寮から社頭へ続く階段を降りると、一気に目の前が華やかになった。


夜空を彩る数々の赤い提灯に龍笛やわだいこの音色。沢山の人が話す声は、昔お兄ちゃんと行った花火大会に似ている。


まだ本殿とは離れているからか妖の姿はなかった。どの妖たちも参道に出店を出すからそっちに集まるらしい。



「怖かったら下向いてていいからね。ぶつからないように引っ張るし」


「……ありがとう。まだ、大丈夫」



うん、と笑った嘉正くんは頭に着けていた自分の面を下げて顔につける。慌てて私もそれを真似て狐面を付けた。


参道をめざして歩いていると、ざわざわする声が次第に大きくなっていく。


嘉正くんの裾を握りしめてつま先を見ながら歩いていると、自分の隣を通り過ぎていく足が増えていく。明らかに人ではない三本指や一本足に、ゴクリと唾を飲む。



「慶賀たちどこいるんだろうね」


「買い食いして回ってるんじゃないかな。昼にりんご飴の話してたよ」


「じゃあ青女房のとこかな」



そんな話をしながら社頭を進むふたり。


少し歩いたところで、嘉正くんは歩みを止めた。気が付かずに背中にぶつかって「わっ」と顔を上げた表紙に誰かと目が合った。


ぺっとりと真っ白に塗られた顔に、丸い眉。けれど目鼻立ちはハッキリとしていて、髪の毛も艶々、少しふっくらしたほっぺたが美人なのに可愛らしい。ちょっとボロボロだけれど、昔の女官みたいな綺麗な着物を着ている。


すごく美人な人だな、と彼女をじっと見る。



「なんだなんだ嘉正に来光じゃないか! まーた抜け出してきたなガキンチョども!」



ちょっとだけ面をずらして顔を見せた二人に気付くと、親しげに話しかけてくるその女性。



「いい月夜だね、青女房」


「こんばんは。お久しぶりです」


「そうか、学校は春休みが終わって新学期だったな!」



カラカラと笑うその人は、私と目を合わせると興味深げに目を輝かせる。



「その子は? 新入生?」


「高等部へ編入してきた新しいクラスメイトだよ。────巫寿、大丈夫?」


「……? うん、大丈夫だよ。初めまして、巫寿です」



なぜ「大丈夫?」と聞いたのかよく分からずに首を傾げる。


その人はにかっと歯を見せて笑う。思わず「あっ」と声を上げてしまった。その人の歯は真っ黒塗られていたからだ。




「巫寿だな! アタシは青女房って妖だよ。よろしくな」


「妖……? お姉さんは妖なんですか?」


「あははっ、当たり前だろ! 今夜の社は人間よりも妖の方が多いぞ!」



ビックリして目を瞬かせる。だって歯が真っ黒なこと以外、私たちと何一つ変わらない姿だから。



「青女房、慶賀と泰紀ここへ来てない? 先行っちゃったから探してるんだ」


「あのふたり? いやあ、まだ見てないね」


「そっか。一目散にここへ来たと思ったんだけどな」


「あははっ、さてはこれ目当てだな?」



青女房は自分の前をゆびさす。


そこには色とりどりのお菓子が入った瓶がずらりとられていた。金平糖、チョコレート、お煎餅に飴玉。思わずわくわくするようなカラフルなお菓子がたくさんある。


青女房は机の下から茶色い紙袋を三つとると、パン!と膨らまして瓶の蓋を開けた。慣れた手つきで色んなお菓子を詰めていく。



「あいよ、持ってきな!」



パンパンになった紙袋を投げるように渡されて、慌てて両手を差し出して受け取る。



「えっ、あの、これ貰っていいんですか……?」


「いいのいいの。あんたらは特別だよ! それ食って子供は早く寝ろ!」



身を乗り出すした青女房に、髪の毛がボサボサになるまで頭を撫で回される。力が強すぎてグルグルと首が回る。




「ちょっと青女房さん、巫寿ちゃんがびっくりしてるから!」



ちょっと目を回していると、来光くんが慌てて止めに入ってくれた。



「あはは、申し訳ない!」


「もう! 女官の癖にガサツなんだから」


「女房として綺麗に死んで黄泉に行くより、化けて出る方がアタシにはちょうどいいんだよ!」



嘉正くんたちは可笑しそうに声を出して笑う。



今のって、どういうジョークなんだろう……?



皆についていけずに首を傾げた。




「もうちょっと探してみるね。ありがとう、青女房」


「はいよ! 慶賀達にも、店に顔見せたら菓子渡してやるって伝えといてくれな!」


「分かった、伝えとく」



じゃあな巫寿!と手を振られ、私たちは青女房の出店を後にした。



「嘉正くん、あの人って」


「青女房って妖だよ。僕らが小さい頃からずっと良くしてくれてる妖なんだ」


「ただの綺麗なお姉さんかと思った……」


「ははっ、確かに喋らなければ綺麗なお姉さんだよね。でも良い妖でしょ?」



うん、と頷いて恐る恐る当たりを見回した。


毎年お兄ちゃんと行っていた夏祭りの縁日と同じような、沢山の屋台が並ぶ社頭。店を覗き込むのは人間の姿だけれど、しっぽや耳が生えたり、羽があったり真っ赤な顔で鼻が長い人もいる。



「お嬢ちゃん、ちょっとごめんよ」



そう言って私の横を通り過ぎたのは、大きな一つ目で男の姿をした妖だった。


思わず嘉正くんの腕を掴むと、心配そうに顔をのぞきこんだ。



「大丈夫? 下向いてなよ」


「だ、大丈夫、平気。ちょっと驚いちゃっただけ。怖くはない、と思う」



嘉正くんが少しだけ目を見開く。


強がりで言った訳ではなく、本当にそう思った。


多分、青女房と少しだけ話したからだろう。怖いという気持ちばかりが先走っていたのが、少し薄らいだ気がする。



まだ明らかに人の姿では無い妖を見つけると驚いてしまうけれど、嘉正くんの背中に隠れながらもお店を見て回るくらいには心に余裕が出来た。


嘉正くんが知り合いの妖が居る出店に立ち寄って少し立ち話もできるようになって、そんなふうに過ごしていると真夜中の十二時を知らせる鐘が響いた。


鐘の方をみた来光くんがため息を着く。



「慶賀たち、見つからないね」


「先に戻ったのかもしれないね」



そろそろ戻ろうか、と嘉正くんが言いかけたその時、「きゃーっ」と夜を貫くような甲高い悲鳴が響き渡った。


その悲鳴が感染するようにあちこちで広がっていき、徐々にこちらへ近づいて来ている。



「な、なに!?」


「すごい悲鳴……向こうで何かあったらしい。騒ぎがこっちに移動してるね」



寮へ戻ろう、と嘉正くんが振り返ったその時、「うわっ!」と来光くんが声を上げた。


私たちが振り返った瞬間、来光くんは地面に尻もちを着いて目を瞬かせている。



「ら、来光くん……!」


「大丈夫か来光!」



慌てて手を差し出して、二人がかりで立ち上がらせる。


周りには来光くんと同じように悲鳴をあげて尻もちをつく人達が沢山いる。


何事かと当たりを見渡す。


ふと、視界の隅にすば知っこい何かが横切った。ものすごい速さで大勢の足元を移動するそいつ。



「あ、不味まずい! 巫寿、座って!」



へ? と首を傾げたその時、自分の足元にふわふわの何かが触れた。それと同時に、驚くほど強い力ですねの当たりをぐんと押される。踏ん張ることも間に合わず、ふらりと後ろに傾いた。



「きゃっ」



どん、と地面に尻もちをついた。


おしりを地面に強く打ち付けてしまい、「いてて」と顔をしかめる。


嘉正くんが膝を着いて私の顔をのぞきこんだ。



「大丈夫? どこか打った?」


「えっと、大丈夫。でも、何が足に」



転ぶ前に何かがすねに触れたような。



「────あっ、嘉正に来光に巫寿! やっと見つけたー!!」



突然始まった騒ぎに、慌てふためく人並みをかき分けるようにして慶賀くんと泰紀くんたちがこちらに向かって来るのが見えた。


四つん這いで。


四つん這いで……?



「やばいんだよ! ちょっと手伝って!」


「すねこすりの柵壊しちまった!」



すねこすり? 首を傾げていると、嘉正くんは額に手を当てて深いため息をつく。



「馬鹿! よりによって何でそんな厄介な幽世動物の柵を!」


「ろくろ首の明里に騙されたんだー! ただの煙玉っていうから買って試したら爆竹でッ」


「ビックリして手を放したら、すねこすりの柵に転がって行って柵が壊れたんだよぉ!」



半泣きの二人が嘉正くんに縋り付く。


そんなふたりにいつもの十倍は長いため息を零した嘉正くんは、ふたりの頭を勢いよく叩いた。



「いてっ」


「何すんだよ嘉正ーッ」



叩かれた頭を押えて抑えて恨めしそうに見るふたりを、嘉正くんがじろりと睨みつけた。


ひっと息を飲んだふたりはすぐに口を閉じる。




「逃げたのは何匹?」


「なななな、七匹であります!ッ」


「そそそそのうち二匹は捕獲済みでありますッ!」



ち、と舌打ちした嘉正くんに目を剥いた。


いつもの温和な彼からは想像できないくらいダークな雰囲気が漏れている。



「一人一匹。捕まえるまで死ぬ気で探して」


「もし見つからなかったら……」



そうっと手を挙げて聞いた慶賀くんは、嘉正くんに凄まれてまた息を飲む。



「慶賀と泰紀の選択肢は見つけるか、見つけるかの二択だよ。……ほら、さっさと行って」


「二択じゃなくて一択じゃん~っ」



泣きながら、四つん這いで走り出した二人の背中を見送る。可哀想だなとは思うけれど、嘉正くんが正しいだろう。



「それにしても、どうして四つん這い……?」


「すねこすりって言うのは幽世に住む動物型の妖でね。立ってる人のすねに体を擦り付けて転ばせる、ちょっと厄介な妖なんだ」


「なるほど、だから"すねこすり"。それで皆四つん這いなんだね」



四つん這いになったあやかし達が社頭を右往左往している姿に、思わずぷっと吹き出す。


少し前まではあんなに怖いと思っていたはずなのに、今はなんだかおかしい。



「立ってると転ばされるから、巫寿も四つん這いで移動した方がいいよ」


「わかった……!」



そうして、逃げ出したすねこすりを捕獲すべく私たちは動き出した。






「────あと一匹かぁ」



あれから1時間後、騒がしかった社頭はやっと落ち着きを取り戻し元の賑わいをみせていた。


残り一匹になって合流した私たちは確保できたすねこすりを腕に抱きながら、あと一匹を捕まえるために社頭のあちこちを探して回っていた。



それにしても────。



腕の中で「きゅいきゅい」と鳴き声をあげるその子と目が合った。


いたちのようなスラリとした胴体に、うさぎよりかは少し短い垂れ耳、三毛猫のようなまだら模様のふわふわした生き物。くりくりした目が私を見上げ、堪らずその小さな後頭部に頬ずりした。



「厄介だけど可愛い……」


「こんなに可愛い顔して、とんでもない悪戯っ子だけどね」



捕まえる際に十回近く転ばされた嘉正くんは恨めしそうに腕の中のすねこすりを見下ろした。



「残りの一匹、どこにいるんだよ!」


「くそう、出てきたら串焼きにしてやるッ」


「そもそも二人が柵を壊したから悪いんでしょ。関係ない僕達まで巻き込んで……!」


「なんだと!? 俺らの友情はそんなもんかよ!」


「ここで友情論を語るなーッ」



ぎゃいぎゃいと言い合う慶賀くんたちを苦笑いで見守る。



それにしても、最後の一匹は本当にどこにいるんだろう。四匹は探し始めて直ぐに捕まえることが出来たけれど、最後の子だけはずっと見つからない。


嘉正くんが「すねこすりは人を転ばす性質があるから人通りの多いところに行きたがる」って言っていたけど、参道近くは隅々まで見たはずだ。


あとこの辺りで探していないのは屋台が出ていない本殿の裏くらいだろう。



「本殿の裏も見てみようか」



同じことを思っていたらしい嘉正がそう言う。


私たちは参道をずれて本殿裏に回った。


角を曲がったところで、大人しく腕に抱かれていたすねこすりがぱっと顔を上げた。スリムな体をくねらせてするりと私の腕から飛び出し「あっ」と声を上げる。


逃がしてしまったのは私だけではなかったようで、隣からも「あっ! おいコラ!」とみんなの焦った声が聞こえた。


軽やかな足取りで一斉に同じ方向に走り出したすねこすりを追いかけると、その先に人影を見つける。



「……恵生くん?」



駆け寄ると、逃げ出したすねこすり達は毛を逆立ててフーッと威嚇の姿勢を見せる。


恵生くんは私たちが探していた最後の一匹の首根っこを掴んで険しい顔でこちらを振り向いた。



「良かった、恵生が捕まえてくれたんだね。表で騒ぎになってて、探してたんだ」



嘉正くんがそう声をかけながら手を差し出す。


恵生くんはすねこすりを一瞥した。



「表の騒ぎの元凶がこいつなら、俺は今からこいつを祓う」


「は!? おい、ちょっと待てよ!何言ってんだよ!」



慶賀くんが慌てて駆け寄り、恵生くんからすねこすりを奪い取る。


私達も他の子を協力して再度捕まえて抱き上げる。



「何を言ってる、と言いたいのは俺の方だ。害ある妖を祓うのも神職の勤め。お前たちは神修で何を学んでいる?」


「今回は俺と泰紀が柵を壊して、こいつらを逃がしちゃったから悪いんだ! こいつらはなんにも悪くない!」


「結果として多くの妖に被害を出している。祓う理由はそれだけで十分だ」


「状況考えろよ! これだから本庁派はッ……!」



顔を真っ赤にした慶賀くんが恵生くんに掴みかかったその瞬間、



「────化性けしょうの者か魔性ましょうの者か正体を現せ。化性の者か魔性の者か正体を現せ。化性の者か魔性の者か正体を現せ」



第三者の声が聞こえたかと思うと、パキッとかわいた音を立てて面にまっすぐと亀裂が入った。


真っ二つに割れた面は私の足元に落ちる。



「嬉々先生……」



そう呟いた嘉正くんも割れた面が足元に落ちている。


はっと振り返ると、鋭い目でこちらを見据える嬉々先生の姿があった。




「学生寮の門限は遠の昔に過ぎているが、こんなところで何をしている」



嬉々先生の問いかけに、びくりと肩を震わせる。


恵生くんは臆せず答えた。



「俺は両親の手伝いで外に出ているだけです」


「そうか。宜嘉正松山来光志々尾慶賀近衛泰紀椎名巫寿、お前たちは」



みんな気まずい顔でお互いの顔を見て黙り込む。



「門限破りの罰で二ヶ月間放課後の文殿整理を言い渡す。全員だ」


「そんな! 一ヶ月後には開門祭かいもんさいがあるのに!」



慶賀くんが悲鳴に近い声でそう叫ぶ。


恵生くんは我関せずと踵を返した。その背中に嬉々先生が呼びかける。



「お前もだぞ京極恵生」


「は?」


「門限時間外に外にいた。"理由はそれだけで十分だ"。そうなんだろう」


「なッ────」



顔を赤くした恵生くんがなにか言おうと口を開いたが、はっと我に返ったように口を閉ざす。


感情を押し殺すように目を瞑って深く息を吐いた恵生くんは、私たちをきつく睨むと早足で去っていった。



嬉々先生に睨まれながらすねこすりを柵に戻した私たちは、とぼとぼと寮へ戻る帰路を歩く。



「だから僕は嫌だったんだ! いっつもいっつもこう! 二ヶ月も文殿の整理なんて罰則が重すぎるよ……。力作の狐面もこんなボロボロにされて、開門祭も行けないなんて」



割れた狐面を胸に抱きながらしょんぼりと肩を落とした来光くん。


流石に悪く思ったのか、慶賀くんと泰紀くんは申し訳なさそうに「ごめん」と私たちに頭を下げた。



「もう慣れたよ。ちゃんと整理を手伝えば、また方賢ほうけんさんが罰則を軽くするように計らってくれるかもしれないし」



はあ、とため息をついた嘉正くんに、ふたりはいっそう縮こまる。


というか「また」ということはいつもこうなんだ……。



「そういえば慶賀くん、さっき恵生くんに向かって"本庁派"がどうって言ってたよね。あれってどういう意味なの……?」


「え? ああ、うん」



歯切れ悪く頷いた慶賀くん。



「俺たちや薫先生や、もちろん巫寿も。全ての神職は日本神社本庁って機関に属してるんだけど、その中に二つの派閥があってさ。ひとつが"本庁派"、恵生とか、社でお勤めせずに本庁で働く人達の事。もうひとつが"神修派"、社でお勤めする神職や神修で働いてる神職のことなんだ」



以前禄輪さんが「神修派の奴らは……」というようなことを言っていたのは、そういう意味だったんだ。



「じゃあ、神修にいる私は、神修派ということ……?」


「巫寿」



嘉正くんが割って入った。


目を瞬かせて嘉正くんを見上げる。



「日本神社本庁は本来、ひとつのまとまった組織だったんだけど、空亡戦を機にふたつの考え方に割れてしまったんだ。そうなってしまったのには、色んな人の苦労だったり悔しさがあるから」



嘉正くんのその言葉が何を意味するのか分からなくて、じっと瞳を見つめる。



「本庁に居るから本庁派だとか、神修の生徒だから神修派だとか、尊敬してる人がどっちの考え方だからとか、そんなふうに決めちゃだめだと思うんだ」


「皆が神修派だから私も神修派になる、って考え方はダメってこと……?」



そう、と嘉正くんが頷く。



「ここで学んでいく中で色んな考え方に触れて、それで本庁派の考えが会うなら本庁派を尊重したらいいし、神修派に賛成するならそうしたらいい」


「そのふたつはどう違うの? 考え方が違うんだよね」


「細かいことは色々あるけど、大きく違うのは空亡に対する考え方かな。本庁派は"空亡は滅すべき”と考えていて、神修派は”空亡は封印すべき”って考えてるんだよ」



うん? と首を傾げる。


まだこの世界のことをしっかりと理解しているわけじゃないけれど、悪い妖をそのままにしておくのは良くないことは何となくわかっている。


私が魑魅に襲われた時は禄輪さんは祝詞を奏上して魑魅を祓ったし、授業の初日に薫先生に連れられて山へ行った日も、蛇神の残穢を祓った。



悪い妖は祓うのが、普通何だと思っていたけれど……。



「空亡戦が始まった時、最初はみんな空亡を祓う気でいたんだよ。でも、祓おうと神職たちが総出で動いた結果がああなってしまった。空亡を封じれる神職は今の代にはいないんだよ。だから最初から空亡は封印すべきだって言っていた人たちと、意見が割れてふたつの派閥ができたんだ」



神職が総出で戦って、みんなが尊敬し敬う禄輪さんでさえ、空亡を祓い切ることができなかった。


敵はそれだけ強力で、簡単に祓うことができない相手ということだ。



「俺はやっぱり、本庁派の考えに納得できねえな」



頭の後ろで腕を組み、転がっていた石ころを蹴飛ばしたのは泰紀くんだった。



「俺の両親さ。空亡戦で大きな怪我をして今も病院にいるんだよな。親父は足を無くして歩けねえし、母さんは心を病んだせいでろくに口も聞けねえんだ」



え、と言葉を失う。


いつも慶賀くんとつるんで悪戯したり来光くんを巻き込んで騒いで、「三馬鹿」と呼ばれるくらい明るくてお調子者の泰紀くんだ。


まさか家族がそんなことになっているなんて、普段の泰紀くんからは想像もできなかった。



「俺以外にも大切な人を失った人はたくさんいると思う。だから、俺は両親がああなるきっかけになった本庁の考え方も、その空亡戦を当時見ていたはずなのに考えを変えない本庁派も許せない」



悔しそうに、もどかしそうに、一言一言を噛み締めるようにそう言った。その気持ちが痛いほどに伝わってきて言葉にならない。


嘉正くんが私に、安易に決めてはいけないと言った理由が何となくわかった気がした。



寮の共用ロビーまで戻ってきた私たちは、「おやすみ」の挨拶を交わして別れた。


トボトボと歩きながら部屋に戻る。布団は弾きっぱなしだったので、部屋に着くとすぐにダイブした。


どっと疲れた一日だったな。


枕に顔を埋めて深く息を吐く。


週明けからは罰則が始まるし、それに嬉々先生の授業もある。他の授業の予習もしなきゃ。


やることは山積みだったけれど、あっという間に瞼は降りた。



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