第30話 それってさぁ、やっぱり恋だと思うよ?



 親族会議の後には庭園でお茶会、その後は大食堂で晩餐会、さらに夜会が行われた。

 その間、エステルはひっきりなしに話しかけてくる親族の対応に追われた。


 この一族の頂点に君臨する公爵が自ら選んだ花嫁は、美しく賢く、威厳まで備えた完璧な貴婦人だった。

 多くの親族たちは、その事実が嬉しいのだ。


 さらに、夫である公爵に一途な愛情を向ける健気な一面も併せ持っているとなれば、完璧である。


 ホールデン夫人をはじめとした反対派も、この日一日は大人しくするしかなく、深夜まで及んだ宴席は穏やかに楽しく過ぎていった。




 エステルとクライドがゆっくり話をすることができたのは、翌日の昼食の席だった。

 使用人たちは他の親族の世話もあって非常に忙しく、執事長が『今日だけは一緒に食事を済ませていただけませんか』と頭を下げてきたのだ。


 もちろん、エステルは一も二もなく了承した。


(主人夫妻が一緒に食事をしてくれれば、準備も給仕も片づけも楽だものね)


 食堂に行くと既にクライドは席についていたが、エステルの顔を見るや立ち上がった。


「どうされたんですか?」


 不思議そうに尋ねるエステルに、クライドはふわふわと視線をさまよわせてから、彼女の手をとった。


「……エスコートを」

「あ、ありがとうございます」


 なんだか微妙な空気だ。


 どうしたことかと様子をうかがうために周囲を見回せば、そこに使用人の姿はなく。

 完全な二人きりだった。

 食卓には食事と飲み物が完璧に揃っていて、どうやら使用人たちは二人の食事が終わるまで席を外すらしいと分かった。


(そんなに忙しいのね。臨時の人をもっと雇えばよかったわ)


 などとエステルが考えている間に、クライドによって席までエスコートされた。


 使用人たちの仕事を減らすためにも、さっさと食事を終えようと、エステルは早速食事に手をつけ始めた。

 ところが、クライドの方はエステルの向かいでじーっと彼女の方を見つめるばかり。


 やはり、空気がおかしい。


 エステルは仕方なくカトラリーを置き、クライドの方に向き直った。


「何か、お話ししたいことでも?」


 クライドはじっとエステルを見つめたまま、一つ頷いた。


「では、どうぞ」


 彼が話し始めるのを待つ間、エステルはグラスを手にとった。今日は微炭酸のレモンジュースだ。爽やかな風味が口いっぱいにシュワシュワと広がって、幸せな気持ちになる。


「昨日は、すまなかった」


 エステルは首を傾げた。彼が謝るようなことが、何かあっただろうか?


「助けに行かず、すまなかった」


 謝罪の理由を聞いても、エステルは納得できなかった。それは、彼が謝るようなことではない。


「謝らないでください。もしもあなたが私を助けるために動いていたら、誰が親族会議を仕切るんですか。あなたが親族会議を滞りなく開催してくださったおかげで、私は皆様に認められる機会をいただいたんですよ」


 クライドはエステルの誘拐を理由に親族会議を中止することもできた。だが、あの誘拐劇が親族の誰かによる妨害行為であることは明確だったため、それでは相手の思うつぼ。

 そこで、クライドは親族会議を滞りなく開催するために動き、代わりにイアンが彼女を助けに来た。


 それは、当然の流れであり、何よりもエステルを思っての行動だった。


「私のためにしてくださったんですから、むしろ感謝すべきことですね」


 エステルがニコリと笑うと、今度はクライドの顔がわずかに歪んだ。


「……本当は、君を助けに行きたかった」

「え?」

「自分がどうすべきなのかは分かっていた。君のためを思えば、親族会議を行う方が大事だ。君を助ける役は私でなくとも務まるが、親族会議の方は私でなければならないし。それでも君のことが心配で……」


 ぶつぶつと言い募るクライドに、またエステルは首を傾げた。

 そんな彼女の様子にクライドは小さく息を吐いてから、


「それでも、君なら自分で乗り切るだろうと、そう思った」


 そう、言い切った。


 途端、エステルの頬に熱が集まる。


(なんで!?)


 こんなにも胸がときめくのか。

 彼は愛の言葉を囁いたわけでもないのに。


 だが、その理由はすぐに分かった。


(嬉しいんだわ。この人が、私を信じてくれたことが)


 エステルなら。

 誘拐されても何とか乗り切るだろう。

 親族会議が開かれれば、自分の手で彼らを認めさせるだろう。


 彼は、そう信じてくれたのだ。


 だから、彼は彼自身の役割を果たしてくれた。


 それが、たまらなく嬉しいのだ。


 エステルは赤くなった頬をごまかすように下を向いて、そそくさと食事を再開した。


「まあ、私の手にかかれば公爵家の親族を認めさせるなど、赤子の手をひねるようなものだけどね!」


 エステルの言に、クライドはくつくつと喉の奥を鳴らして笑った。


「そうだな。皆、すっかり君のファンになってしまった」


 言いながら、クライドもようやく食事に手をつけ始めた。


 二人でぽつぽつと昨日までの出来事を話しながら食事を進めると、自然とマイヤー女史の話題になった。


「彼女の処遇はどうしますか?」

「そうだな……。優秀な家庭教師だ。こんなことさえなければ、私の子どもの教育を任せたいと思っていた」

「え。お嫌いなんじゃないんですか?」

「……好きではないが、本当に優秀な教育者なんだ」

「あなたにそこまで言わせるとは……」


 そこで、エステルはひらめいた。


「では『こんなこと』を、なかったことにしてはいかがですか?」


 公爵という立場なら、犯罪をもみ消すことなど簡単なことだ。特に今回は親族内のもめごとだから。


「無罪放免にするのか?」

「いいえ。しっかり罰は受けてもらいます」


 エステルがニヤリと笑う。


「私の侍女として働いてもらいましょう。あのしみったれた性根を、私が叩き直してやります」


 彼女の劣等感は一朝一夕でどうにかできるものではないだろう。だが、クライドにここまで言わせる人なのだ。きっと、自分を取り戻すことができる。


「……君は優しいな」

「まさか。ビシバシやりますよ!」


 エステルが朗らかに笑うと、クライドもわずかにほほ笑んだ。


 そんな話をしている内に、二人とも食事が終わった。

 テーブルの上には魔法のかかったポットも準備されていた。中身は、熱々のコーヒーだ。

 クライドがエステルの分も注いでくれたので、食後のコーヒーで一息つく。


「そういえば」


 クライドが、また視線をうろうろとさまよわせながらポツリと言った。

 視線だけを向けてエステルが話しの続きを促すと、クライドはわざわざカップを置いて膝に手を置き、前のめりの姿勢になった。


 エステルの方も、なんだなんだと身構える。


「『私が欲しいのは、旦那様の愛だ』と、言っていただろう? あれは……」


 どういう意味なのか、という言葉は聞き取れなかった。クライドの声が尻すぼみになって、空気に溶けていったからだ。


 また、エステルは首を傾げた。


「言葉の通りですけど」


 すると、今度はクライドの頬が真っ赤に染まる。


「それは……っ!」


 顔を上げたクライドに、エステルも前のめりになる。


「離婚したくないので! あなたの愛を買わせていただきたいんです!」


 エステルが拳を握りしめて言い切ると、クライドの肩がガクンと落ちた。

 それに構わず、エステルはさらに前のめりになる。


「買わせていただけますか?」

「……断る」


 バッサリ切られて、今度はエステルが肩を落とした。

 だが、何度断わられてもめげるような彼女ではない。


「わかりました。では、旦那様が買われる気になるまで、私、頑張りますね!」


 その宣言に、クライドはさらに肩を落とし、テーブルに突っ伏して項垂れたのだった。




 * * *




「あははははははははは!」


 数日後。

 イアンに件の昼食での出来事を話して聞かせると、彼はまた腹を抱えて笑い出した。


「不憫……! あまりにも不憫だよ……っ!」


 と、声を震わせ、身をよじらせる。


「不憫って、私が?」

「え、あー、うん、そう。君が……っ!」


 また、エステルの顔を見ては顔を真っ赤にして笑い転げた。


「もうっ!」


 エステルはぷんぷんと肩を怒らせながらも、仕事の書類に目を通した。

 今日もイアンとは仕事の打ち合わせのために会っているのだ。

 リリー・ホワイト商会から出している商品の売れ行きを分析して、次に出す商品を考案しなければならない。


「……僕、けっこう本気だったんだけどなぁ」


 イアンがポツリとつぶやいた。


「え、なんて?」


 とても小さな声だったのでよく聞き取れず、エステルが聞き返す。

 だが、イアンはそれには答えずに、小さくほほ笑んだ。


 その笑みが少し寂し気に見えて。

 彼のそんな表情を見るのは初めてで。

 エステルはちょっと目を瞠った。


「僕が入る隙間は、なさそうだね」


 意味が分からず、エステルが首を傾げる。


「何の話?」

「君とクライドの話」


 また、エステルは首を傾げた。

 自分たち夫婦の話だというなら、二人の間には隙間だらけのはずだ。


「君、クライドのこと好きだろ?」


 最初、何を問われたのかは分からなかった。


(私が? 誰を?)


 エステルの頭の中を無数の疑問符が飛び交う。

 その様子を見て、またイアンが寂し気にほほ笑んだ。


「顔、真っ赤だよ」


 ボッ。

 自覚した途端、エステルの頬はさらに真っ赤になった。熟れたリンゴもはだしで逃げ出すほどの赤だ。


「わ、わわわ、わ、わたしが、旦那様のこ、ことを、すすすすすすすすす好き!?」


 混乱の極みである。


「だって、クライドに信じてもらえて嬉しかったんでしょ?」

「う、うん」

「胸がときめいたんでしょ?」

「た、たぶん。ででで、でも、それは、上司に仕事を褒めてもらえた時のような喜びで……」

「僕だって君のこと認めてるし、信じてるけど。僕にはときめかないでしょ?」

「それはそうね」


 はっきりと言い切ったエステルに、イアンが呆れて溜息をもらす。


「クライドだけ、なんでしょ。信じてもらえて嬉しいのも、胸がドキドキするのも」


 エステルは考えた。

 これまでの人生で出会った人たちの顔を順に思い浮かべて、本当にそうだろうか、と。


 あの人も、あの人も、エステルのことを褒めてくれた。認めてくれた。

 だが、胸がときめいたことは、一度もない。


 本当に?

 一度も?


 ……。 


 考えた結果。


「……うん」


 彼だけだ、と思い至った。


「それってさぁ、やっぱり恋だと思うよ?」


 その通りだと、エステルも認めざるを得ない。


(こ、これが、恋!?)


 花街でたくさんの恋を見てきた。

 幼い頃から、自分もいつか、と憧れていた。

 その恋に、ようやく自分も出会うことができたのだ。


 だが。


(最悪だわ……)


 最初から報われないと決まっているのだから。


(だって、あの人は私のことなんかこれっぽっちも愛してないんだから。離婚、したいと思ってるんだから……)


 この初恋は、実らない。

 エステルは、がっくりと肩を落としたのだった。


 そんな彼女を、寂し気な笑みを浮かべたイアンが。 

 そっと、優しく、見つめていた。





第4章(終章)へ……つづく!


=====

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

いよいよ、次回更新分から終章がはじまります!

引き続き、何卒、よろしくお願いいたします!

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明日以降も、毎日更新(可能な限り)していきます!

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