奇妙な鳥居
壱
「あ、違うよ慶賀くん。プリントには
「え、そうなの?」
「二杯なのは生姜と棗で、桂皮、甘草は一掴みだって。……桂皮ってどれ?」
「まあいいじゃん適当で。生薬って全部薬なんでしょ? 口に入れても害にはならないって~」
月曜日、これまで科目担当の先生が病気で休講だった「神職漢方学」の授業が始まった。
先生から配られるプリントを見ながら、正しい分量で漢方薬をつくる授業で、私は慶賀くんとペアになって「
神職漢方学は高等部からの授業らしく、みんなと同じスピードで学べることにまずほっとした。
なのでいつもよりは心に余裕も持って授業に参加できる。慶賀くんとおしゃべりしながら授業に取り組めているくらいだ。
薬研と呼ばれる薬種を砕くための道具をきこきこと動かしながらふたりでああでもないこうでもないと首を捻る。
「こら慶賀、巫寿くん」
「あ、やべ」
ギクリと肩を上げた慶賀くんの頭の上にぱこんと教科書が降ってくる。
ふたりして顔を見合せて振り返る。
「
五十代にも関わらず無精髭が似合うちょいワルな雰囲気のこの男性は、「神職漢方学」担当の
豊楽先生は少し呆れたように私たちを見下ろして笑うと、薬研の中のすり潰した薬種をひとつまみ舌の上で転がす。
「よし、巫寿くんはそこの御種人参をすり潰して、慶賀は
「竜骨? どんなの?」
「見たらわかるさ」
そう言って白衣の懐から襷を出した豊楽先生は楽しげに舌なめずりすると、慣れた手つきで袖をたすき掛けにした。
「あとは、
薬包紙に載せた粉末を次々と手早く薬研でひいていく豊楽先生。
「先生あったー!」と慶賀くんが持ってきた、その名の通りまるで竜の骨のような石を砕いて入れる。
「何作ってんのー?」
「よし、じゃあ慶賀が飲んでみるか」
ニヤリと笑った豊楽先生は完成した漢方薬をぬるま湯に溶いて慶賀くんに手渡した。
ふたりして湯のみの中を覗き込むと、中には琥珀色の液体がたぷたぷと波打つ。
ごくりと唾を飲み込んだ慶賀くんが一息に飲み込む。
少し緊張しながら反応を伺う。
「ど、どう?」
「不味くは、ない? 美味くもないけど。あッでもなんか腹の底がポカポカしてきたかも! 巫寿も飲む?」
渡された湯呑みを受け取った。
「豊楽先生、これなんなの? 葛根湯では無いよね?」
「ん? ああ、ただの精力剤」
湯のみを唇につける寸前で「ひゃっ」と声を上げて机の上に置いた。
ぶっと吹き出した慶賀くんを見て、豊楽先生は楽しげに声を上げる。
「なんちゅーもん生徒に飲ませんだよ! でもすげー! 俺たちそんなの作ってたの!?」
「ああ、そうさ。調合というのは"しらべととのえ、あわせる"と書くんだぞ。正しい分量を調べて、材料を整えて、混ぜ合わせればなんでもつくれるんだ。だから分量はしっかり守ること。いいね」
はーい、と手を挙げて返事した慶賀くん。
もう一口飲もうとして、豊楽先生に取り上げられる。
「じゃあ今日はここまで。配ったプリントは次の授業までに埋めてくるように。あと、開門祭で薬種を取り扱いたい生徒は、事前に俺まで申請するように」
丁度授業の終わりを知らせる鐘が鳴り響いた。
「ねえ皆、開門祭って何……? そういえば、最近みんなよく話してるよね。お祭りか何か?」
特別教室からホームルーム教室へ戻りながら、並んで廊下を歩く皆に話しかける。
「まねきの社のお祭りだよ! どの社も、社が立てられた日の前後三日間は、社で大きなお祭りがあるんだよ」
へえ、と目を瞬かせる。
前後3日間ということは、約一週間お祭りがあるということだ。
地元の夏祭りでも一日や二日で終わってしまうから、うんと大きなお祭りなんだろう。
「まねきの社は、
なるほど、とひとつ頷く。
となると、本来ならば一週間は自由に過ごすことができたらしい。
「屋台だけじゃなくて、曲芸団が来たり演劇もあるんだよ。遠方から来る妖もいるし、学生も出店できるから普段は見れないような屋台も沢山出るんだ。俺も楽しみにしてたのに……」
はあ、とため息をついた嘉正くん。
「俺、今年こそは射的の景品全制覇するって決めてたのに……」
「俺だって屋台の食いもん全制覇するつもりだったんだぞ……」
がっくしと項垂れたのは慶賀くんと泰紀くん。
罰則に例外はないらしく、どうやら開門祭の期間もば文殿で罰則の書棚整理をさせられるらしい。
だから嬉々先生から罰則を言い渡された時、みんなあんなにも絶望した顔をしていたんだ。
まだ開門祭がどのようなものか分からないけれど、話を聞くだけでもとても楽しいお祭りなのだとわかった。
だから私も少しガッカリしてしまう気持ちが芽生え出す。
去年はどんな店があった、なんて話をしながら先頭を歩いていた嘉正くんが廊下の途中で旗と足を止めた。
「あ、しまった」
急に足を止めたので、そのまま彼の背中に鼻をぶつける。
わ、と驚いて声を上げると、嘉正くんは慌てて「ごめん」と申し訳なさそうに謝りながら振り返った。
「嘉正、急にどうしたの?」
「気が付かない? 俺たち、ずっとこの階段を登ってるけれど、特別教室がある階から進んでないんだよ」
「え?」
そんなまさか、と思ってちょうど踊り場の壁にある上と下の階層を示す数字を見上げる。
そこに示されたのは、下の階は自分たちがいたはずの特別教室がある2階と、その上の階である3階の文字。
……おかしい。
だって少なくとも、開門祭の話をし始めた頃に階段を登り始めた。そして私の記憶が正しければ、この踊り場を四回は通っている。
いつもなら上の階へ行くのに階段の踊り場はひとつしかないはずなのに。
どういうこと?
階段の手すりから身を乗り出して、上の階を見上げる。
普段なら上の階の廊下や窓が見えるはずなのに、そこに見えたのはさらに上へと続く階段だった。
「あっ、今日って15日じゃん!」
「ホントだ。すっかり忘れてた」
「げー」と面倒くさそうに顔を顰めた慶賀くん。
皆も疲れた顔をして階段を降り始める。
「15日? それと何が関係してるの?」
歩き出したみんなについて行きながら尋ねた。
登りとは正反対に、降りる時はいつものように十数段で元の階に戻ってきた。歩いてきた廊下を戻り始める私たち。
「まねきの社の鳥居に付与された結界が貼り直される日だよ」
「それと何か関係があるの?」
「俺も詳しくは知らないんだけど、その結界は特殊らしくて。例えば、学校へ入ってくる時の石階段がその例なんだけど」
初めて神修へ来た日のことを思い出す。
大きな鳥居の先に広がる果てしなく続く石階段を見て、げんなりしたんだっけ。
けれどそれは見せかけの階段、神修の関係者であれば十段ほど登れば学校の敷地内へ入れて、許可されない者がひとたび足を踏み入れれば二度とその階段から出ることは出来ないのだとか。
「空間を歪ませて守りを強める結界なんだよ。学校の石階段や鎮守の森だけでなくて、学校の至る所にも空間を歪ませる結界が施されてるんだ」
じゃあさっき、階段を上まで登りきることが出来なかったのは空間を歪ませる結界のせいだったのか。
でも、本の一時間前まではあの階段はちゃんと昇り降り出来たはずなのに。
「毎月15日に、その結界が貼り直されるんだよ。だから学校の至る所にあった空間の"捻れの位置"がガラッと変わっちゃうんだよね」
「えっ、毎月変わるの?」
「そうだよ。だから15日はよく新入生が迷子になりがち」
ほら、と来光くんが指さした先には、初等部の一年生と思われる子供たちが教科書を抱きしめながら右往左往している姿があった。
「結界が張り替えられたら、次の授業は休校になるんだよ。みんな迷子になるから」
「わたしも毎月迷子になりそう……」
「大丈夫だよ。学校の中なら最悪迷っても、消灯の時刻までには先生が探しに来てくれるから」
励ましになっていない励ましだ。
「俺らも"教室探し"行こうぜ~」
「教室探し?」
「開けたドアがホームルーム教室に繋がってるとは限らないからね」
ええ、と目を丸くする。
でも確かにその通りだ、空間が歪むということは、その場にあったものが別の場所に行ってしまうということだ。
「今度の教室は下の方にあるといいな~。中学の時なんて3年間ずっと、12階分の階段登ったからね!」
ひえ、と息を飲む。
まだまだこの学校には私の知らないことが多いようだ。
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