第38話 結婚

 話が長くなってきたので、二人は境内のベンチに腰掛けることにした。


 目の前にはまばらな参拝客が境内を練り歩き、まれにカメラを構えて写真をパシャリしている。


 観光シーズンではないお陰か、マナーの悪い外人や空気の読めない悪ふざけをする陽キャはいない。


 時折梅を干す巫女たちの方から、熟し始めた梅の香りが漂ってくるのが雅だ。


 新谷がとりだしたペットボトルの水を飲んで一息つくと、二人は会話を再開する。


「タイムリープできることに気が付いたのは、中学生の頃でした。すっごく嫌なことがあるとふと意識が遠くなって、見たはずの景色やしたはずの会話が再び繰り返されるんです」


「はじめは、周りが私をからかってるのかなって思ってました。でも、時計の針や太陽の位置、空を飛ぶ飛行機の軌跡とかを見ると、ああ、私は本当に時間を戻ってるんだなって、わかりました」


「でも、アニメみたいに便利な能力じゃないんですよ? 勝手に時間を戻ることも多いですし、戻った後はしばらく寝込んじゃいます」


「なにより、私の病気には無力ですからね」


 新谷は決して茶化さず、否定せず、梅小路の話を聞いていた。


「十年もタイムリープしたのは初めての経験で…… 何週間も寝込みました。病み上がりの身体で急遽座命館大学の別の学部へ受験しなおすのは大変でしたけど。親への説得も骨が折れましたが」


「なんで、そこまでしてこんなことを?」


「決まってるじゃないですか。新谷先生と、あらためて出会いをやり直すためですよ」


 横に座っていた梅小路が、体ごと首を回して新谷に向き直った。


「先生はいつまでたっても私を患者、としてしか見てくれなかったじゃないですか。何度聞いても連絡先すら教えてくれませんでしたし。興信所を頼って調べる方法も考えましたけど、先生がびっくりするでしょうし」


「でも私が病院に通う頻度は、どんどん減っていって。先生と会う機会も少なくなって。このままじゃ、と焦ってたんです」


「でも、君は正社員の試験を受けるって張り切ってたじゃない。親が喜んでくれる、って笑ってたじゃない」


「親?」


 梅小路の瞳から色が消える。同時に声からも一切の抑揚が消えた。


「それは迷惑かけたことに対するつぐないです。そもそも私を追い詰めてばかりいた両親のことなんて大嫌いです。家族に愛情を抱く人間の気持ちがそもそも理解できません。家族なんて、しょせんは血のつながってるだけの他人です」


 この物言いにも、新谷は一切のショックを受けなかった。


 ここまで梅小路が親に怒りをあらわにしたのは初めてだが、親に虐待を受けてきた人間はごまんと見てきた。


 むしろ、梅小路の反応の方が正常だと思う。


『虐待はしたけれど、それは親が不器用だったから。本当は私を愛してくれているはずなんだ』こう考える人間ほど、逆にトラウマを克服できない。


 自分を傷つけた人間に怒りを覚えるのはごく自然な感情だ。だが親は子供を守ってくれるという本能と常識が、自然な感情を阻害する。


 いつの間にか梅小路の黒い瞳から、一筋の涙が零れ落ちていた。


「梅小路さん…… 無理に話さなくてもいいから」


 だが再び新谷を見上げたその表情は、見惚れるような、澄み切った笑顔。


「やっぱり、先生じゃなきゃ駄目ですね」


 ふと、周囲が明るくなる。空を見上げると、灰色の雲の隙間から光芒が差し込んでいた。


 雲の切れ目から地上へと降り注ぐ放射状の光線が、梅の木越しにはっきりと見える。


「私がいわゆるキモいこと、メンヘラなトークをしても新谷先生だけはそれをまっすぐ受け止めてくれる。


「男も女も変わりません。私が外見に気を使っている間はちやほやして。私が身なりを気遣う余裕もなくなると、手の平を返す。私がうつ病で発作を起こしたり、支離滅裂な言動を取ったりすると距離を取るくせにそれを隠しておとなしく振る舞うと途端に態度を変える」


「私がどんな状態でも態度を変えないのは、先生だけだったんです。優しくて、気遣いがあって、私が望む言葉をかけてくれる」


 梅小路はそこで大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。姿勢を正し、新谷の視線をまっすぐに受け止める。


「新谷先生。私と結婚を前提におつきあいしてくれませんか」


 境内に吹き抜ける風が冷たさをさらに増した。いつの間にか日は陰り、敷き詰められた玉砂利を灰色に染め上げている。


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