第11話

 アンは一人でいようとしたが。


 スージーなど他の妃たちの目があるからだ。

(どうしたものかしら。シンシア嬢はいないし)

 ため息をついたが、アリサやジュリアのひそひそと言う声が聞こえる。

「…アン殿、他の妃方に見られていますよ。気をつけた方がいいわ」

 見かねて声をかけてきたのは公女殿下ことリナリアだった。

「リナリア様。その通りですわね」

「あなたの外見はただでさえ、目立つのだから。萎縮しておらずに堂々としていたら良いわ。わたくしが言えるのはこれくらいだけど」

「…ありがとございます」

 礼を言うとリナリアは花がほころぶように笑う。

「いいのよ。じゃあ、わたくしは行くわね」

 リナリアはそう言うと他の場所に行ってしまった。



 アンは少しずつ近づいて、アリシアやセイラ、オーロラなどに声をかけてみる。

「ごきげんよう、アリシア様。私、名をメアリアンと申します。初めて、後宮に来たものですから。勝手がわかりませんの。いろいろと教えていただけるとありがたいのですけど」

「…あら、これは。魔女殿ではないの。あたくしがあなたに教えることは何もなくてよ」

 アリシアは扇子で顔を隠しながら、つんとそっぽを向いた。

「魔女ですか?」

「ええ。あなた、あのシンフォード公爵家のご令嬢だそうだけど。本当にその血を受け継いでおられるの?」

 横目で見られながら、放たれた冷たい一言に体がすくんだ。今、この人は何をいった?

 私が血を受け継いでいないとは。

 何で、そんなことを言われなければならない。

「…私はシンフォード家の娘ですわ。初代の大公妃は黒髪に黄色い目をなさっていたと聞きました。アリシア様はこの国の伝承をご存知ないのですか?」

 アンはアリシアに笑いながら、そう言った。

 皮肉っぽくいってしまったが自分の実家のことまで侮辱されるいわれはない。

 そんな思いを込めた言葉であった。

 すると、アリシアは眉を逆立てて睨みつけてきた。

「まあ、あたくしが少し皮肉を言っただけでそこまで怒るとは。これだから、好かないのよ。下賤(げせん)な者のことは」

「そうですか、私が下賤な者と。そうおっしゃいますか」

 よくわかったと頷くとアンはアリシアの二の腕を掴んだ。

 力を込めてぎりぎりと締め上げる。

「…あなたこそ、そんな物言いをしているようでは高貴な方とはいえませんね。まだ、田舎で静かに暮らしておられる貴族たちのほうがましですわ」

 アンが手を離すとアリシアの二の腕にはくっきりと指の痕がついていた。

 その部分だけ、赤く変色している。

 アリシアは左の二の腕をさすると右腕をそのまま、振り上げた。

 扇子も持っていたのでそのまま、アンの左頬にぶつかる。

 ばしんと乾いた音が鳴り、扇子は少し曲がってしまった。

 それを気にも留めずにアリシアは大声で言いはなった。

「…お前に田舎貴族呼ばわりされる覚えはないわ!この痴れ者が!」

「あら、自覚はあったのね。私の顔を傷物にしてお払い箱にしようという魂胆でしょう?」

「…何を!」

 アリシアがもう一度、殴ろうとした時だった。

「…これは何の騒ぎですか。妃同士で争うとはみっともない」

 静かな声と共にアリシアの腕を押さえつけていた人物がそこにいた。

 金色の髪に青い色の瞳は初日に会った皇太子殿下のものだった。

 目の前に立っているのはサミュエルであった。

 アリシアに笑いかけているが目元は笑っていない。

 冷たく凍り付きそうな色である。

「…まあ、これは皇太子殿下!」

 アリシアはつり上げていたまなじりを下げて見開いた。

「アリシア殿、いや。白百合の君だったか。こんな場所で無粋な真似はよくありませんよ。しかも、新しく来た方に罵声を浴びせ、殴りつけるとはね」

「…あ、あの。あたくし、ただこちらの西の御方に後宮の決まり事を教えて差し上げていただけですわ。殴りつけるなど、そのような事はやっていません」

「ほう。私ははっきりと聞きましたよ。「魔女殿」と呼んでみせたり、最後には「痴れ者」と言ってはいませんでしたか?」

 サミュエルはすうと目を細めて笑っていた顔を真顔に戻した。

 その変化に他の側妃たちも驚いて、体を竦ませている。

 妹のリナリアも固唾を飲んでいた。

 アンはサミュエルが怒っている様子を見て驚いていた。

(…私の事を庇ってくださっている?たかが、側妃の一人に過ぎないのに)

 そう思いながらも腕をねじり上げられ、涙目になっているアリシアを呆然と眺めているしかない。

「わかりましたわ!あたくしは確かにメアリアン嬢に「魔女」と言いました。けど、シンフォード公爵家が相手となると正妃の座が遠のくから。だから、彼女を傷物にして側妃の位から引きずりおろせと父上から命令されました」

「…やはりな。アリシア、スルガ王国の王がリナリアを連れ去ろうとした事は知っているか?」

「あたくしもそこまでは知りませんわ。ただ、父上は前からスルガ国王と極秘に手紙のやりとりをしていて」

 手紙のやりとりと聞いてサミュエルはアリシアのねじり上げていた腕にさらに力を込めた。

 アリシアは小さく悲鳴をあげる。

「アリシア、言え。リナリアをさらおうとしたのはそなたの父親、バード子爵か?」

「ひいっ。お許しください!確かに、リナリア様をさらう計画を立てたのは我が父です!」

 アリシアがそう叫ぶとやっと、サミュエルは腕を放した。


 腕を放されたアリシアは地面に力なく座り込むとしくしくと泣き始めた。

 他の側妃たちもやっと、落ち着きを取り戻したのかひそひそと話し合っている。

「…遅れてすまなかった。メアリアン嬢、大丈夫か?」

 サミュエルはアリシアを置いてこちらに近づいてきた。

「いえ。大した怪我はしていません。わたしに気遣いは不要です」

「何を言う。君は側妃の中でも地位は高い。後ろ盾のシンフォード家はこの国有数の名家なんだ。子爵家出身とはいえ、アリシアに勝ち目はない」

「…そういう事ではありません。わたしは家の権力を振りかざす為にこちらへ来た訳ではないんです。あくまで公女殿下の身代わりのつもりで来ました」

 アンが淡々と告げるとサミュエルは青い目を大きく見開いた。

「…リナリアの身代わりで?だが、スルガ国の件はもう、先ほど片づいた。アリシアが口を割ったからな。だから、君が身代わりになる必要はないよ」

「それでもです。公女殿下は治癒と予知の力を持っておいでと聞いています。皇太子殿下も治癒の力をお持ちとか。その力を持っていられるだけで狙われるもとになります」

「確かにその通りだが。シンフォード家のご令嬢というから、どんな我が儘娘が来るのかと思っていた。けど、君は意外と冷静な考え方をしているんだな」

 アンは改めて、サミュエルを見た。

 彼は感心したらしく腕を組みながら、アンをまっすぐに見つめていた。

「…兄様。こんな所で長話をしていないで。他の側妃たちを各宮に帰さないといけません」

 二人して見つめ合っていたら、後ろからリナリアが割り込んできた。

 アンは驚いて、サミュエルから視線をはずした。

「ああ、そうだな。分かったよ。リナリア」

 サミュエルは踵を返してアンに背中を向ける。

 既に、表情は冷静な皇太子のものに戻っていた。

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