第36話 代償が必要なら私が払います。だから、どうか。



 騎士たちは確かに見ていた。

 その矢は、通りの北側、生垣の隙間から放たれた。


 エステルを狙って。


 だが、それに気づいたのは騎士だけではなかった。

 矢が放たれた瞬間、クライドがエステルの身体を包み込むように抱きしめたのだ。

 その結果、矢は彼の背中に突き刺さった。


「逃がすな!」


 バランスを失って馬から落ちながら、クライドが叫んだ。


 その声に、反射的に身体が動く。


 公爵家の騎士ならば。

 どんな状況であっても務めを果たさなければならない。

 その誇りにかけて、この男だけは逃がしてはならないのだ。


 生垣の向こう、弓を放り投げて逃げ出そうとしたその男を追う。


 騎士の一人が短刀を投げた。

 命中はしなかったが、驚いた男が足をもつれさせて倒れる。

 そこに、数人の騎士で飛び掛かった。


「くそっ!」


 悪態をつきながら暴れる男に縄を打ち、一息つく間もなく、騎士たちは一斉に振り返った。

 主の無事を確認するために。


 そんな彼らが見たものは。


「しっかりしてください!」


 悲痛な叫び声を上げるエステルと、血だまりの中に横たわる主の姿だった。




 * * *




 馬から飛び降りたエステルは、すぐさまクライドの身体に取りすがった。

 矢は背中のやや右側、急所を外れた位置に突き刺さっていて、それほど深い傷には見えない。

 それなのに、クライドはあっという間に意識を失い、傷からあふれた血が彼の青い上着を真っ赤に染め上げている。


「どうして!?」


 傷に対して、明らかに出血量が多い。


「奥様、失礼します」


 騎士の一人が、短剣でクライドの上着を切った。傷の周囲があらわになる。

 それを見た途端、


「っ!」


 エステルの喉がヒクリと引きつった。

 矢の刺さった周囲の皮膚が、紫色に腫れあがっていたのだ。


「毒か!」


 騎士は矢を抜き、傷口を自らのマントで押さえた。そのマントも、あっという間に赤く染まってしまう。騎士はマントを短刀で切り裂き、折り重ねて傷を押さえた。


 クライドの顔は真っ青で、浅い呼吸を繰り返している。


 矢尻に、毒が塗られていたのだ。

 毒は周囲の皮膚を、肉を、血管を蝕み、そのため出血が止まらなくなっているらしい。


「しっかりしてください!」


 エステルが叫ぶように呼び掛けても、返事はない。

 このままでは、全身に毒が回るか、出血多量か、どちらかで死んでしまう。


 エステルは身体の力をなくして、その場にペタンと座り込んだ。


 その間にも、騎士たちが慌ただしく動く。


「人を呼べ!」

「医者を!」

「水と手拭いを!」


 エステルは何もできず、ただそれを見つめることしかできない。


(死んでしまう……?)


 クライドが。


 じわり。

 視界が歪んだ。


(そんな……っ!)


 こんな、結末──。




(……絶対に、いや!)




 エステルはぎゅうっと歯を食いしばった。


(泣くな、泣くな、泣くな!)


 泣いたって、何も変わらない。

 泣いたって、この人は助からない。


 エステルはカタカタと震える足に拳を叩きつけた。


(動け、動け、動け!)


 それでも、足は力を失ったまま、立ち上がることもできない。


(だったら……!)


 エステルは地面に手をついて、這うようにして動いた。騎士の傍らに落ちている短剣を拾い、ドレスの裾を切り裂いて。


「私が押さえます」


 傷口を押さえていた騎士と交代して、真っ赤な血でドロドロになってしまったマントと自分のドレスの残骸とを交換した。


 うつ伏せに倒れているクライドの身体に覆いかぶさり、上から体重をかけて、ぎゅうっと傷口を押さえる。

 医者が来るまで、とにかく出血を押さえるしかない。


 布切れの向こうから、じわじわと血があふれてくるのが分かる。

 温かい血だ。

 ドクドクと、脈動も感じる。


「まだ生きてる!」


 そうだ。

 まだ生きているのだ。


「諦めないで!」


 エステルの叫びに、騎士たちがおうと答えた。

 それを聞いて、エステルはもう一度両手に力を込めた。


 その時だった。


 エステルの視界で、何かが光った。


『今日の礼だ』


 ぶっきらぼうな彼がくれた、瓶に入った虹色の宝石。お守りの代わりに、鎖をつけて首から下げていた。いつでも使えるように。


 どうして忘れていたのだろうか。


「代わって!」


 騎士に傷口を押さえてもらい、エステルは瓶を首から外した。


『困ったときにその瓶を割ると、使用者がその時に最も必要としている魔法が発動する』


 これを使えば。

 エステルはすぐさま瓶を割るために右手を上げた。


 だが、踏みとどまった。


『身体の仕組みに魔法を使って無理やり介入するんだ。人によっては拒否反応が起こる』


 彼がそう言っていたのを思い出したのだ。


(こんな重傷を治す魔法を使えば、彼の身体に何が起こるか……)


 だが。

 もう一度、エステルは右手を振り上げた。


(今はとにかく、命を助けなきゃ!)


 後に何が起こるかは分からない。

 だが、今、彼の命を救うことができるのは、この瓶を使うことだけだ。


(代償が必要なら私が払います)


 だから、どうか。


「お願い、助けて!」


 叫ぶと同時に、瓶を地面に叩きつけた。


 パリンと音を立てて瓶が割れる。

 同時に、割れた瓶の中から虹色の光があふれだした。

 あまりの眩しさに目を細める。


 狭まった視界の中で、虹色の光が揺れた。


 虹色の光は、やがていくつかの塊になって。

 キラキラと輝きながら、見慣れた姿に形を変えていった。


 ネコ、カラス、ネズミ、イタチ、タヌキ……。


 テディの友達の、動物たちだ。

 動物たちは虹色の瞳を輝かせながら、あっちへこっちへ飛び回り、やがてエステルのもとに集まってきた。


 誰に言われるでもなく、エステルは両手を差し出した。

 その両手に、動物たちが順に飛び乗る。

 彼女の両手の上で、動物たちは溶けるように消えていった。


 そして、彼女の手には。


 虹色の液体で満たされた、一本の瓶が残された。


「……解毒薬?」


 きっとそうだ。

 エステルには直感で分かった。


 直接魔法で治すのではなく魔法薬を使うなら、テディの言っていた拒否反応は起こらない。


「これを!」


 エステルから瓶を受け取った騎士は一瞬も迷うことなく、クライドに薬を飲ませた。

 さらに残りの薬を傷口にかける。


 効果はすぐにあらわれた。


 クライドの顔に血色が戻り、呼吸が落ち着いて。傷口からの出血はみるみるうちに減り、傷口の周りの皮膚の色も紫から赤へ、そして肌色に戻っていく。


 ややあって、完全に出血が止まった。

 それを見届けて、エステルはほっと息を吐いた。


 助かったのだ。


「良かった……」


 彼女のつぶやきに、騎士たちも彼女と同じように胸をなでおろす。中には涙を滲ませる騎士もいた。


 クライドは意識を失ったままだが、目を覚ますのも時間の問題だろう。


 エステルは何度か深呼吸を繰り返した。

 助かった。

 だが、まだ終わっていない。


「……馬を」


 エステルが言うと、騎士たちが弾かれたように動き出した。

 期限の正午まで時間がない。

 エステルだけでも王宮に向かわなければ。

 間に合わなければ、全て水の泡なのだ。


「それから……」


 エステルは、毒矢を射た男をじろりと睨みつけた。


 男は縄を打たれて身動きが取れず、地面に這いつくばっている。さすが公爵家の騎士は手際が良く、男は猿轡も噛まされているので、逃げることも自害することもできない状態だ。


 エステルはツカツカと男に歩み寄り、その傍らに座り込んだ。

 そして、男の顔をしっかりと覗き込む。


「あなたのご主人様は?」


 彼女の問いに、男は顔をしかめて視線を逸らした。その反応で、エステルは確信する。


「知っているのね、この暗殺を指示した黒幕が誰なのか」


 さらに問われて、男の身体がギシリと緊張した。ここまであからさまに反応されれば、確定だ。


「……焦ってこんな素人を送り込んでくるなんて。舐められたものね」


 敵はテディが特効薬を見つけたと聞きつけ、相当焦ったのだろう。

 もしも期限に間に合ってしまえば、特効薬を発見したテディは英雄で、それを支援したエステルもまた英雄だ。

 さらに花街には様々な証拠が残ってしまう。


 そうなれば、次は断罪が待っている。


 この疫病事件が人為的に起こされたものであること、そしてその犯人が第五の魔法使いであること、さらに黒幕がヴィクター・オーブリーであることは、すぐに白日の下に晒される。


 だからこうして、エステルとクライドの命を狙ったのだ。


 そのピンチを乗り切った今、今度はエステルにとってはチャンス到来だ。


「この男は重要な証拠よ。王宮に連れて行きます」


 エステルはすくりと立ち上がって騎士たちを見回した。


「半数は私と一緒に王宮へ。残りは旦那様を屋敷に連れ帰って。念のためお医者様も呼んでちょうだい」

「はっ」


 エステルの指示に騎士たちはきびきびと動いた。


 あとは王宮で疫病の特効薬が出来上がったことを国王に報告し、この男を証拠としてあの二人を断罪する。


 それですべてが終わる。

 そう思った。


 次の瞬間。


「そうそう、あなたの思い通りにはいきませんよ」


 耳元で囁くような、鼓膜を直接揺らすような、そんな不気味な声に、エステルの背筋が凍った。


 次いで、びゅうっと風が吹いた。

 北の空からやってきたその風は、エステルと騎士たちの間を通り抜け、通りの向こうで竜巻になった。

 竜巻は高く高く空へ舞い上がって消え失せ、その代わりに一人の人間がそこに残った。


 鈍色のローブに身を包んだ、老人だった。


「第五の魔法使い……!」


 騎士の一人がギシリと歯を食いしばった。


 老人の手には先端に黒い宝石がはめ込まれた銀製の杖。

 その杖が、エステルの喉元を狙うように差し出される。


「ここで死んでいただこう」


 じり、と。

 緊張が走る。


 魔法の攻撃などどうやって防げばいいのか分からない。

 テディの魔法の瓶も、もうない。


 だが、こんなところで諦めるつもりもない。

 エステルは足下に落ちていた短剣を拾い、両手で握って、クライドを庇うように構えた。

 騎士たちも剣を手にエステルを守る体勢に入る。


「無駄だ」


 銀の杖の先端で、黒い宝石がギラリと光る。


 攻撃が来る。

 エステルも騎士も身構えた。




 その脇を、一陣の風が駆け抜けた。




 ──ザンッ。


 見事な早業だった。

 その人は駆け抜けた勢いのまま剣を振り抜いていた。

 同時に、真っ赤な血しぶきが舞う。


 ──ゴトン。


 第五の魔法使いの首が落ち、数秒後、それを追いかけるように彼の身体が地に伏した。


「けがはないか」


 振り返ったクライドが、相変わらずの無表情で問うものだから。


「死にかけたのはあなたでしょう!」


 エステルは、思わず叫んだのだった。

 


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