第19話

 アンは寝室にて、大きくため息をついた。


 誰もいないせいか、落ち着かない。

(ふう、明日は皇太子殿下にお会いできるかしら。もし、お会いできたら私をどう思っておられるのか聞いてみよう。好意を持っておられないのだったら、諦めて実家に帰ろう)

 そう思いながら、寝返りをする。部屋はカーテンを閉め切ってあるため、暗闇が広がるばかりだ。

 頭が冴えてしまって眠気がなかなか来ない。アンは今迄の事を思い返してみた。

 身一つも同然でやってきて、転がりこむように入った後宮で他の妃にどう思われているか、最初はわからなかった。それでも、自分を疎んじている人がいるのはわかった。

 そして、受け入れられていない事も。それでも、後宮を退く事は現状では難しいだろう。アンが側妃から、正妃になれば。余計にサミュエル皇太子は自分を手放しはしない。

 実家には帰れなくなる。兄や妹達とは会えなくなるのだ。そこまで考えてアンは不毛なだけだと思考を中断した。

 そして、瞼を閉じて深い眠りに落ちていった。




 翌日、アンはカトリーヌに言いつけて、皇太子殿下に時間に余裕があったら自室に来て頂きたいと手紙を届けさせた。朝食を終えて間なしの時だったので侍女達は慌てていたが。

 そして、一時間程経ってから、一人の侍従がアンの部屋にやってきた。その手には封蝋が押された手紙があった。

「…西の御方様。殿下から、お返事です」

「わざわざ、ありがとうございます。殿下にもお手数をおかけしましたと伝えてください」

「かしこまりました」

 侍従がアンの側にいた侍女のカトリーヌに手紙を手渡した。受け取ると侍従は礼をして、部屋を出て行った。

 アンは早速、手紙をペーパーナイフで開けてから、内容を確認した。

 <西の御方へ

 元気にしておられるだろうか。君から手紙をもらうとは思わなかったので驚いている。さて、私に話があるとの事だが。

 今は政務の審議や公務で時間が立て込んでいるから、夜であれば構わない。なので、それまでは待っていてもらえないだろうか?

 他の側妃達の手前、時刻は夜中になるかもしれないが。では、体調にはくれぐれも気を付けてほしい。>

 簡潔に綴られていて、筆跡も男性らしい力強さがある。それでも、丁寧に書かれているのも分かるだけにアンは思い切って、手紙を出して良かったかもと思った。

「…御方様。殿下からは何とありますか?」

「朝から昼間は執務で時間が立て込んでいるから、夜になるとあるわ。それまでは待っていてもらいたいと。ただ、そうね。他のお妃方の事があるから、夜中になるかもしれないわね」

「そうですか。確かに殿下はこのところ、スルガ国や他国との外交に先日のリナリア様の一件の後始末などでいつも以上に忙しそうになさっていましたから。しかも、側妃の方々へも通われて。お体がいくつあっても足りないとおっしゃっていたと聞きました」

 カトリーヌがふと、思い出したように言った。体がいくつあっても足りないとは確かにその通りだ。

 アンはせめて、自分にできる事があれば、殿下を支える事もできるのにと思ってしまう。気持ちに変化が起こっている事に密かに驚きながらもそれも悪くないなと笑ってしまいそうになる。

 どうかしましたかと不思議そうにするカトリーヌに何でもないと言うアンであった。




 夜になり、空には三日月が昇る。細いそれの明かりは頼りなく、新月に日が近いと人々に告げているかのようだ。そう、感慨を抱きながらもアンは窓を閉めてカーテンも同様にする。

 サミュエル殿下は夜中にならないと来ない。それはわかっていたが、落ち着かない。

 どうしたらいいのだろうとそわそわしながら、想い人を待つ。まるで、その言葉そのものな状況に顔は熱くなる。やっぱり、手紙を出すんじゃなかったか。

 そう思っても、もう遅い。出してしまい、しかも返事までもらっているのだから。気分を落ち着かせようとベッドに潜り込んだ。

(そうだわ。もう、この際だから寝てしまいましょう。別に夜中じゃなくてもいいじゃない。そうよ、昼間のお時間がある時に来て頂いた方がよっぽど、好都合だわ)

 そう、自分で納得しながら、瞼を閉じようとした。だが、控えめにドアが鳴らされたのだ。アンは当然ながら驚いて、閉じかけていた瞼をパチリと開いた。

 そして、ドアの向こうから呼びかける声がした。

「…あの、御方様。お休みの途中、申し訳ありません。殿下がお越しです」

 声はカトリーヌのものだった。それで、完全に目が覚めたアンは返事をしながらも心臓が縮み上がりそうなのを何とか、落ち着かせようと深呼吸をする。

 その間にドアの向こうで人のざわめく気配がした。そして、ドアが静かに開かれる。

 現れたのは金色の髪に青の瞳の皇太子ーサミュエル殿下だった。アンは彼の姿を見て心臓が跳ね上がりそうになり、慌てて胸を押さえた。

「…メアリアン。私に話したい事があるとか。何だろうか?」

 問いかけの言葉を聞いてアンはどうしたらいいのだろうと困ってしまった。どんな事を告げればいいのか。

「…あの、お忙しい中でお呼びしてしまってすみません。実は私、気になる事があって。殿下は私をどう思っておられるのかを聞きたくて」

 やっとの思いで出した言葉に恥ずかしくて、アンは俯いてしまう。顔が熱いのが自分でもわかる。

 思ってもみない事を言われてサミュエル殿下は驚いているらしい。しばし、無言で二人はいた。

 最初に沈黙を破ったのは殿下の方だった。

「メアリアン。気になるというのはその事なのか?」

「そ、そうです。殿下が私を必要ないと思われているのでしたら、実家に帰るなり修道院なりどこへでも参ります。殿下の邪魔にならないようにいたしますので。お答えを絶対にと我儘は申しません」

 早口でまくし立てるとアンはゼイゼイと息を荒くしながら、一旦、言葉を切った。殿下の答えを無理矢理、聞き出すつもりはないと言いながらも内心はどうお答えになるのかと不安でどうにかなりそうだった。

 そんな彼女の思いとは裏腹に殿下はなかなか、答えない。

 三日月が雲に隠されて部屋が暗くなった時に殿下は低い声で唸るように言った。

「……君は考え違いをしている。私は君を必要ないとは思っていない。別にメアリアンを後宮から追い出すつもりはないから。むしろ、いてほしいし」

「それは本当ですか?」

「ああ。約束する。そうだな、こうなったら。私からも言いたい事がある」

 そう言った殿下はアンの左手をそっと、取って両手で包み込むようにする。

「メアリアン。もし良ければ、私の側妃などではなく。正妃、皇太子妃になってはもらえないだろうか?」

「……ええっ。私などが正妃を。そんな勿体無い仰せです」

 アンはとっさに無理だと言ったが。殿下の手の力は緩まなくて、むしろ強くなっていた。

「メアリアン。君は他の側妃達と違ってリナリアの身代わりを申し出てくれたり、スルガ国の情勢も気にしていてくれた。おしゃれやお菓子などの事ばかりのご令嬢達とは一味違うなとは思っていたんだ。だが、スルガの王に君が差し出されると決まった日に限って体調を悪くしたと聞かされて。その時から、君の事が気がかりでしょうがなかった。私を安心させるためにも正妃になってくれ」

「はあ。ご心配をおかけして申し訳ありません。でも、あの。スルガ国の王に女性を送り込む話はどうなるのですか?」

「…それについては大公陛下や他の重臣達と話し合った。その結果、私の側妃で情報収集や武芸を得意とする白百合の君ことアリシアと囮に黄薔薇の君、レイラの二人が行く事に決まった。他の側妃達もこの国の貴族で未婚の者や奥方を亡くしたりした訳ありの者達に下賜される事になった」

 淡々と語るサミュエル殿下の見えない顔を凝視しながら、アンはあまりの急展開に頭が付いていけずに固まっていた。殿下はアンの手を放すと彼女の身体を引き寄せた。

 強く抱きしめられてさらに、身を固くしたアンだった。

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