7月26日(金)
早朝の教室。本を読んでいると、挨拶が聞こえた。
「おはよう、橘」
「菊永、おはよう。今日は早いね」
「お前こそ早いな」
「僕はいつもこの時間だよ」
「まじか、早すぎだろ」
いつもは誰も来ない教室に来た菊永と話す。彼の席はかなり離れているが、近づくことなく会話を続ける。大きな声を出さなくてもお互いにちゃんと声が届いている。誰もいない、朝の特権だ。
「で、どうしたの?」
「中庭を撮りたくてな。いつも人がいるから朝くらいしかタイミングがない」
菊永はそう言いながらカメラが入っている黒い鞄を見せた。僕はふと思い出したように彼に言う。
「今度さ、夜に駅近くのコンビニがある通りで撮ってきてよ」
「はあ? なんで?」
「心霊写真撮れるかも」
「……お前、そういうの好きな奴だったっけ」
しかもあの辺りで通り魔事件あっただろ、と気味の悪そうな顔を見せる。そんな反応になるのは当たり前だ。僕は本気だが。
菊永はスクールバッグを置いて、カメラだけ持ち教室を出ていった。
再び静寂が訪れ、僕も物語の世界へと戻っていった。
救えたもの、救えなかったもの。
解決したこと、しなかったこと。
報われる者、報われない者。
知った事実、知れなかった事実。
見たくない現実、見なければいけない現実。
残念なことに、虚構じゃない。
嬉しいことに、架空じゃない。
彼女のエメラルドグリーンを思い出す。
彼らはいなくなったが、彼らの価値観が自分の中に刻まれている。
自分と他人は全く違う。どんなになりたくてもなれない。同じ世界を見ることはできない。違う道を歩んでいく。
しかし、同じになれなくても、何かを読み取ることはできる。何かを感じることができる。話して、君はこうなんだねって、知っていくんだ。そうやって少しずつ人からもらって、こぼされた痕跡を拾って、集めていく。
特別ができていく。その欠片に救われる。同時に、絶望することもある。
それらを抱えて、大切にして、咀嚼して、飲み込んで、だんだん僕の一部になっていく。
『私たちは星屑でできている』
誰の言葉だったかは覚えていない。もう後ろの黒板には別の言葉が書き込まれているから、確認はできなかったけど気にしなかった。
あながち間違いではないと思った。これもきっとこの言葉の真意とは違うのだけれど、僕たちは星屑でできていると思う。
非日常に飛び込んだあの日々を。
〈境界〉で触れた、人の心を。
否、〈境界〉なんてなくても、すぐ側に非日常はある。
気付いていなかっただけで。
「僕の星屑も、誰か拾ってくれるのかな」
僕の言葉を拾って口にした誰かの一部になれたらいいなと思う。
それが、この先少ない僕ができることで、僕のやりたいことだと思った。
本を閉じ、手始めに自分の言葉をノートに書き出してみた。
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