7月5日(金)‐01

『女性の刺殺死体が発見されました』

 朝飯を食べながらテレビを見ていると、そんなニュースが流れた。昨日の出来事だ。食べる手が止まる。

 死亡推定時刻は昨晩。アナウンサーはそう言った。彼女は一ヶ月も誰にも見つけられずにあの空間にいた。一ヶ月も毎日、あの日を繰り返していた。

 例の行方不明事件はやはり殺人事件だったのか。そもそも今回の事件は同一犯なのか。そんな議論がコメンテーターの間で交わされている。

「近くで起きた事件だから気を付けてね。ハルキ、最近帰り遅いんだから」という母さんの言葉を受けて僕は家を出た。


  *


「ごめんなさい」

 放課後、ミライさんと廊下を歩いているときに彼女はそう言った。

 今日はテスト最終日。正直気分が落ち込みすぎてそれどころではなかったけれど。昼前に全科目のテストが終わり、今日から部活が再開。部活のない生徒も、テストが終わった解放感でリラックスした表情をし、この後の遊びの予定を友達と話している。多くの生徒に活気があった。朝桐や菊永は部活仲間と昼飯を食べに各々どこかに行った。

 僕もこの後、自宅で昼食を済ませてから『街角』に行く予定だ。しかし例の〈境界〉は昨日消した。今日から以前のような〈境界〉探しを始めるのか。そもそも、今日は調査するのか。昨日あんなことがあった後だ。彼女の気も消沈しているのが目に見えて分かる。阿水さんも元気がないことを心配していた。

 今日はもう休みにするか、『街角』でゆっくりしながら昨日のこと、今後のことを話し合うことにするか。

 どうするのか聞こうとして、ミライさんと一緒に教室を出たのだった。

「ミライさんのせいじゃないって」

 僕は彼女にそう返す。

 これは慰めではなく、本心だ。

 だって、小柳とばりさんは〈境界〉に入る前に亡くなっていたのだから。僕たちが彼女に出会ったときにはもう、彼女は生きていなかった。決して、僕たちのせいではない。

「……」

 そう自分を言い聞かせてはいるが、やはりなんとかならなかったのかとも、考えてしまうのも事実だ。

「……また、危ない目に合わせた」

「え?」

 彼女の横顔を見る。

「……あの人が最後に行くところへ、箒に乗って急いで向かったの。そしたら、倒れた彼女がいた」

 彼女が話し出したのは、僕が知らない昨日のことだ。

「そこに、カケラもあったんだね」

 それを彼女が見つけて破壊してくれたから〈境界〉は消え、僕は助かったのだ。

「……明らかにおかしかったのに、橘くんを行かせてしまった。あの人が、カケラに呑み込まれるかもしれないって焦ったというのもある。それに、あなたに渡していたたものが、あなたを守ってくれるだろうって、そう思って」

 しかし襲ってきたのは靄ではなく小柳とばりだった。靄には効力を発揮してくれるお守りも、小柳さん相手は想定外だったらしい。

 僕は自分の首に触れる。小柳さんの温度が、忘れられない。夜寝るときに思い出してしまってなかなか寝付けなかった。

 文字通り、彼女が自分の手で僕を死に連れて行こうとした。

 階段を下る。駆け下りていく生徒にぶつからないように注意しながら会話を続ける。

「次は、助けられるか分からない。当分は私一人で、」

 彼女はまた、こうやって全部自分のせいにするんだ。

「僕は自分から行ったんだよ。それに、助かったんだからいいじゃないか」

 何を言ったら彼女の心は楽になるのだろうか。そう思って言葉を選ぶ。

「ミライさんが助けてくれたから」

「何度も言ってるけど……!」

 ミライさんは珍しく、感情的に、僕の言葉に被せる勢いで言った。

「ミライさん……?」

「あなたは私の魔法を過信しすぎている。私の魔法は、」

 そこで、止まった。

「私は……」

 その先を言いたくないようだ。

「……」

 何を言いかけたのだろうか。

 言い淀む彼女に、僕は何も言わずに続く言葉を待つ。

 しかし、彼女の声でもない、誰かの声が僕の耳に入った。

「君は知ってしまったのだろう?」

 しっかり聞こえたはずで、何を言ったのかを理解した。それなのに、声が分からなかった。

 この不可思議な感覚を知っている。

 僕とミライさんは声のした方を見上げる。僕たちが下りてきた階段の上だ。

 踊り場に、その人は立っている。窓からの光で、逆光になっている。顔が、姿が分からないのは光と陰のせいではない。見ているはずなのに、脳が彼の姿を情報として処理してくれていない。

 彼がゆっくりと口を開く。

「ミライ・ステラ」

 彼女の名前を、呼んだ。

 急に立ち止まった僕たちを、生徒が迷惑そうに避けていく。ガヤガヤと騒がしいはずの校内で、僕たちの周りだけ時間が止まったように静かになった感覚に陥る。

(誰なんだ……?)

 目を凝らしても、どうしても誰なのかが分からない。彼にだけピントが合わずにぼやける。

 ミライさんは目を見開き、動揺した様子でその人にこう返した。

「なに、を、言って」

 彼女には、見えているのだろうか。

 瞬間、あたりが夜に変わる。

 周りの人が消えた。音が、踊り場の窓から差し込んでいた光が消えた。教室や廊下の蛍光灯はついていない。暗い暗い校内で、この踊り場の蛍光灯だけがパチパチと照らし、やがてそれも消えた。窓から入る、青白く淡い月の光がこの階段を照らす。

「これは……!」

「〈境界〉!」

 大勢の人がいたはずなのに、僕たちだけを連れ込んだ。

 ここには僕とミライさんと、彼の三人しかいない。

 ミライさんは制服の下に入れていたネックレスを首元から取り出す。

 カケラが強く輝いている。

 こんなに激しく光るネックレスを見るのは初めてだ。

 彼が、カケラの主だ。

「――、――」

 彼の口が動いている。

 何を言っている?

 何が聞こえる?

 僕には聞こえなかった。

 僕だけに、聞こえなかった。

「っな、なんで、あなたがそれを……」

 彼女の表情が、絶望に歪んだ。

 そして。

 ミライさんの胸元のネックレスが、小瓶が、パリンと割れる。

 中のカケラから靄が吹き出す。

 黒い靄があっという間にミライさんの身体を包み込んだ。

「あ……」

 ミライさんのか細い声と共に、僕と目が合う。

 ぶわり。

 目の前が夜に染まった。美しい星空が見える。星雲が僕の身体を覆うように広がる。その中に、ひときわ輝く星が見えた。

 また、この感覚だ。

 ミライさんからもらったお守りが、靄から僕を守ろうと光った。

 ぷつり。

 お守りの紐が切れて、僕の鞄から離れていく。

 僕は成す術もなく意識を飛ばした。

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