙苗さんの姿を見……る……。


 初めて見た時はそういうファッションかと思って流していた。

 だが、今見れば明らかに不自然だ。


「上がリボンのついたピンク色の服。そして下は水色のギャザースカート。ね?面白いでしょ?」

「それを先に言わんかい!」

「あ、はい!すみません!」


 本当にたまーに頭が切れる奴だな!ずっとその頭の切れを維持してくれ!

 そんな視線を田辺に送る俺は少し考えこむ。


 犯人は何か意図があってこのような服装にさせた。

 それは間違いない。が、なんでだ?その意図はなんだ?


 犯人は沙苗さんとせなさんの仲が悪いことを知っていた。だから着させた。

 いやそれはないな。仲が悪いならまず沙苗さんが着ないだろうし。


「考えてますね」

「当たり前だろ……。田辺も考えろ」

「えー?だって分からなくないですか?上下それぞれ違う服を着させる意味なんてあります?」

「それを考えるんだろ」

「んー。なら、せなさんの服の上から包丁が刺さっていることについて考えてみます?」

「せなさんの服の上から……?」

「そうです。被害者は沙苗さんなんですよ?でも、上の服はせなさんのもの」

「言われてみれば確かにおかしいな」


 先ほども思考を巡らせた通り、せなさんのことを嫌っている沙苗さんが地雷系の服を自ら着るとは考えにくい。

 でも、包丁が刺さっているのはせなさんの服。

 ……ますます分からん。


「とりあえずこのことについては一旦置いておこう。今考えてもきりがないからな」

「もっと閃き力があれば……」

「おいその言葉誰に言ってる?」

「もちろん僕です!」

「そうか」


 気持ちをリセットするように口を動かす俺は、寝室からキッチンへと移動する。

 台所には水が少量入ったポットと茶袋があり、その2つから視線を外す俺は、流しの下にある扉を開く。

 すると、包丁が一本だけ取り出されているのを見つけた。


「犯人はここにあった包丁で被害者を刺したんだな?」

「恐らくそうです」

「なるほど」


 手を顎に添える俺は、立ち上がりながらキッチンから見えるリビングに視線を向ける。

 そしてまた、考え込もう――


「あ、そういえばですけど犯人は多分、沙苗さんと一緒に暮らしていたせなさんですよ?」

「……だろうと思ったけど、言うのが遅い!あらかた予想がついてるのなら先に言え!」

「あ、はい!」


 別に言わなくても大体の予想は付くのだが、予想の照らし合わせは大切である。

 食い違った場合、お互いの意見を言い合い、真の犯人に近づける可能性だってあるのだから。


「……というか、せなさんをここに連れて来いよ」

「いたら連れてきてますよ。けどいないんですよ。どこにも」

「逃げられたってことか……?」

「いや違うんですよね。尻尾がつかめないんです。この家のどこにもせなさんの指紋がなく、どこにも身分を証明するものがないんですよ」

「はぁ?指紋ぐらいあるだろ。この家で暮らしてたんだろ?」

「そのはずなんですけどね。タンスの奥にあった手袋を履いて生活でもしてたんですかね?」


 逃げる際にすべての指紋を拭き取るということは不可能に近いだろう。

 ましてや毎日のように掃除をしなければ――


「って田辺、今なんて言った?」

「え?タンスの奥に手袋があったってことですか?それなら洗面所の洗濯かごの中にも複数枚の手袋が入ってますよ?」

「なぜそれを先に言わん!案内しろ!」

「あ、はい!こっちです!」


 敬礼を施した田辺は俺の前を歩き、玄関から入ってすぐ手前にある扉を開いた。

 そこには洗面所があり、化粧品やら赤と黄色の歯磨きやら青と白のコップやらが並べてある。


 隣にはドラム式洗濯機があり、これまた数日分の服が入った洗濯かごには律儀にも『沙苗』『せな』と書かれた付箋が貼られている。


 タンスのときもそうだったが、たかが2人暮らしでこんなに付箋を貼るだろうか。

 日記帳を見るに、かなり自分のものに対して敏感になっている。だから間違えるはずがないと思うんだがな。


 右側――『せな』と書かれた付箋――の洗濯かごに手をいれる田辺はガサゴソと目的のものを探す。

 こいつは女性の洗濯かごに対してもズシズシ行くのか。罪悪感のひとつもないのか?

 まぁ俺からしたらありがたいことなんだが。


「あっ、ありましたよ」


 そう言って田辺が取り出したのは焦げ茶の革手袋。

 バイク乗りがつけていそうなその手袋は、田辺の様子から分かるように洗濯かごの奥底に沈められていた。つまり――


「手袋の内側の指紋調べんかい!」

「あ、はい!」


 つまり、この手袋は事件に強く関係している可能性がある。


 犯人は多分せなさんで確定だろう。

 この部屋で2人暮らしをしているのにも関わらず指紋のひとつもない。尻尾を掴ませないために手袋をつけていたとするのなら、かなり前から計画していた犯行と見られる。


 慌てて洗面所から姿を消した田辺は、外にいる鑑識部の人に手袋を渡しに行く。

 そんな田辺に続くように俺も洗面所からリビングへと戻り、ベランダへと目を向けた。


 10階にあるこの部屋からはキレイな街並みが見下ろせる。

 沙苗さん、せなさん共にかなりの財力があったと見て良いだろう。

 ……というか、仕事内容のひとつも伝えられてないな?どうなってんだあいつ。


 なんてことを考えていると、鑑識部に手袋を渡し終えた田辺が謎の資料を2枚手に持って返ってきた。


「んだそれ」

「え、怒ってます?」

「沙苗さんとせなさんがどんな仕事をしていたのか知らないからな」

「あーなるほど。沙苗さんは近くのコンビニで働いていて、せなさんは尻尾もつかめていないのでわかりません。質問があるなら最初から聞いて下さいね?」

「一言多いわ!さっさとその資料の説明せんかい!」

「あ、はい!この資料ですけど、不可解な点があります!」

「またかよ」

「包丁に付着していた指紋は1人分しかありませんでした!」

「あ?それのどこが不可解なんだよ」


 先ほどの写真と手袋を見ればその理由なんてすぐに分かる。

 犯人は手袋を履いて包丁を持っていた。そして沙苗さんは包丁を引き抜こうとつかを握った。

 これだけの推理で簡単に理由を当て付ける事ができるのだ。それのどこが不可解だというんだ?


「見てませんでした?さっきの手袋、返り血がついてないんですよ」

「あー……」


 思わず頷いてしまった。

 確かにあの手袋には返り血のひとつもなければ汚れのひとつもなかった。


「だからといってどこが不審なんだ?返り血のついた手袋を持って帰ったっていう可能性だってあるんだぞ?」

「ちなみに僕が不審に思っている点は指紋のことですけど、指紋のことではなくてですね」

「……は?」

「手袋をつけてたらそりゃ指紋なんて残りませんから」

「なにが言いたいんだよ」

「つまりですね、この指紋の形――被害者の手の親指は内側に向いてるんですよ」

「はぁ。それのどこがおかしいんだよ」


 思わず吐いてしまう呆れのため息は白いテープが貼られたソファーに落ちる。

 それを見かねたのか、田辺はジェスチャーをしながら必死に伝えようとし始めた。


「だってですよ?普通胸にある包丁を抜く時、親指を外に向けて抜きません?」

「んなもん知らねーよ。刺されたことないんだから」

「刺されたことないんですか?」

「は?田辺あるのかよ」

「ないですよ」

「ないのかよ」


 明らかに的外れなことを口にする田辺をあしらった俺は、もう1枚の資料を指差す。


「んで、そっちはなんだ」

「あーこっちですか?こっちは周りの住人に色々質問してきたものですね」

「どんな質問をしたんだ?」

「えーっと、まずは騒音ですね。昼と夜、1日2回も洗濯機を回してるらしいですね。後は、1ヶ月1回、稀にエッチな声が聞こえてくるんだそうですよ」

「後者は別にいらんだろ……」

「そして次はせなさんについてですね。ピンク色の服を着た女性が夜にたまに出てくる。そして土曜日に男を連れ込む。とのことですよ」

「……それだけか?会話をした人はいないのか」

「沙苗さんならあるみたいですけど、せなさんとは誰も会話をしていないようで」

「なるほどな」


 その後も田辺からどんな質問をして、どんな答えが返ってきたのかを聞く。

 そしてそれをまとめるとこんな感じだ。


 毎日、あの部屋からはどちらかが出てくる。

 せなさんは夜間の行動が多い。日中外に出たとしても、男を送り出すのみですぐに部屋に戻る。

 沙苗さんは日中の行動が多い。欠かさず朝方に家から出て、よく住人とお話をするらしい。稀に夜間、男を連れ込むことがある。

 そのことから、日中の洗濯はせなさんが回し、夜間は沙苗さんが洗濯を回していると考察できる。


 重要となるのはこのあたりだろうか。

 私服も、夜間のせなさんはピンク色が目立ち、日中の沙苗さんは清楚が目立つとのこと。

 男の特徴も田辺から聞き出そうとしたのだが、その必要はなさそうだ。

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