第2話 約束の日




 

「ここがお前らの家だ。余ってる部屋や置いてある家具は好きに使っていい。それとまた明日、来るから、問題は起こすなよ。」


 案内されたのは煉瓦れんがづくりの洋館だった。

 二つの尖塔を繋げたような造形をしていて、広々とした庭まで付いている。

 古めかしさはあるが、それさえおもむきにしてしまうような立派な館だ。少なくとも、俺達のような素性の分からない相手に貸し出すような場所ではない。


 だが、今の状況でそれを無邪気に喜べる者などいない。皆一様に無言で割り当てられた部屋へと閉じこもっていく。

 俺もそれに続こうとした時、呼び止められる。


「ちょっと待って貰っても良いかな?」


 振り向くと、空を閉じ込めたような大きな瞳が見つめている。

 白皙の耳朶を通って肩へと落ちる黒髪。

 顔立ちの整った容貌は中性的で、桜の花びらのような薄い唇が悠然とした微笑みをかたどる。

 まるで絵画の美女のように、可憐な美人だった。


 とはいえ、今はそんなことにかまけている気力は無い。一人で考える時間が欲しくて、少しぶっきらぼうに返す。

 

「なんだ?」

「君が眠っていた時に何があったか、知りたいだろうなと思って、話し掛けたんだけど、必要なかった?」

「いや、要る。」


 即答した。

 今はどんな労力よりも情報にこそ価値がある時間だ。

 碧眼の女性は大きな目をぱちぱちとまばたきし、苦笑する。


「現金だね。私はフルヤ・シズク。君は?」

「アカツキ・トウヤ・・・・・学校は・・・・・」


 そこまで言って、言葉が詰まってしまった。口にした瞬間に頭にもやが掛かり、何を言っていいのか分からなくなる。

 顔を顰めて、脳を必死に働かせるも、何の効果もない。

 更に躍起になって思い出そうした時、ぽんと肩に手を置かれ、諌められる。


 見れば、俺を気遣ってくれていた背の高い男だった。


「無理しない方が良いよ。あんまり考え過ぎると頭が痛くなるから。僕もそれで酷い目に会った。」

「・・・・・そうさせて貰う。」

「うん。ちなみに僕はサガラ・イエヤス。僕も話に参加していいかな?」


 鷹揚に訊くイエヤス。

 張り詰めていた先程とは異なり、春の穏やかさと夏の爽やかさを兼ね備えたような心地の良い佇まいだ。


 俺はすぐには答えず、シズクの方を見て、伺いを立てる。この話の主催者はシズクだ。彼女の許可なしに了承するのは義理に反する。


「勿論、大丈夫だよ。」

「それなら俺も問題ない。」

「ありがとう。」

 

 イエヤスを加え、俺達は一階の応接室に移動した。


「まず僕達が起きたのは大きな塔の手前だった。」

「塔?」

「うん、グレンさん、あの赤い髪の人が、ダンジョンって言ってた場所。今はもう遅いから見えないかもしれないけど、明日になればここからでも見えるはずだよ。」


 そんなにか。

 内心、驚嘆する。


 この館に来るまでにちらほらと建築物を散見したが、趣深いとは思っても、高いとか、大きいとかは特段、感じなかった。


 だが、この口振りから察するに、相当、大きな塔らしい。それこそ摩天楼まてんろうのような。

 想像を膨らませながら、ダンジョンの話を詮索する。


「・・・・・実際に入ったりしたのか?」

「いや、気にはなったけど、それよりも先に落ち着く事を優先した。君もまだ寝てたしね。」

「なるほど。」


 結論から言えば、それは正しい選択だったんだろうな。ダンジョンの中では死ぬ可能性もあるって言ってたし。


「それから皆で話し合っている途中にグレンさんがやって来て、知りたいことを教えてやるって言ったんだ。」

「・・・・・何か分かったのか?」

「ううん、あの人が教えてくれたのは、『稀人』がどうして現れるのか、こっちの人にも分からないって事だけ。本当、頓智とんちが利いてるよね。」


 シズクが冗談めかして肩を竦めると、俺は軽く笑った。


(まるで『無知の知』だな。何も知らなくても、知らない事だけは知っている。)


 そこまで考えて、俺は違和感に気付き、眉間を険しくした。

 『無知の知』の意味は分かるのに、誰がそれを唱えたのか、どこでそれを覚えたのか分からなかったからだ。


 敢えて、知識を『情報』、記憶を『経験』と分けて扱うが、名前や年齢などは記憶ともいえるが、自分のことを端的に表現する知識の側面もある。


 『無知の知』の件もそうだ。どこで覚えたのかは『経験』にあたるが、誰が唱えたのかは『情報』にあたる。

 そう考えると、記憶だけを失っているという説明では現状を説明し切れていない。

 より厳密に言えば、特定の知識や記憶を失っている状態が正しい。


「どうかしたの?難しい顔して。」

「いや、なんでもない。」


 その作為的な自己に対して、俺は推測を走らせたが、口にすることはなかった。

 不安が蔓延している中で、迂闊うかつなことを言えば、パニックになるのは必至ひっしだからだ。


「ふぅん。」


 シズクは目を細め、試すような生返事をする。

 大胆な事に疑っていることを隠す素振りさえない。

 突き刺さる疑いの眼差しを意図的に無視し、話題転換になりそうな話をイエヤスに尋ねる。

 

「他に情報はないのか?」

「あ、逃げた。」

「あとは皆の名前くらいだよ。」


 念の為、それも聞いておく事にした。

 小柄な男がコイケ・ゴウ。

 俺を蹴った厳つい男はシジマ・ダイキ。

 巻き毛の女がタニヤマ・アイリ。

 一切、喋らなかった眼鏡の女はモリナガ・ユイ。

 記憶の中の顔と名前を照合し、頭に叩き込む。


「どう覚えた?」


 つまらなそうに机に突っ伏し、細い顎を腕に乗せるシズク。答えてくれないことに不満は覚えつつも、詮索するつもりはないらしい。

 そのことに感謝して、力強い頷きを返す。


「あぁ、大丈夫だ。」

「本当?あとでテストするよ?」

「それならお前の名前以外は覚えておく。」

「別に良いよ。それでも顔は覚えて貰えるし。」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべる。

 まったく、減らず口を。

 小気味の良い軽口の応酬は、思いつめた俺の心を少しだけ軽くしてくれた。







 翌朝、宣言通り現れたグレンに連れられて、俺達は冒険者登録を行った。


 昨日の話もあったので、内心恐々きょうきょうとしながら街を出歩いたのだが、注目されているのはグレンばかりで俺達は見向きもされなかった。


 そこで少し安心したのは、グレンが怖いって認識はこの街の人々にも共通していること。

 同業者らしき屈強な大男がグレンの顔を見ただけで、おののいていたところを見るに、相当恐れられているらしい。

 これなら俺たちが無闇むやみに攻撃の対象になることも無いはずだ。


 登録した後はグレンの独断と偏見による武器が各自に与えられ、街にある道場へと送られた。

 いきなり戦場に送り出されなかったのは彼なりの誠意なのだろう。


 俺は刀を渡されたので、他の剣術道場とは一風変わった道場に送られ、昼間はそこで武器の扱いを学んだ。


 日が暮れて館に戻ると、今度はイルミナの街で使われている文字の手引書が手渡された。

 正直、慣れない稽古で疲弊し切っていたので、かなり辟易へきえきした。

 シジマ、コイケ、タニヤマの三人に至っては勉強することを放棄してしまったぐらいだ。


 ただ、一度、手を付けて見ると、本当に割と面白く、夢中になってやってしまった。

 その手引書はイルミナで使われているプリトゥ語とニホン語という謎の文字で書かれていて、ニホン語の方は恐ろしいほど意味が理解出来た。


 勿論、プリトゥ語の方は苦戦したのだが、定期的に分かるという快楽を得ているので、思ったよりもストレスにはならない。

  本を読むような感覚で勉強出来た。


 それから次の日も、次の日も、次の日も、同じ事の繰り返した。

 朝昼は道場で稽古に励み、夜間は勉強に勤しむ。

 そして、一週間が経った頃、


「明日、ダンジョンに行く。今の内に心構えをしておけ。」


遂に約束の時がやって来る。




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