脳ミソ相撲

黒実 操

脳ミソ相撲

 ――ひがぁしぃ コマのぉ蝶 コマのぉ蝶

 ――にぃぃしぃ ヨシのぉ雪 ヨシのぉ雪

 ――とざい とぉおおおざい

 よく通る呼び出しの声。何処となくオペラ歌手じみている。

 ――番数も取り進みましたるところ、かたやコマの蝶、コマの蝶。こなたヨシの雪、ヨシの雪。 

 ――この相撲一番にて本日のぉ結び

 続くは行事の呼び上げ。抑えたような圧がある。

 何やら宣言じみた響きのそれが、場内のざわめきを一掃した。

 声の反響から察するに、体育館か武道館か。

 中央に土俵と、それを囲んで客席がしつらえられているようだ。

 土俵だけに強いライトが当たっていた。

 照明の技により客席は暗く沈み込んでいる。当然そこに座る者達の姿は見えない。

 ぬっ、と、暗闇から押し出されるようにして、東西の力士が現れた。どちらもひょろひょろと痩せている。全く力士らしくないが、頭には大銀杏おおいちょう、腰には廻しがあった。

 しかしどうしたことだろう。

 東の力士は、くなくなと身体を揺らして這いずるようにしているではないか。

 西の力士に至っては、べったりと座り込んでいる。どちらも蹲踞そんきょどころではない有様だ。

 その二力士の背後の闇から、黒い手が生えてきた。

 黒子だ。歌舞伎などでお馴染みの、あの黒子だ。

 東西の力士は共に黒子に抱えられ、土俵の内側に降ろされた。どちらとも尻や掌を土俵に付けている。

 奇妙、奇妙。

 頭を垂れるようにしている両力士の肩を、それぞれに付いた黒子が、ぐっと反らした。

 二人の胸元があらわになる。

 明るすぎる照明に曝されたそこは、東西どちらも女のものだ。まだ若い。

 さては女相撲か。

 二人の黒子は大銀杏に手をかけた。呼吸を合わせたかのように、同時に引っ張り上げる。

 ぱかり、とそれは外れた。かつらだったのだ。

 大銀杏の下から、ふわりと湯気が立ったように見えた。

 白い半円状のものが現れて、ちょうど丼飯どんぶりめしふたを取ったような滑稽こっけいな眺めだ。

 大銀杏が蓋ならば、女の顔が茶碗で頭が飯というわけだ。ならばあの女達は髪の毛をつるつるに剃られているのか。それともあれも鬘か羽二重はぶたえか。

 いや、おかしい――飯の部分は額よりも一段引っ込んでいるではないか。やたら白くて何やら頼りなげに、ふるふると震えているではないか。

 あはぁ、と東の女力士が妙な溜め息をついた。西の女力士は泡を吹く。二人とも両目は、てんでばらばらの方向を向いていた。

 何ということか――様子がおかしいのも道理、二人の女は額から上の脳ミソを守るべき部位、皮膚と頭蓋が取り去られているではないか。

 つまり脳ミソを剥き出しにされているのだ。

 時間です待ったなし、と行司が声を張る。

 黒子が土俵を離れた。両力士は支えを失い、その場でぐにゃりと崩折れる。

 と、行司が動いた。

 まずは東の女力士の耳元で何やらそっと囁いて、同じように西の女力士にも囁いた。

 う、ううん、と駄々っ子じみた声を上げ、東の女力士が右腕を振りかぶる。そのまま倒れるようにして、西の女力士の脳ミソに五本の指を突き立てた。

 西の女力士は、痙攣しながら両手を振り回す。その掌が東の女力士の脳ミソに、水平に当たった。頭蓋から出ていた半円の部分が、そっくりそのまま、ぽんと飛ぶ。

「いいですか。これ以上私達のことを探るのならば、次に土俵に上がるのはあなたです」

 つ、と額に誰かの指が当てられて、つい、と横に引かれる。

 蓮司の意識は、そこでぷつりと途切れた。


 目覚めは最悪だった。

 蓮司は、節々の痛む身体を引き剥がすようにして起き上がる。ぐるぐると眩暈めまいがする。頭も痛い。もしかして感冒かんぼうにでも掛かったか。

 それにしても嫌な夢だった――あまりにも酷い。そして生々しかった。

 蓮司は探偵に憧れている青年だ。猟奇のを自称して、奇妙な噂やおかしな事件を嗅ぎ回るのが趣味なのだ。

 最近は連続して見つかった、恐ろしい死に方をした女性達のことで頭がいっぱいだった。

 ――あんな夢を見てもおかしくはないか。

 ぱん、と頬を張り、蓮司はとこを出る。

 日課通り、まず朝刊を開いた。

 三面に、また女の変死体が上がったという記事があった。原野駒子と瀬田吉乃。ともに十七歳の女学生だという。

 蓮司の胸に苦いものが過ぎった。

 駒子と吉乃。

 女力士の四股名しこなはコマの蝶とヨシの雪、ではなかったか。

 いやいや、と蓮司は立ち上がる。もういけない、これはいけない。顔でも洗ってすっきりしよう。

 いくら猟奇の徒を任じているとはいえ――蓮司の思考はそこで止まった。

 洗面所の鏡に映る己の額に、赤い線が真横に引かれていた。  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

脳ミソ相撲 黒実 操 @kuromimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説