第41話 奪ってしまえ
新谷は張り付いたように動かなくなっていた唇を、こじ開けるようにして胸の内を語る。
医療従事者という仕事柄、人の悩みを聞くのに離れていた。だが自分の悩みを話すことは慣れていない。だから患者との会話を思い返しながら、できるだけ丁寧に話していく。
タイムリープのことを話すわけにはいかないから、梅小路に告白されたこと、自分に自信がないから断ったこと、梅小路を泣かせてしまったこと。そして彼女の鳴いている顔を見ることが何よりもつらかったことを話す。
話してどういう顔をされるだろうとか、どういう風に自分が思われるだろうとか考えるゆとりはなかった。
ただ、自分の思いを少しでもぶちまけて楽になりたかった。
話している最中に丹波口が淹れてくれた二杯目のコーヒーがすっかり冷めてしまった頃、ようやく話し終える。
会話が途切れると、世界が静寂に包まれたように感じられた。豪雨は丹波口の住む古都を覆い尽くし、家の外からは雨粒が世界を叩く以外の音がほぼ聞こえない。
「……」
何も言わずに耳を傾けていた丹波口と、家に入ってから初めて目が合った。これだけの愚痴を聞かされて、愛想をつかしたのか、嫌われたのか、出て行って欲しいと思っているのか。ネガティブな考えがとめどなく浮かんできて、新谷の胸は不安に押しつぶされそうになる。
基礎ゼミのクラスで嫌というほど見たショートの髪の下の人懐っこい笑顔。今この時は、真剣なまなざしをこちらに向けていた。
こんな顔もするのか。
告白された直後だというのに、かわいいなと思ってしまった。 メイクの賜物か驚くほどに長いまつ毛、縁を彩られた大きな瞳は茶褐色で琥珀のよう。
やや丸みを帯びた鼻。全体的に小顔で、梅小路と比べると幼い印象を受けた。
「こんな時にまで、梅小路さんのことを……」
新谷は内心苦笑する。彼女の笑顔を壊したのは、ほかならぬ自分なのに。
口に出したわけではない。だが男が他の女のことを考える時、目の前の女は想像できないほどの鋭敏さでそれを感じ取る。
女とはしょせん、そんなものだ。
やがて丹波口の唇がゆっくりと開かれる。審判を受ける被告人のような思いで、新谷は身を固くした。
「それがどないしたん?」
だが丹波口の第一声は、実にあっけらかんとしたものだった。
わざとらしくあごに手を当てながら、考え込むように視線をローテーブルの上に落とす。
「なんというか…… ケンジがなんでそんなん自分に自信がないって思いこみよるかはわからへん。特に陰キャっぽいのに、対人トラブルの解決に関してはマジ凄いわ。まあ、やりかたには何度かビビったけど」
「ケンジと違って共学やからな、告白って結構近くで見てきたんよ。告白前のクラス全体の浮ついた雰囲気とか、あからさまなキョドり方とか、そういうのも含めてな」
「告白の段階からすれ違いでうまくいかへん、っていうのは初めてのケースやけど……」
丹波口はいったん言葉を切る。なにかをこらえるように体をこわばらせながら、大きく息を吸い、そして吐いた。
「うめのこと、好きなんやろ?」
胸が疼くようなときめき、梅小路と出歩いたときの楽しさ、一緒にゲームした時の真剣な面持ち。そういった思い出が次々に新谷の心に浮かんでは、彼女の泣き顔に打ち消される形で消えていく。
「いや、好きって言葉だけじゃ足りへん。彼女が泣いたらそないになるまで自分も悲しくて、彼女が笑ったら幸せな気持ちになれるんやろ?」
「そうだよ。そうだけど……」
自分はこの先就職浪人して、家族にさえひどい迷惑をかけるかもしれないのだ。
そんな新谷の表情を見て、丹波口は苛立ったように声を上げた。
「あーもう、うだうだ考えすぎや!」
ローテーブルに強く掌を打ち付けた。
「ケンジが今話すべきなのは、うちやない。うめやろ?」
その言葉に新谷は頬を殴られたような衝撃を受けた。
「なら、こんなところでうじうじしとる場合やあらへん。傘貸したるさかいに、行ってき!」
「なんで、うちいつもこんなんばっかりなんやろ」
新谷が家を出ていくと、丹波口はその場に突っ伏してしまう。
体がだるい。指一本動かしたくない。
なのに涙だけは止まらなかった。
新谷の話を聞きながら、ずぶぬれになって俯いた新谷の姿を見ながら、弱弱しい声で自分にすがる新谷の背中を見下ろしながら。
丹波口の頭にはずっと悪魔の声がささやいていた。
新谷を奪ってしまえ、と。
弱っているところに優しい言葉をかけられれば、心が揺れない異性はいない。
高校時代に丹波口が告白されるのは、きまって試合で負けた選手を慰めたときだった。
さっきは新谷を落とす千載一遇のチャンスだったと、新谷が目の前にいた時も、たった今も思う。
正面から優しく抱きしめるべきだった。
「大丈夫や」と励ましの言葉をかけて、背中をさすってあげて。
新谷が感極まって泣き出したら、胸を貸してあげればいい。
そのまま自分のおっぱいに興奮したら、抱き合ったままであおむけに倒れればいい。自分は経験ないけれど、新谷が優しくリードしてくれただろう。
「でもそんなん、うめがかわいそうや……」
梅小路がクラスで孤立しかかっていた時の顔、新谷がケガした時のパニック、そして新谷と過ごすようになってからの笑顔。
奪ってしまえ、そう思うたびに彼女の顔がちらついて。結局実行できなかった。
ふと気が付くと、どしゃぶりの雨はいつの間にか止んでいて。雲の隙間から光芒が差し込み、雨上がりの古都を優しく照らしていた。
「はは…… おてんとうさまも、ウチの敵か」
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