第5話 火山の女神
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旅の女性は獣皮のフードを深く被っていた。宿に泊まる手続きをする時もそのフードを外さなかったとか、銅貨一枚で足りる宿代に、さくらんぼの実ひとつくらいの大きさの真紅のルビーを惜しげもなく渡したとか。
川で洗濯をしながら、女の子たちは「その女」のことを色々悪く言っていた。
リーナは決して噂話には加わらない。リーナの亡くなった母さんの教えによるものだった。つきあいが悪いと思われようとも。
「わたし、洗濯終わったから先に帰るよ!」
リーナはあえて明るい声を出して、その場を離れた。女の子たちは、今度はリーナの悪口を言ってるかもしれなかった。
川からは、途中に、立派な墓所の脇を通らなければならない。そこは村でも金持ちの人たちが祀られているところだ。リーナの母さんの墓のように村はずれにはなく、教会の隣にあった。墓だから人の気配こそ滅多にないものの、白い墓石が並ぶ様は荘厳で、立派な花も飾られている。とても綺麗な場所だった。
リーナは、そこでジンを見かけた。あれはユーガの家のお墓のはず。
ハルジオンのささやかな花束を、ひっそりとその前に手向けているジンの姿に、リーナは寂しさを感じる。
あのお墓に祀られている人の中に、ジンの知ってる人がいるのかしら?
ジンが本当に悠久の時を生きてきたエルフならば、もしかしたらば、心に思う人のひとりかふたりか、もっとたくさんか、いたのではないかしら?
どうしても声をかけられなくて、リーナはその場所を急いであとにする。
洗濯物の一枚が籠から落ちたのにも気づかないまま。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
「これ、リーナのハンカチじゃないか。墓参りを見られたかー」
ジンは頭を掻いた。恥ずかしさで色白の頬が赤くなる。
毎月一回、必ずここに来ていた。ミユリに、季節の野生の花を供えていた。彼女が「同胞」だとジンは思っていたから。それに、「片想い」の気持ちも薄くだけれどあったのかもしれない。
「リーナの家までこれを届けに行くか。大事な術が解けないように慎重に、な」
つぶやいて、ジンは用心深く周りをうかがいながら歩き出す。教会の脇を通ると、街の人通りが目に見えて多くなる。
「時忘れの術」は人の心に直接作用する繊細なもの。しかも、長い時を生きるジンは、自分が二十五歳くらいの時から、何百年もの間、休むことなくその術を人々にかけ続けてきた。繊細な魔法はふとしたはずみで簡単にほどける。ほどけたら連鎖的だ。
居場所を失うのはもう嫌だ。
だから、村外れに住み、時々訪れてくれる奇特な人たちに野菜をほそぼそと売って、極力、人と関わらずに生活してきた。
リーナの家は橋のすぐ先にある。もう少し、もう少しで。
『ジン』
深い、深い声が自分の心に届いた。『念話』だ。人間にはあり得ない。
ジンが辺りを見回すと、獣皮のフードをかぶった女性がこちらを見て微笑んでいる。
ジンの中の時が止まる。
幼少の時の記憶がありありとよみがえる。
あれは、火山の女神、ラキアス。
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
結局、リーナにハンカチは渡せなかった。
橋の欄干にもたれかかったラキアスは獣皮のフードを今は脱いでいる。額には醜いシワのようなものが横線を引いたようにあるのだが。
もし、閉じているこの第三の目が開いたらば。
目の前の平穏な村は「炎の海」になりかねない。
「よお、ジン」
たまにナスなどを小屋に買いにくるおじさんが、橋を渡りながらジンに声をかける。しかし、ジンのピリピリした様子や、村で噂の「旅の女性」と二人きりでいることに不審さを感じたのだろう。
「なんだい。客商売が愛想ない」
ぶつぶつ言いながら、おじさんは家路に続く角を曲がってしまった。
「人間の村のみんなとうまくやれてるようじゃのう。何より何より」
ラキアスは微笑むと、ジンの手元にあるハンカチに目をとめた。あっという間に、そのハンカチを奪い取る。
「これを返してほしくば、山に来たれよ。ジン。わらわが五百年前に、エルフの郷でお前というおもちゃを見つけた。『氷属性』の強い力を持つ珍しい子供じゃったのう。五百年と少しかかってお前も大人になった。どうじゃ? わらわのつかの間の伴侶となるか?
それとも」
ラキアスの第三の目が薄くだけれど開いた。
いけない。
ラキアスが産んだのは、黄金色の大蛇のようなうごめく炎だ。炎はシュルシュルと宙を動いて、遠くの民家に引火した。ジンはその炎を、咄嗟に、巨大なダイヤモンドのようなヒョウを降らして、瞬く間に鎮火させる。周りに村人たちが何十人もいたけれど、構ってはいられなかった。
「面白い面白い。わらわはお前で何百年か、暇つぶしができそうじゃ」
ラキアスは醜い表情で笑うと、煙のようにその姿が消えた。
村人たちが一連の様子を目にして、おびえて騒いでいる。いけないのは、自分がラキアスとそれまでに会話していたこと。
もう、「時忘れの術」は破れかけている。
「さよなら。この村が好きだった」
ジンは悲しみに満ちた声で呟くと、ガラスのような馬、ネーヴェを、光の魔方陣を描いて橋の上に召喚した。
人がたくさんいる街中に召喚されてネーヴェは驚いているようだったけれど、馬の鼻先を優しく撫でてやる。
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