第7話 あいつが惚れちゃうのも納得だなぁ。



「これが、……売れる?」


 イアンはエステルに懐疑的な表情を向けた。

 そんな彼に、エステルはクリームを指にとって、軽く手に塗ってやる。


「確かに塗り心地は気持ちいいけど……」


『何の変哲もない』と続けようとしたところで、イアンはおや、と目を見開いた。


 クリームを塗った手の甲が、ふわりと輝き出したのだ。


 キラキラ、キラキラ。


 優しい金の光は、本当にわずかな間だけ光って、すぐに消えてしまったが。


「なんか、あったかいね」


 エステルはにんまりと笑った。


「このクリームには、魔法が使われてるのよ!」


 そのセリフに、イアンの眉がわずかに上がった。


「魔法が?」

「そう。

 一般的な保湿クリームに使われるのは植物性の油脂だけど、それに加えて、魔法で抽出した炎症を抑える成分や血行を促進する成分が含まれているの!」


 エステルが自慢げに語ると、イアンは呆れた表情を浮かべた。


「でもこれ、もしかして……」


 イアンがじっと探るような目を向け、エステルは気まずげに目線を逸らす。


「まさか、の魔法使いが作ったの?」


 痛いところを突かれて、エステルは肩をすくめた。


 この国の魔法使いには、認定制度が設けられている。


 魔法使いはそもそも数が少ない。それに、もしも彼らの力が犯罪に利用されるようなことがあれば厄介なことになってしまう。

 そこで、国は魔法使いを保護するため、という名目を掲げて、全ての魔法使いに『認定証』を発行することになっている。


 要は、彼らを管理するためだ。


 が、まれに認定証を持たない魔法使いがいる。

 それが、イアンの言う『もぐりの魔法使い』だ。


「まあ、そういうことになるわね」


 エステルがぽりぽりと頬をかくと、イアンはクリームを塗った手を見つめて考え込んだ。


 厳密には、『もぐりの魔法使い』が魔法を使うことは、違法ではない。

 なぜなら、制度ではなく、あくまでも制度だから。


 免許制度だった場合、免許を持たない者は魔法を使うことが禁じられてしまう。

 そこで、制度が設けられた数十年前に、当時の魔法使いのおさが免許制度に大反対したのだ。


『魔法使いというのは生まれながらに魔法を使うことができる、いわば、そういう人種だ。そんな我らに魔法を禁じることは、鳥から羽をもぎ取るのと同義だ!』ということらしい。


 さて。

 このハンドクリームを作ったのは花街を根城にする認定証を持っていない魔法使いだ。また、長く花街で暮らしていたエステルですらその正体を知らないという謎の魔法使い。


 問題はそこなのだ。


「貴族社会では『信用』ってかなり重要視されるからさぁ」


 貴族だって、魔法が使われている道具や薬を使うことはある。だが、それらは全て認定魔法使いが作ったものだ。


 認定魔法使いが作った物は信用できる、だから売れる。


 そんなことは、エステルにも分かっている。

 だが、このハンドクリームこそ、一攫千金を狙う商売の糸口だと彼女は確信しているのだ。


 なぜなら……。


「認定魔法使いに、美容魔法の専門家はいない。そうでしょ?」


 これには、イアンも頷いた。

 現在、この国の認定魔法使いは全部で二十八名。それぞれが専門分野を持っている。

 が、その中に『美容』を専門とする魔法使いは、いないのだ。


「……なるほど。確かに、商機かもしれないね」


 ニヤリと笑みを浮かべたイアンに、エステルも不敵な笑みで応えた。


「といっても、このクリームが『信用がなくても構わない!』と思えるほど効果があれば、の話だ」


 イアンの言う通りだ。

 エステルは腕を組んで、深く考え込んだ。順序を間違えれば、この商売は上手くいかない。


「まずはメイドの間で流行らせて、屋敷内で効果を実証する。それから、社交界にばらまく、という段取りはどうかしら?」

「悪くないね。貴婦人たちは使用人の横のつながりから他の家の情報を得ることも多いし」


 貴婦人たちは流行に敏感だ。

 そして、その流行を支えているのが、各家の使用人たち。彼らは主人が流行に遅れないように、他家との横のつながりから情報収集することに余念がない、というわけだ。


 それに、エステルにはこのハンドクリームを流行らせたい理由がもう一つある。敢えてイアンに教える必要はないので口にはしないが。


「うん。悪くないね!」


 段取りは決まった。

 だが、問題はまだ残っている。


「でも、困ったことが一つあるの」

「なに?」

「私、メイドに嫌われてるのよね」


 あっけらかんと言ったエステルに、イアンが目を丸くした。


「なんで、また?」

「元娼婦の公爵夫人が気に入らないそうよ」

「あー、なるほど」

「実際には客を取ったことがないから、正確には元娼婦ではないんだけどね」

「そうはいっても、ってことかぁ」


 イアンがしにじみと頷いた。

 そのあたりの女性の感情の機微が、彼には分かるのだろう。


「じゃあ、僕から顔見知りのメイドに渡してみるよ」


 それは最高の提案だ。

 イアンから渡されたものならば、信用の問題もクリアになる。


「とっても助かるわ! ありがとう!」


 エステルは素直に礼をいいながらも、探るようにじっとイアンの顔を見た。


 彼は見返りに何を求めるのだろうか、と。


 彼女の疑問に気づいたのか気づいていないのか、イアンはニコリと笑顔を浮かべた。


「面白そうだから、しばらく君に付き合うよ」


 彼の言う『面白そう』が何なのか、エステルにはよく分からなかったが。


(とりあえず味方を獲得、ってことでいいのよね?)


 彼が何を考えているのか納得しきれずにもやもやは残ったが、エステルは夫の愛を買うための第一歩を踏み出したのだった。




 * * *




 数週間後。

 エステルのハンドクリームは、公爵家のメイドたちの間で一大ムーブメントとなった。


 クライドやエステルの着替えなど、貴人の直接的な世話を担当する上級メイドから、洗濯場や台所で水仕事を担当する下級メイドに至るまで、こぞってあのハンドクリームを絶賛したのだ。


 特に冬場の水仕事であかぎれだらけになっていたメイドたちの手がつやつやになったのを見て、エステルはとても満足した。


「……どうしてハンドクリームなのかなって、思ってたんだけど」


 あれから数日に一度の恒例になっているエステルとイアンのお茶会。

 そこで給仕するメイドの手を見つめてニヤニヤするエステルの顔を見て、イアンは一つ頷いた。


「君、彼女たちのあかぎれを心配してたんだね?」


 この疑問に、エステルは肩をすくめた。


「たまたま、よ」


 そう、彼女たちのためだけにやったわけではないのだ。


「たまたま私は美容製品で商売をする必要があって、たまたま在庫を確保することができたのが、あのハンドクリームだったってだけよ」


 世話になっていた娼館の女将に仲介を頼んで、花街の商店に『在庫を確保できる魔法を使った美容製品は何か?』と問い合わせたら、たまたまそれがハンドクリームだった、というのは本当のことだ。


 その際に、メイドたちのあかぎれを思い出して『ハンドクリームはどうかしら?』と付け加えたのもまた、事実だが。


 そんなことを素直に話すのは気恥ずかしくて、エステルはふいっとイアンから目を逸らした。

 その頬がわずかに赤くなっているのを見てとって、イアンが可笑しそうに微笑む。


 そして、


「なるほどねぇ」


 うんうんと頷いた。


「あいつが惚れちゃうのも納得だなぁ」


 あまりにも小さな声だったのでよく聞き取れずエステルは小さく首を傾げたが、イアンはうっとりと微笑んだだけで、その真意を教えてくれることはなかった。


 また、庭園で開かれるこの二人きりのお茶会の様子を、毎回、クライドがこっそり覗き見していることを、彼女はまだ知らない。




 さらに数週間後、このハンドクリームは首都で貴人の屋敷に仕えるメイドたちの間で大流行となった。


 ところが。


 貴婦人たちの間では、わずかに話題に上っただけで、まったく流行らなかった──。

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