第33話 君が僕に何をしたのか、忘れたの?



 怒りに震えながらも、エステルはどこか冷静だった。


「とにかく、テディと連絡をとらないと」


 エステルがぽつりとつぶやくと、クライドも執事長も即座に頷いた。


「おそらく第五の魔法使いや他の認定魔法使いたちは治療薬を作らない。期限である十日以内に治療薬を作れるとしたら、それは彼しかいないだろう。彼らの断罪は後回しだ。まずは、治療薬を完成させるために全力を注がなければならない」


 そのためには、まず彼にこちらの状況を伝える必要があるのだ。


 エステルがチラリと目を向けた先、サイドボードの上に置かれた籠の中では、一羽のカラスが羽を休めている。

 テディがエステルに手紙を送るのに使ったカラスだ。

 このカラスはエステルに手紙を渡した後も飛び立つことはせず、彼女にエサをせがんで、すっかりこの部屋に居ついてしまった。


「あのカラスに頼めるだろうか」

「……やってみましょう」


 エステルはゴホンと軽く咳ばらいをして、


「カラスさん」


 と呼んでみた。

 少し前、猫にテディへの伝言を頼んだ時もそうだったが、物言わぬ動物に話しかけるというのは妙な気分である。


 カラスはすぐに顔を上げ、バサッと羽ばたいてエステルの方に飛んできて、彼女の膝の上にとまった。

 どうやら、人間の言葉を理解しているらしい。


「お手紙をお願いできますか?」


 もちろん、カラスは返事をしなかった。その代わり、くちばしで彼女の頬を軽くつついたのだった。




 * * *




 翌朝、テディへの手紙を携えたカラスを屋敷の一番高い塔から、日の出と共に解き放った。

 後は返事を待つだけだ。


 だが、その間にもできることはある。


 エステルとクライドは、国王への謁見を求めて王宮を訪ねることにした。

 十日、という期限をなんとか延長できないか交渉するためだ。


 結論から言えば、この交渉はまったく上手くいかなかった。


 国王は第五の魔法使いのことを相当信頼しているからだ。


『彼が疫病の封じ込めは十日が限界だと言っているのだ。それを伸ばせというなら、十日を越えても問題ないという根拠を示せ!』


 もっともだ。

 これには返す言葉がなかった。


 だが、この謁見では収穫もあった。

 国王は、どうやら第五の魔法使いの陰謀を知らないらしい、ということだ。

 花街の住民のことを心から心配しているように見えたし、可能であれば焼却などという方法はとりたくないとはっきり言い切った。

 エステルの目にも、国王が嘘をついているようには見えなかった。


 つまり、国王は今回の陰謀に関わっていない。


 第五の魔法使いの仕業であることを明らかにすることができれば、国王を味方につけることができる、ということだ。


 だが、これがなかなか難しい。

 第五の魔法使いが故意に疫病を発生させたのだという証拠を手に入れなければならないのだから。

 貴族出身ではないが、彼の後ろには多くの有力貴族が付いている。なかなか簡単に手出しできる相手ではないのだ。


 謁見を終えると、クライドは官僚たちに捕まってしまった。

 彼は国政に大きく関わっているわけではないが、公爵という立場上、無関係でもいられない。

 久々にグレシャム公爵が王宮にやってきたというわけで、彼に用件のある官僚が謁見室の外で列を成していたのだ。

 これが終わるのを待っていては、日が暮れてしまう。

 エステルは、先に一人で屋敷に帰ることにした。




 人気の少ない王宮の廊下を、一人で歩く。


 貴族たちは疫病に感染することを恐れて屋敷に引きこもっているし、王宮には出仕の義務がある官僚や侍従など、少数の人しか出入りしていないらしい。


 エステルも早々に屋敷に帰ろうと歩調を早めた。

 その時だった。


「やあ、エステル」


 一人の青年が、声をかけてきた。


 茶色の髪に青い瞳で、仕立ての良い服に身を包んだ、いかにも由緒正しい家柄です、といった風の青年だった。


「どちら様でしょうか?」


 公爵夫人に対していきなり名前を呼んで引き留めるなど、失礼極まりない。

 エステルは怪訝な表情で、青年を軽く睨みつけた。


「恐い顔しないでよ。僕のことを忘れてしまったの?」


 まったく思い出せない。

 いったい誰だと、エステルはさらに眉間のしわを深くした。


「失礼」


 そんな彼女の前に、騎士の一人が割って入った。通常、貴族相手に騎士がこんな失礼な態度をとることはまずない。

 いつもはエステルと相手がやりとりするのを、陰からひっそりと見守っているのだが。

 どうやらこの男の正体に気づいて、わざわざ前に出て来てくれたらしい。


 騎士が振り返って、エステルに耳打ちする。


「奥様の元ご婚約者である、ヴィクター・オーブリー氏です」


 言われても、咄嗟には誰のことだか分からなかった。


「元婚約者?」


 思わず口にすると、頭の中に記憶が蘇ってきた。


 公衆の面前で、エステルに『君との婚約は破棄させてもらう!』と言い放った、あのクズ男だ。


 今後の自分の人生には全く関りのない人物だろうということで、すっかり存在自体を忘れていた。


 そのヴィクターはエステルの方を見て爽やかな笑みを浮かべている。懐かしい友人に久しぶりに会えて嬉しい、といった様子だが。

 そもそも、エステルと彼はそれほど親しかったわけではない。恋人らしいことをしたこともないのに。


「久しぶり。元気だった?」


 軽い調子で話しかけるヴィクターに、エステルは背筋が冷えた。


 何かが、おかしい。


 彼女の様子に気づいて、騎士の表情も険しくなった。


「奥様に何かご用ですか?」


 用事がないならさっさと消えろと言わんばかりに殺気を込める騎士。ところが、ヴィクターの方はそんなことなど気にもせず、エステルに一歩、また一歩近づいてきた。


「僕に用事があるのは、エステルの方だよ」


 一体どういうことだ。

 その気味の悪さに、エステルは思わず騎士の身体の陰に隠れた。騎士の方も腰を落として警戒する。


「うちの領地が南にあるのは知っているよね?」


 知っている。

 エステルが軽く頷くと、ヴィクターはニタリと笑みを深くした。


「それじゃあ、これも知ってる? 第五の魔法使いは、うちの領民。彼にとって僕は領主で、僕は彼に命令できる立場だ」


 背筋を冷たいものが伝った。

 あまりにもタイミングが良すぎる。


「今、君はとっても困っている。その困りごとを、僕なら解決してあげられるんだよ?」


 とうとう、ヴィクターがエステルの手の届く場所まで来た。


「私にどうしろって言うの?」


 エステルの問いに、ヴィクターの表情が歪んだ。

 青い瞳がどろりと歪む。


「君が僕に何をしたのか、忘れたの?」


 ぐぎぎ、と不気味な音を立て、ヴィクターが首を傾げた。まるで人形のような無機質な動きに、思わず鳥肌が立つ。


 尋常ではない。


「君は僕なんかとはつり合いが取れない。だから婚約破棄したのに、君は僕なんかでは手の届かないほど高貴な人、グレシャム公爵と結婚した。それから僕がどんな目に合ったか……」


 ヴィクターは首を傾げたまま、ギギギと錆びた蝶番のような音を立てて、さらに腰を深く曲げた。くの字の状態になった不気味な姿勢のまま、下からエステルの顔を覗き込む。


「お前のせいで! 僕は! 笑いものにされたんだぞ!」


 おそらく彼は、『女を見る目がない』と笑われたのだろう。さらに、エステルに気をつかった多くの貴族が、彼との付き合いをやめてしまったに違いない。


 嘲笑され、社交界からつまはじきにされた、というわけだ。


 だが、そんなものは自業自得。

 このクズ男にはちょうどいい結末だ。


 だが、彼の方は完全に『エステルのせいだ』と思い込んでいる。


 そんな彼が、第五の魔法使いとつながっていた。

 そして、この口ぶりから、彼が疫病事件の陰謀に関わっていることは明らかだ。


「助けてほしければ、公爵と離婚しろ」


 ニタリ。

 また、ヴィクターが不気味に笑った。


「そして、僕に泣いてすがるんだ。『あなたのものにしてください』ってな!」


 ヴィクターの青い瞳の中で。

 憎しみと怒りと、そして欲望が、グルグルと渦巻いている。


 あの街で暮らしていた頃、こんな瞳をたくさん見てきた。

 こうなると、人は我を忘れる。

 自分の望みをかなえるために、どんな汚いことにも手を染めてしまう。

 そういう怪物になってしまうのだ。


「……それが条件?」


 エステルがぽつりと問うと、ヴィクターはようやく姿勢をまっすぐに戻して、襟元を整えた。

 その表情は、いかにも由緒正しい家柄の青年のそれに戻っていて。


「ああ。……期限は十日だ。待ってるよ」


 爽やかな笑みを浮かべて、ヴィクターは去って行った。


 エステルは、思わず両手の拳を強く握りしめた。


 勘違いをしていた。

 この事件の黒幕は、第五の魔法使いだとエステルもクライドも考えていた。魔法薬の権利を独占するために、テディを花街ごと抹殺することが目的なのだろう、と。


 だが、違う。


 すべてはヴィクターが仕組んだことだったのだ。

 エステルへの復讐のために。


「私がみんなを巻き込んだのね……」


 大切な人たちが危険に晒されているのは、自分のせいだったのだ。




 * * *




 ヴィクターが去って行ったあとを見つめて立ち尽くすエステル。

 そんな彼女を囲んで、護衛の騎士たちは不安に駆られていた。


 この優しい公爵夫人は、自分が犠牲になると言い出しかねない。


 騎士の一人が、エステルの顔を覗き込んだ。


「奥様のせいでは……」


 ありません、と続くはずだった言葉は、バチンっという音にかき消された。

 エステルが、両手で自分の頬を強く叩いたのだ。


 バチン、バチン、バチン、とそれを続ける。


「お、奥様……」


 慌てる騎士に構わず、エステルは真っ赤に腫れあがるまで頬を叩き続けた。


 ややあって。


「あのクズ男、絶対に許さない……っ!」


 低く唸るように言ってから、エステルは騎士の方を振り返った。


「帰るわよ!」

「は、はい」

「旦那様にもすぐ連絡して!」

「はい!」


 エステルの指示に、別の騎士がさっと動いた。早急にクライドにも伝えなければならない。


「どうなさるんですか?」


 おずおずと尋ねた騎士を、エステルが鋭く睨みつけた。


「決まってるじゃない! あのクズ男をコテンパンにして、みんなを助けるのよ!」


 これを聞いて、騎士は心から安堵した。

 彼女は自分が犠牲になるのではなく、彼が敬愛する主人と共に、立ち向かう道を選んでくれたのだ。


「行くわよ!」


 エステルのはちみつ色の瞳がギラギラと輝く。

 淑女らしくない、まるでドラゴンに立ち向かう騎士のような表情だ。


 公爵夫人らしくない。

 だが、今は、その力強さが頼もしい。


 そんな表情で、エステルは歩き始めた。


「はい!」


 騎士も同じく表情を引き締めて、彼女の背を追いかけたのだった。

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