第48話 梅小路、自宅
フローリングの床に現代アート風のデザインのモダンな玄関。
薬寺院駅からほど近い都心の一等地に建つ一軒家が、両親と共に梅小路が住む家だった。
「ただいま」
「お、お帰りなさい、うめ」
おずおずと出迎えた母親に一瞥をくれただけで、梅小路は二階の自室へと赴く。部屋の扉を開けると、散らかっていたベッドの上の下着は整頓され、乱れていたシーツは綺麗に畳まれていた。
上着とゴミで足の踏み場もなかった床も綺麗に整頓されている。
母親がやってくれたのだろう。
『また散らかして、早く片付けなさい』
『整理整頓ができないのは、やる気がないからよ』
『こんな散らかった部屋、お義父さんに見られたら私の立つ瀬がないわ』
ベッドに体をうずめても、耳の奥にこびりついて離れない母親の怒声がよみがえってくる。少し服装が乱れただけで、八十点だった数学が七十五点になっただけで一時間以上お説教された。
両親が許してくれるかはわからないが、大学は家から離れたところに行きたい。
両親に気を使い、学校でも気を張って、ぷっつりと何かが切れてしまったのが一年前の中学三年の時。
何をするにもやる気が出ず、朝は起きられなくなり昼も授業の内容が頭に入らず、家に帰ると数時間はベッドに突っ伏さないと動けない。
部屋は荒れ放題になり、宿題はほとんどしなくなって、学校から両親に連絡がたびたび行くようになった。
怒鳴ってもひっぱたいても反応のなくなった梅小路をさすがにおかしいと思ったのか、父親の知り合いだという大学病院の内科の医師に連れていかれた。
モルモットか実験用マウスに転生した気分になる精密検査でも異常がなく、やがて回された心療内科でうつ病と診断された。
しつけが厳しすぎることも原因だと。
その時の両親の顔を梅小路は一生忘れないだろう。
汚らわしいものに触れたような眼。後悔と、嫌悪。
だがその日以降、梅小路の生活に安息が訪れた。腫れ物にさわるような扱いになり、しつけと叱責、罵声に暴力がなくなる。
小学校の頃からずっと興味があったゲームもやっと買ってもらえたし、教育に悪いからと見せてもらえなかったアニメも視聴が許された。
ただ指先を動かし目の前の画面だけに集中できる時間が心地よかった。
親への感想など考えずにだらだらと見るアニメがあっという間に好きになった。
それに比例して成績も急降下したが、かろうじて留年は回避していた。
公立校と違って私立の中高一貫校は中学でも容赦なく留年にされる。
内部進学ができるミッションスクールでよかった。高校受験などすれば必ず失敗していただろう。
ふと、梅小路の脳裏に今日出会った男子が思い浮かぶ。
「この髪を、あんなにもまっすぐ褒めてくれたました」
この髪を初対面で見た人は珍しがるか、気を使って触れないかの二つの反応しかなかった。
だが彼だけは違っていた。おべっか、口先だけの心配、自己満足と変わらない優しさ、今まで自分が向けられた感情のどれとも違っていて。
ただ純粋な心根だけがまっすぐに伝わってきた。
彼の視線を思い出すと、胸が疼く。
初対面で自分の名前とタイムリープのことを知っていた。未来の自分と出会っていたと言っていたが、どういう関係だったのだろう?
知り合い? 友人? それとも・・・・・
なぜか梅の花が咲く神社で彼と歩いている自分の姿が浮かんできて。ベッドに倒れこんだ梅小路はその妄想を慌てて打ち消した。
だが、同時に熱くなった体まではどうしようもなかった。
「どうしたんでしょう、これでは、まるで……」
一度動き始めた指は止まらなかった。彼の顔を、声を思い浮かべながら手で慰める。
「ンッ!」
右手が下腹部に導かれると、それまで感じたことのないしびれが全身に走った。
今までが静電気だとしたら、今日は雷に打たれたかのよう。
これまでも自分でシたことはある。
両親に隠れてできる気分転換がそれくらいしかなかったから。
だが、これほどに甘いしびれを感じたことはない。
こんなにも、胸が切なくなったことはない。
未知の感覚におっかなびっくりとしていた指の動きは、あっという間に荒々しく激しくなって。
その夜、梅小路は気を失いかけるまでシた。
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