ダンジョンの最深部は異世界に繋がっている

沙羅双樹の花

第1話 プロローグ


 




 ダンジョンの深淵は異世界に繋がっている。


 これは信じてもいい事なんだよ。

 だって、ダンジョンはあんなにも不思議な場所なんだから。


 内部は誰が付けたとも知れない松明たいまつが並んでいて、暗がりだって日の光も無しに薄らと見える。


 上の階へと上ると更に不思議なことが起きて、建物の中だってのに、平野が広がってたり、森林が茂っていたり、さっき居た場所とは全く別の場所に繋がっている。


 魔物もそうさ。

 奴らは象よりも大きなからだを持つ癖に、取ってつけた玩具みたいな羽で悠々と飛翔する。

 死んだ時には、むくろは光になって消えて、代わりに青い水晶みたいな魔石を落とす。

 こんな意味不明な生き物はダンジョンにしかいない。


 きっと異世界の法則が働いてるに違いない。その証拠に、冒険者達だって、ダンジョンに入り浸ってると、超人みたいな膂力りょりょくを手にしたり、摩訶不思議な力を使えるようになる。異世界の法則が体に馴染なじんじまうんだ。


 何よりだ。稀人まれびとの存在がダンジョンと異世界の存在を裏付けてる。

 陽炎かげろうみたいに、ダンジョンの入口にいきなり現れるあいつらは、皆、共通して記憶を失ってる。

 なのに、全員、何処かへと帰りたいって思うらしい。


 そいつらの行先ゆきさきは、決まってダンジョンだ。

 きっと魂が覚えてるんだ。自分が何処から来たのか、何処から自分の世界に帰れるのかを。


「なるほどな。ただ昨日は、ダンジョンは女神の見ている夢の世界だって言ってなかったか?」


 俺がそう言うと、噺家はなしかの男ははたと動きをとめ、じろりとこちらを睨みつける。すっかり白けてしまった表情を見るに、機嫌を損ねてしまったらしい。


「ちっ、冷やかしなら他所でやんな。ほら、帰った帰った。」


 舌打ちを一回し、しっしっと犬でも追い払うような仕草をする。

 仕方なく俺が露店の前から離れると、彼は大通りを歩く人々に向かって、大声で客引きをし始めた。

 商魂たくましい事である。


(余計な事、言っちゃったな。)


 俺は小さく溜息を吐き、黒い髪を手でく。

 言い訳になるが、決して彼のはなし与太話よたばなしだって揶揄やゆしたかった訳じゃない。

 なんならこの世界で最も信じている人間の一人だ。そうでないなら命など懸けたりしない。


 そう、稀人まれびととは俺の事だった。


 彼の語ったように、生業なりわいを冒険者に選び、毎日のようにダンジョンを探索して、飯を食い、その深淵を目指している者だ。


 記憶が無いのも本当。全ての記憶がきりに包まれたみたいに曖昧あいまいで、覚えているのは、アカツキ・トウヤという名前だけ。


 しかし、時折、夢を見る。決して見たくない悪夢みたいな夢だが、不思議と懐かしく、とても帰りたくなる。


 この胸を苦しめる望郷感ぼうきょうかんの理由が知りたくて、彼の話を聞いたのだが──まぁ、あのぎなはなしを聞くに、多分、何もヒントは得られそうにないな。


 踵を返し、露店に背を向ける。

 無数の人々が入り乱れる雑踏の中へと入って、帰路に着く。見慣れた街並みを眺めながら、俺は少しだけ振り返ってみることにした。

 この街、イルミナへとやって来てからの激動の一年間を。

 

 

 

 ◇

 


 


「起きろ。」


 短い一言と腹部へと蹴りを叩き込まれた衝撃に俺は目を覚ました。

 強烈な圧迫感と鋭い痛みに、肺の中の空気を吐き出し、せ返る。

 真っ暗だった意識が、火花が散ったように真っ白に変わった。


 (一体、何が起きた?)


 悶絶もんぜつしながら考える。周囲の状況を確認するべく、何とか目を開けるも、涙でにじんだ視界では、薄らとした人影しか見えない。

 ただ言い争いのようなものは聞こえてきた。

 

「どうして蹴ったりしたんだ!?」

「あいつが起きてねぇからだろ。こっちはもう何分も待たされてんだ。」

「それは蹴っていい理由にはならないよ。」

「うるせぇな、てめぇらも蹴り飛ばされてぇのか?」

「言い争いは辞めろ。そろそろ彼が起きる。」

 

 冷水を浴びせかけるような低い声の主の言う通り、腹部の痛みが徐々に引き、俺はようやく身を起こした。

 睫毛まつげを濡らす涙を拭って、部屋を見渡す。


 部屋には俺を除いて七人の男女がいた。内三人は立っていて、三人がソファーに座っている。残り一人は部屋の奥、窓を背に黒檀こくだんの事務机に着いている。

 どうやらここは執務室のようだ。

 

「大丈夫かい?お腹とか痛くない?結構、思いっきり蹴られてたから、怪我とかしてないと良いんだけど。」

 

 上背のある男がこちらまで寄ってくる。立っていたので、恐らく、言い争いしていた人物の一人だろう。彼は心配そうに眉根を寄せて、病人を相手にしているように俺の身体を労る。

 

「あ、あぁ、大丈夫。もう痛みは引いたみたいだ。」

「それなら良いんだけど。」

 

 彼は憂いの感情を残した眼差しで俺を数秒程、観察した後、後方を振り向き、厳つい面立ちの男を睨めつける。

 状況から考えるに、彼が俺の腹を蹴った人間なのだろう。


 厳めしい顔の男は鬱陶し気に舌打ちを一回し、視線を無視する。そして、恐らくはこの部屋の主である赤髪の男へと向き直る。


「おい、これで全員起きたぞ。さっさと現状を話しやがれ。」

「良いだろう。だが、その前に言っておく。この部屋の主は俺だ。次、勝手な振る舞いをすれば、容赦なく殺す。」

「はぁ!?」


 厳つい男が声を荒らげた瞬間、赤髪の男の右手が水平に閃いた。

 ひゅっと風を切る音が聞こえた。

 瞬きを一回した後、そこには驚きの光景が広がっている。

 赤髪の男の手にはいつの間にか鈍色に輝く剣が握られていて、その切っ先は厳つい男の首元にえられている。二メートル以上も離れている男の首にだ。


「嘘だろ。剣が伸びてる……?」


 その仕掛けは単純で、剣が伸びていた。

 それも連接剣のような仕掛けギミックによるものではなく、何の変哲もない鋼の剣がピンと張られた糸のように伸長している。


 非科学的で、有り得ない現象だ。

 だが、目の前の現実を否定することは出来ない。

 夢だと断じるには俺の感じていた痛みも、張り詰めた空気も、生のものに似すぎていた。


 信じていた何かががガラガラと崩れ落ちていく感覚がした。きっと途方に暮れるというのはこういうことを言うのだろう。


 俺は言葉を失い、厳つい男が両手を上げて、降参する様をただ眺めていた。


「もう一度だけ、言ってやる。ここで暴力を振るうことが許されているのは俺だけだ。その権利を侵害するのなら、誰だろうと容赦しない。分かったか?」

「わ、分かった……」


 恐れの混じった屈服を聞き届けると、剣はするすると帯が巻かれるように収縮する。

 やがて、元の大きさに戻った剣を鞘へと納め、赤髪の男はもう一度、黒革の椅子へと腰かけた。


「それでは、気を取り直して、説明する。先ず、お前たちは『稀人まれびと』と呼ばれる存在だ。自分の名前以外の記憶を持たず、突然このイルミナの街に現れた。」

「ちょ、ちょっと待て!?記憶がない!?どういうことだ!?」

「待たない。記憶がない事は後から確かめればすぐに分かることだ。今は大人しく聞いていろ。」


 咄嗟に叫んだが、赤髪の男の反応は冷淡なものだった。事務的に正論を突き返し、俺の感情を置き去りにして、話を進める。

 こちらを見向きもしないところを見るに、どうやら本気で無視する気みたいだ。

 今は従うしかないか。

 俺は内心、忌々しく思いながらも、男の言う通り、話に集中する。


「そして、我々、【迷い人の住処ジプシーズ・ホーム】はお前たちのような人を支援するために作られた互助組織だ。お前たちが冒険者になるのなら、喫緊の衣食住は保障しよう。」

「冒険者?」

「ダンジョンを探索して、日銭を稼ぐ職業のことだ。それでも分からないなら、化け物専門の傭兵ぐらいに思っておけばいい。」


 傭兵という剣呑な単語に俺や背の高い男は表情を強張らせる。

 その一方でソファーに座っている小柄な男は「傭兵って何のことだ?」と暢気なことを言っている。頼むからしっかりしてくれ。


「……簡単に言うと、お金で雇われた民間の軍人のことだよ。」

「軍人って戦うってことか!?」

「はぁ!?そんなの嫌っ!!」


 男の隣に座っている巻き毛の女がヒステリックに叫ぶ。絹を裂くような叫喚は耳障りだが、気持ちはよく理解できる。誰が好き好んで凄惨せいさんな死が蔓延はびこる戦場に行きたがるのか。

 だが、赤髪の男は冷徹だ。甘っちょいことを考えている俺たちに冷たい現実を突きつける。


「それなら支援は無しだ。恐らく、遠くない未来に死ぬことになる。」


 俺はぐっと歯噛みする。

 こうなるだろうとは思っていた。


 現状を完璧に把握しているとは言い難いが、現状をかんがみるに、記憶を失っている上に、外部からの支援が必要な状況に俺たちは置かれているのは確かだ。

 でなけば、他の六人が男の話に付き合う道理がない。

 その状況で救いの手を撥ね退ければ、大変な事になるのは火を見るよりも明らか。

 交渉が頓挫とんざして困る立場なのはこちらなので、必然的に主導権は向こうが持っていることになる。


 だからこそ、簡単に弱みを見せる愚行を犯してはいけない。何とか譲歩を引き出さなくては。


「あぁ、言っておくが、日雇いのバイトをするとか言い出すなよ。どこも雇ってくれる場所などないからな。」


 そんな浅ましい思考を見透かしたように、赤髪の男は機先を制する。


「いや、それどころか殺される可能性すらある。」

「こ、殺される!?」

「驚くこともない。お前たちはこの街の市民でもなければ、住民でもない。まして奴隷でも、賎民ですらない。言ってしまえば、それらの階級にすら守られない『人ではない者アウト・オブ・カースト』だ。面白半分でお前らを嬲り、殺したところで誰も文句を言うことはない。」


 嘘を言っているような気配はなかった。

 淡々と事実のみを積み重ねているようだったからこそ、俺たちを酷く動揺させた。


 本当なのか?いや、この際、本当かどうかはどうでもいい。

 もしも、欠片でもそんな思想の持ち主がこの街にいるとするのなら、俺たちは問答無用で殺させる可能性がある。

 公的には禁じられていたり、全員がそう考えていなかったとしても、俺たちは最悪の想定を考えて、行動せざるを得ない。


「でも、それって冒険者になっても同じなんじゃないの?そういう差別意識って根強いし。」

「まぁ、完全に差別の対象から外れるわけではない。だが、法律によって保護されているし、万が一には我々も介入する。舐めた真似をするものには、武器を持って教訓を垂れる。」

「野蛮だね。最低だ。」

「好きに言うといい。自分の身も守れない人間の言葉は軽い。」


 黒髪の女の非難に皮肉を返し、会話を打ち切る。

 そして、部屋全体を見渡し、決断を迫った。


「さぁ、選べ。死を座して待つか、戦って前に進むか。全ての選択はお前たち次第だ。」


 俺は、俺達は、戦って前に進む道を選んだ。

 

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