ダンジョンの最深部は異世界に繋がっている
沙羅双樹の花
第1話 プロローグ
ダンジョンの深淵は異世界に繋がっている。
これは信じてもいい事なんだよ。
だって、ダンジョンはあんなにも不思議な場所なんだから。
内部は誰が付けたとも知れない
上の階へと上ると更に不思議なことが起きて、建物の中だってのに、平野が広がってたり、森林が茂っていたり、さっき居た場所とは全く別の場所に繋がっている。
魔物もそうさ。
奴らは象よりも大きな
死んだ時には、
こんな意味不明な生き物はダンジョンにしかいない。
きっと異世界の法則が働いてるに違いない。その証拠に、冒険者達だって、ダンジョンに入り浸ってると、超人みたいな
何よりだ。
なのに、全員、何処かへと帰りたいって思うらしい。
そいつらの
きっと魂が覚えてるんだ。自分が何処から来たのか、何処から自分の世界に帰れるのかを。
「なるほどな。ただ昨日は、ダンジョンは女神の見ている夢の世界だって言ってなかったか?」
俺がそう言うと、
「ちっ、冷やかしなら他所でやんな。ほら、帰った帰った。」
舌打ちを一回し、しっしっと犬でも追い払うような仕草をする。
仕方なく俺が露店の前から離れると、彼は大通りを歩く人々に向かって、大声で客引きをし始めた。
商魂
(余計な事、言っちゃったな。)
俺は小さく溜息を吐き、黒い髪を手で
言い訳になるが、決して彼の
なんならこの世界で最も信じている人間の一人だ。そうでないなら命など懸けたりしない。
そう、
彼の語ったように、
記憶が無いのも本当。全ての記憶が
しかし、時折、夢を見る。決して見たくない悪夢みたいな夢だが、不思議と懐かしく、とても帰りたくなる。
この胸を苦しめる
踵を返し、露店に背を向ける。
無数の人々が入り乱れる雑踏の中へと入って、帰路に着く。見慣れた街並みを眺めながら、俺は少しだけ振り返ってみることにした。
この街、イルミナへとやって来てからの激動の一年間を。
◇
「起きろ。」
短い一言と腹部へと蹴りを叩き込まれた衝撃に俺は目を覚ました。
強烈な圧迫感と鋭い痛みに、肺の中の空気を吐き出し、
真っ暗だった意識が、火花が散ったように真っ白に変わった。
(一体、何が起きた?)
ただ言い争いのようなものは聞こえてきた。
「どうして蹴ったりしたんだ!?」
「あいつが起きてねぇからだろ。こっちはもう何分も待たされてんだ。」
「それは蹴っていい理由にはならないよ。」
「うるせぇな、てめぇらも蹴り飛ばされてぇのか?」
「言い争いは辞めろ。そろそろ彼が起きる。」
冷水を浴びせかけるような低い声の主の言う通り、腹部の痛みが徐々に引き、俺はようやく身を起こした。
部屋には俺を除いて七人の男女がいた。内三人は立っていて、三人がソファーに座っている。残り一人は部屋の奥、窓を背に
どうやらここは執務室のようだ。
「大丈夫かい?お腹とか痛くない?結構、思いっきり蹴られてたから、怪我とかしてないと良いんだけど。」
上背のある男がこちらまで寄ってくる。立っていたので、恐らく、言い争いしていた人物の一人だろう。彼は心配そうに眉根を寄せて、病人を相手にしているように俺の身体を労る。
「あ、あぁ、大丈夫。もう痛みは引いたみたいだ。」
「それなら良いんだけど。」
彼は憂いの感情を残した眼差しで俺を数秒程、観察した後、後方を振り向き、厳つい面立ちの男を睨めつける。
状況から考えるに、彼が俺の腹を蹴った人間なのだろう。
厳めしい顔の男は鬱陶し気に舌打ちを一回し、視線を無視する。そして、恐らくはこの部屋の主である赤髪の男へと向き直る。
「おい、これで全員起きたぞ。さっさと現状を話しやがれ。」
「良いだろう。だが、その前に言っておく。この部屋の主は俺だ。次、勝手な振る舞いをすれば、容赦なく殺す。」
「はぁ!?」
厳つい男が声を荒らげた瞬間、赤髪の男の右手が水平に閃いた。
ひゅっと風を切る音が聞こえた。
瞬きを一回した後、そこには驚きの光景が広がっている。
赤髪の男の手にはいつの間にか鈍色に輝く剣が握られていて、その切っ先は厳つい男の首元に
「嘘だろ。剣が伸びてる……?」
その仕掛けは単純で、剣が伸びていた。
それも連接剣のような
非科学的で、有り得ない現象だ。
だが、目の前の現実を否定することは出来ない。
夢だと断じるには俺の感じていた痛みも、張り詰めた空気も、生のものに似すぎていた。
信じていた何かががガラガラと崩れ落ちていく感覚がした。きっと途方に暮れるというのはこういうことを言うのだろう。
俺は言葉を失い、厳つい男が両手を上げて、降参する様をただ眺めていた。
「もう一度だけ、言ってやる。ここで暴力を振るうことが許されているのは俺だけだ。その権利を侵害するのなら、誰だろうと容赦しない。分かったか?」
「わ、分かった……」
恐れの混じった屈服を聞き届けると、剣はするすると帯が巻かれるように収縮する。
やがて、元の大きさに戻った剣を鞘へと納め、赤髪の男はもう一度、黒革の椅子へと腰かけた。
「それでは、気を取り直して、説明する。先ず、お前たちは『
「ちょ、ちょっと待て!?記憶がない!?どういうことだ!?」
「待たない。記憶がない事は後から確かめればすぐに分かることだ。今は大人しく聞いていろ。」
咄嗟に叫んだが、赤髪の男の反応は冷淡なものだった。事務的に正論を突き返し、俺の感情を置き去りにして、話を進める。
こちらを見向きもしないところを見るに、どうやら本気で無視する気みたいだ。
今は従うしかないか。
俺は内心、忌々しく思いながらも、男の言う通り、話に集中する。
「そして、我々、【
「冒険者?」
「ダンジョンを探索して、日銭を稼ぐ職業のことだ。それでも分からないなら、化け物専門の傭兵ぐらいに思っておけばいい。」
傭兵という剣呑な単語に俺や背の高い男は表情を強張らせる。
その一方でソファーに座っている小柄な男は「傭兵って何のことだ?」と暢気なことを言っている。頼むからしっかりしてくれ。
「……簡単に言うと、お金で雇われた民間の軍人のことだよ。」
「軍人って戦うってことか!?」
「はぁ!?そんなの嫌っ!!」
男の隣に座っている巻き毛の女がヒステリックに叫ぶ。絹を裂くような叫喚は耳障りだが、気持ちはよく理解できる。誰が好き好んで
だが、赤髪の男は冷徹だ。甘っちょいことを考えている俺たちに冷たい現実を突きつける。
「それなら支援は無しだ。恐らく、遠くない未来に死ぬことになる。」
俺はぐっと歯噛みする。
こうなるだろうとは思っていた。
現状を完璧に把握しているとは言い難いが、現状を
でなけば、他の六人が男の話に付き合う道理がない。
その状況で救いの手を撥ね退ければ、大変な事になるのは火を見るよりも明らか。
交渉が
だからこそ、簡単に弱みを見せる愚行を犯してはいけない。何とか譲歩を引き出さなくては。
「あぁ、言っておくが、日雇いのバイトをするとか言い出すなよ。どこも雇ってくれる場所などないからな。」
そんな浅ましい思考を見透かしたように、赤髪の男は機先を制する。
「いや、それどころか殺される可能性すらある。」
「こ、殺される!?」
「驚くこともない。お前たちはこの街の市民でもなければ、住民でもない。まして奴隷でも、賎民ですらない。言ってしまえば、それらの階級にすら守られない『
嘘を言っているような気配はなかった。
淡々と事実のみを積み重ねているようだったからこそ、俺たちを酷く動揺させた。
本当なのか?いや、この際、本当かどうかはどうでもいい。
もしも、欠片でもそんな思想の持ち主がこの街にいるとするのなら、俺たちは問答無用で殺させる可能性がある。
公的には禁じられていたり、全員がそう考えていなかったとしても、俺たちは最悪の想定を考えて、行動せざるを得ない。
「でも、それって冒険者になっても同じなんじゃないの?そういう差別意識って根強いし。」
「まぁ、完全に差別の対象から外れるわけではない。だが、法律によって保護されているし、万が一には我々も介入する。舐めた真似をするものには、武器を持って教訓を垂れる。」
「野蛮だね。最低だ。」
「好きに言うといい。自分の身も守れない人間の言葉は軽い。」
黒髪の女の非難に皮肉を返し、会話を打ち切る。
そして、部屋全体を見渡し、決断を迫った。
「さぁ、選べ。死を座して待つか、戦って前に進むか。全ての選択はお前たち次第だ。」
俺は、俺達は、戦って前に進む道を選んだ。
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