第二章 一夏の出会い【記憶喪失者編】

第7話 「……あなたは、私の事を知っていますか?」

海華みかside】


「……本当、優しいんだから。かーくんは」


玄関の廊下に、一人。

ほぼ毎日見ている優しい背中を見送ったうちは呟いた。


かーくんは、昔からそうだった。

小学生の時も、中学生の時も――そして、今も。


ずっと、ずっと、ずっと――変わらず優しいままだった。


「かーくん……」


スッと、胸に手を添える。


色目を使いながら、うちに優しくしてくるわけじゃない。

お金を持ってるからって、それにあやかろうと媚びへつらうわけじゃない。


純粋な善意と、ちょっとばかしのカッコつけ……それで、誰かに優しく出来るのが、かーくんだった。


「私は――」


よく、かーくんは「長所が欲しい」だったり「しゅん海華みかに見合うような、そんな男に生まれたかったぜ」だったり――そんな事を口にしていたけど、うちからしてみれば、全然そんな事思わない。


けれど、分かってる。

学校の皆が、くーちゃんを比較対象にして、かーくんを口々にそうやって評価している事なんて。


くーちゃんは良いと思うけど、かーくんはパッとしない。だとか。

かーくんは私達うちらと見合ってない、釣り合ってない、浮いてる……だとか。


けど、そんな事勝手に決めないでほしい。

見合うだとか、釣り合うだとか、そんなものは知らない。


かーくんは、いつだってうちだった。

いつだって、うちの中ではかーくんが上だった。


だからこそ、想う。


「あなたの事が……」


好きなのだと。





△▼△▼△






哉斗かなとside】


「ふぅ、無事買えたぁ~」


俺は安堵の言葉を漏らしながら、手にぶら下げた袋の中身を確認する。


――現在、無事港に着いた俺は三人分の飯を買い録画した動画を頼りに別荘までなんとか歩いている最中だ。

というか、袋貰えるならリュック持ってくる必要なかったな。悲しい。


無駄に肩を酷使(?)しただけである。

まぁ、中身は財布だけだからそこまで重いってわけでもないのだが。


一つ、息を吐きながら俺は空を見上げる。


「一日が終わっていくのは早いな、本当に」


俺は紅く染まっている空を見ながらポツリとそう呟いた。

今年17の若造が言うのも怒られそうだけど、本当にそう感じてしまう。


すぐ横を振り向けば、海が見える。

このどこまでも続くかのように思える茜色の空に影響されたかのように、海も赤く染まっている。


そこには、朝に見た深々とした青や、俺が好きな水色の面影はこれっぽちも無くなっていた。

しかし、これはこれでいい眺めだ。


視線を前に戻し、ふと奥を見ると見晴らしの良さそうなスペースを見つけた。


「……あそこなら、もっと見晴らしが良さそうだ」


俺はどこか引っ張られるかのような足取りでそこに向かう。

着いた先には、小規模ではあるが海の景色を見渡せられる展望があった。

木のフェンスで転落なんかの事故を防止するようにガードされており、おまけにベンチつきと、比較的整っている。


「俺の目に狂いはなかった……」


あまりの絶景に思わず自画自賛をしてしまった。


建物の合間合間から眺められる茜色に染まる海と緩やかに揺れる波。

それはどこか、ノスタルジックな気持ちを浮かばせる。


潮風が鼻につく。長々と見続けてしまいかねない魅力があるが、早く帰って海華みか達にご飯をお届けしなければならない為、名残惜しいが俺は数十秒間でしっかりと目に焼き付けてから後ろを振り向き再び帰路を辿ろうとした。


「……あなたは、私の事を知っていますか?」


……と、その時だった。後ろから少し幼めな女性の声がしたのだ。


どういう事だ?俺の後ろにはついさっきまで、絶景と柵とベンチしかなかったはず……確かに、景色に見惚れててよく周りを見ていなかったが、それでも人が居たら気づけるはず………。


頭の中に先ず浮かんだのは、心霊的な何か。

有り得ない話だと自分でも思っているし、そもそも幽霊が存在するだなんて俺は信じていない。


それでも、さっきまで人が居なかったであろう場所から声がするのだから、そういった存在なのではないかと勘繰ってしまう。


鳥肌が立つ程の恐怖を感じながらも、本当に人間だったらどうしようと考えた俺は後ろを振り返らずに全速力で逃げるなんて事はせず、意を決して振り返った。


「……女の子?」


俺は開幕からそんな言葉を零してしまった。

振り返った先には、140cm程の身長と明るめの黒い長髪に、幼さいながらも端正な顔立ち――そして、日本では珍しいまるでガラス細工のように綺麗な翠色の瞳を持った美少女が立っていた。


もしかして、幽霊だとかそういうのではなくただ単純に外国人観光客だったりするのだろうか……?

景色に見惚れてて周りをよく見ていなかったという事を考えれば、結局そういった所だろう。


「えっと、俺に何か用かな?」


口調を柔らかにし、あくまで冷静を装いながら目の前の少女に質問をする。


「……あなたは、私の事を知っていますか?」


再度繰り返されるその質問に、俺は思考を巡らせる。


一体どういう事なんだその質問は……俺がこの子を知ってる?いいや、知らないし見たこともない。それは間違いなく絶対必ず断言できる。


「知ってるって言うのは……どういう?」


彼女という存在を知っているか否かという質問なのだろうか?それともまた他の意味合いが含んだ言葉なのか――それを知る為、俺はそう問いかけた。


「私の名前と、家。後……両親?家族?後は……好きな食べ物とか?」

「……は?」


返ってきたその返答に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


彼女が言い放ったその言葉を普通に捉えるとするならば、一瞬で出るであろう結論はこの子は記憶喪失かなんかという事だろうが……。


先に言っておこう。俺はこの手の対処法に対して疎い。

そもそも、記憶喪失の人間に出会った事すらないのだから当然だ。


先ずは警察……病院?か何処かに連れて行ってあげないといけないとだけど……。

そもそも、この島の警察や病院は何処にあるのだろうか……。


とりあえず、一旦何か返事を返さなければと思った俺は、必死に言葉をひねり出す。


「俺は今日この島に来たばかりで、ここの人の事はよくわからなくて……力になれなくてごめん」


力になってあげたい気持ちはあるが……この地玖神島ちくがみじまに精通しているわけではない俺には、どうにも手に負えない案件だ。


「そう……ですか」


少女が少し悲しげな表情を浮かべて相槌を打つ。


と言っても、知らぬ存ぜぬでこんな子を放置するなんてわけにもいかないだろうし、やっぱり港か何処かに行ってもらって大人の人に……いや、この子一人で行けるとはあまり思えない。


となれば、必然的に俺が付いていくべきなのだけど――見ず知らずの男に「港まで一緒に行こう」とか言われるのはいささか恐いだろうし、お節介が過ぎるのではないだろうか?


「お兄さん、なにか悩んでいませんか?」


少女が急に口を開く。

いや、悩んでいるのは君についてなのだが……。


なんて思いながら俺は少しばかり苦笑すると、少女は思いついたかのように――。


「そうだ――!!」


刹那、少女が俺に向かって駆ける。


「えいっ!」


そして、次の瞬間――俺の胸に向かって飛び込んできたかと思えば、いきなり手を後ろに回して抱き着いてきた。


「うわぁっ!?」


脳が何が起きたかを理解する前に、柔らかい感触が急に肌に伝わってくる。

顔も手も、柔らかくて、温かい。包まれているような感覚だ。いや包まれてたわ。


「――ってちょ、何急に抱き着いてるの!?」


ようやく俺の脳は状況を理解したのか、驚き混じりの声で言葉を発した。


「知らないんですか?ハグというのはリラックスや癒しの効果を得られるんですよ?ほら、私も抱きしめてください!」


純真無垢という言葉が一番似合う程に明るい笑顔を俺に向けながら、そんなとんでも発言をぶちかましてくれる少女。


いやいやいやいやいや待て待て待て待て!!不味いだろ普通に!!非モテには刺激が強すぎるって!!


いや待て。落ち着け俺、落ち着…………って、冷静でいられるか!!


「いや無理だよ!?それよりどうしてそういうのは知ってるの!?てか離れなさい!!」


必死に少女を引きはがし、距離を取りながら俺はそう叫んだ。


危なかった……もう少しで事案発生からの逮捕、海華みかしゅんには泣かれ親からは絶縁される所だった。


……というより、自分の身の回りの事は全て忘れているというのに何故そんな雑学だけは覚えているんだこの子は……。


「確かに、不思議ですね。どうして知ってるんでしょうか」


少女が俺の体から離れながら、神妙な顔をしながら答える。

切り替え速度速いなオイ。


「いい?この世の中には君のような少女に対してよからぬ事を企む怖い人達もいるの、だから見知らぬ人、ましてや男性には絶対にそんなことしちゃいけないよ?」


俺は、一言一句を丁寧に選出して少女に伝える。

ただ、結構曖昧にしてしまった部分もあるのでちゃんと伝わるといいのだが……。

しかし、そんな俺の説明は、どうやら少女にはあまり効果はないようで……。


「なっ、私だって抱き着く人くらい選んでますよ!!」

「そういう事じゃなくてね?」


思わず頭を抱えてしまう。

こんな調子では、更にこの子の事が心配になってしまう。


「それに……」


少女が横を向いて後ろで手を組み、一歩、また一歩と歩いて立ち止まり、俺に向かって笑みを飛ばしながら言う。


「お兄さんが私の為を思って悩んでくれてるっていうのが、なんとなく分かったので」


その顔は一点の曇りもない晴天のように眩しくて、俺の思考にはもう既に怪しい存在だとかそんなのはなくなって――この子をなんとしても助けたい。とそう思ってしまった。

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