ラーメン
sui
ラーメン
家の中。
ふ、と途切れた集中力。握りしめていた物を手放して、腕を上げる。
肩から背中にかけての鈍い痛み。それを無視して伸び続けていれば、血が通ったようで段々温かくなってくる。
ハァと一声。
肩を回す。右と左。
動かしにくさを感じる方向があると気付くが、多分人間なんてそんな物だろう。
スマホを取れば、それなりの時刻。
ヘッドホンを外してチェアを立つ。
床についた足が温かさを感じた。爪先が冷えている。
手は動きが鈍らないよう気を遣っているし、それで何とかなっているけれど、足は何をしても冷える。そういう体質なんだと思う。
面倒臭いと思いながら洗面台で顔を洗う。適当に縛った髪は流石に解いて櫛を入れないとマズい。
けれど着替える程の事ではない。上着を羽織って財布はポケット。フードを被って足にはサンダル。
人の気配を気にしつつ、扉を開けて外へと出れば、チカチカする位に太陽を眩しく感じた。
ブラブラと道を歩く。暑い、寒い、眩しい、花粉や埃が飛んでいる、道路に広がる人が邪魔、おかしな運転の自転車が後ろからやって来る、犬の糞や煙草のポイ捨てが気に入らない、音が煩い、変な臭いがする、車が怖い。外なんて碌な事がない。
日を浴びたり歩いたりする事は健康的らしいので、それで納得するしかない。
本当は全てが家で済めば良いと思う。
でも今行こうとしているのはそれが望めない場所だから仕方がない。
狭い通りの特徴もないラーメン屋。
暖簾はくすんでいるのに入口のガラスは透明度が高い。中へ入ると、独特の臭いが立ち込めている。
元気な掛け声や挨拶はない。そういうタイプの店ではない。
カウンター席に座れば店主が振り向くので声をかける。
「味噌ラーメン一つ」
「あいよ」
お互いにボソボソとした声で、大して目も合わせずにやり取りをする。
他の客は一人しかいない。その人も無言で麺を啜っているだけだ。
昼食時でも大して行列する事はない。決して不味い訳ではないけれど、代わり種も目新しいメニューもない、トッピングだって選べない。注文が増えると出てくるまでに時間がかかる。ここはそういう店だ。
無言の時間。
積まれたコップを勝手に取って水を汲む。夏だろうが冬だろうが氷が目一杯に入っていて、注ぎにくいし飲みにくい。
ついでに箸も出しておこうかと考えたけれど置き場がないので止めておく。
胡椒、醤油、ラー油、酢。最低限の物しか置かれていないのに机は狭い。
暇になってスマホを弄る。ゲームや動画を開く程の時間はない。だからただ映る物を眺めているだけ。面白くないニュースやつまらない広告ばかり並んでいるとウンザリする。
「お待ち」
ゴトン、という音に顔を上げると店主がそこにいた。返事をしようとして妙な音を口から漏らしてしまった。
恥ずかしくなりながら、腰を上げる。丼が熱くて重い。慎重に持ち上げて、自分の前に移動させた。
味噌の匂い。世間は魚介だとか豚骨だとか、拘りを色々言っているけれど詳しい事はよく分からない。自分はここではこれを選ぶ、ただそれだけ。
箸を割ってレンゲを持つ。
箸をスープにつけ、出て来た麺を啜る。細いとか太いとか、特に言う事もないただの麺。スープの味はちゃんとしているし不味い訳でもないのだから、多分これは美味しい物。
行儀とかマナーだとかもどうでも良い。太る?栄養?ますますどうでも良い。
食べたい物が食べたいだけ。只管空腹を満たしたいだけ。
服にスープが飛ばなければいいな、としか考えていない。
見た目は良いけれどコーンとモヤシはいつ食べるのが正解だろう、と時々悩む。いくつか箸で摘まんでみて、結局レンゲで纏めて掬って口に押し込む。一緒に流れ込んできたスープが熱い。
少し刺激が欲しくなって胡椒を手に取る。クシャミが出ないよう、丼の上で慎重に動かす。
味噌の甘いような匂いにスンとした香りが乗っかった。
また箸を動かす。レンゲを握る。麺を吸う。スープを飲む。葱の穴に箸が刺さる。取り残したコーンが沈む。器の白い部分が増えていく。
暑い。暑い。暑い。
空になった丼から離れて水を飲む。恐ろしく冷たい。歯が傷みそうな位だ。それでもコップを傾けるのは止められない。
ふう、と漸く息を吐く。
残ったのは空の器ばかり。
舌で唇をぺろりと舐めれば油の味がした。
「ごちそうさま」
「はいよ」
丼を返しながら声をかけてレジへ移動する。丁度ピッタリの小銭が出せて、妙に満足した。
店を出る。
眩しさにも慣れて、気分は軽い。
もう少しだけ外を歩いてもいいか、という気分になる。
スマホを覗けば新しい通知。遊びに誘う短い文が見える。
いつもだったら覚えてしまう少しの面倒臭さより嬉しさが勝って、何だか楽しくなってきた。
好きな事を好きにやる。
するとこうして良い事が増える。
ラーメン sui @n-y-s-su
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