授業

「中等部までの範囲をおさらいしましょう。憑霊が正神界系の場合、身体のどの部位にどのような感応があるとされていますか? 巫寿さん」



名前を呼ばれてどきりとした。おどおどしながら立ち上がり、必死に教科書をめくる。



「巫寿、教科書六ページに載ってる」



隣の席の嘉正くんが小声で助け舟を出してくれる。


教えられたページを開けてみるも、みみずのような崩し文字を読める訳もなく、「すみません、分かりません」と蚊の鳴くような声で答えた。



「この箇所が基本になってきますから、次の授業までには覚えて来て下さいね」



怒られた訳では無いけれど、淡々とそう言った先生に項垂れる。


隣の席の嘉正くんにごめんね、と謝りながら椅子に座ると、彼は変わらず「困ったら聞いてね」と微笑む。


責められている訳では無いのに心の余裕のなさが勝って、少しだけ目頭が熱くなった。



今は四限目の「憑霊観破ひょうれいかんぱ二」の授業中。


神道では人間は自覚の有無を問わず、必ず神憑りかみがかりいわゆる神様の庇護を受けた状態であるとされているらしい。


祝詞を唱えている時に頭の一部が感応することで、どの神様が憑っているのかをしるのが「憑霊観破法」という方法で、中等部3年で「憑霊観破 一」を習い、そこから高等部の三年間で「四」までを履修する。


皆が通ってきた初等部や中等部の知識もなく、一般常識の範囲外の分野だから一文字も回答することが出来ない。


一限目から三限目の授業もずっとこんな感じで先生に当てられては答えられず、みんなからの助け舟も無駄にしてしまってすっかり自信を喪失していた。



奉仕報告祭あとの一周目の授業は、どの学校も同じなのか先生の自己紹介や授業の内容、教科書の確認だけで終わった。


所々で分からない言葉はあったけれど、後で先生やみんなに尋ねたり自分で調べることでなんとか乗り切ってきた。



ちょっと自信がついた頃に週末を迎え、「これから頑張らなきゃ」と自分を鼓舞した週明けの月曜日、いきなり言葉の通じない異世界にでも飛ばされた気分になった。


中学校に通っていた頃は、勉強も苦ではなかったし教師に当てられて答えられないということは無かった。受験する予定だった高校だって、私が住む地域では公立の中の進学校だと有名だった。


けれど神修に来て、これまで習ってきた勉強が何一つ通用しなくなった。


助けてくれる皆に申し訳なくて、答えられない自分が恥ずかしくて、職員室で先生たちは私のことをどんな風に話しているんだろうなんて考えて、教室に居るのが苦しくてたまらない。



それでも悔しくてノートだけは必死にとった。


教科書は読めないけれど、先生の言葉ならわかる。ノートを取ることに集中したせいで内容は頭に入ってこないけれど、学校が終わって復習すればいい。


板書にだけ集中していたらあっという間に50分が過ぎた。授業の終わりと昼休みを知らせる鐘が遠くで鳴り響く。



「あー長かった! 早く食堂行こう!」



教科書を放り投げた慶賀くんが飛び跳ねるように立ち上がる。



「慶賀! 白飯大食い競争しようぜ!」


「いいぜ、晩飯のデザートかけて勝負な! 来光ももちろん参加するんだぞ」


「なんでいつも僕を巻き込むんだよ……!」



泰紀くんにヘッドロックをかけられながら、来光くんは悲痛な声で反論する。



「相変わらずバカだなあ。巫寿、俺らも行こう」



教科書を机にしまった嘉正くんが立ち上がる。



「あの、私まだノートちゃんと取れてなく。だから後から行くね」


「ノートなら後で俺の見ればいいよ。先に食堂行こう」


「でも、すぐに返せないと思うし……」


「巫寿スマホ持ってるよね? 写真に撮っていいから」



でも、とまだ言い篭ると嘉正くんはぴんと私のおでこを人差し指で弾いた。



「大丈夫だよ。わからないところは何回でも聞いてくれていいし、ノートだっていくらでも貸すから。今はご飯。薫先生からちゃんと食べるように言われてるでしょ」



そう言われて、俯くように一つ頷いた。


薫先生からは朝昼晩の食事をしっかり取るように、可能ならば白ごはんはおかわりするようにと言われている。食事は霊力の源、私のおちょこ一杯分の霊力を増やすためには食事をしっかり取ることも重要な修行の一つらしい。



「……じゃあ、昼ごはんの後、ノート借りてもいい?」


「もちろん」



ありがとう、と笑えば嘉正くんは「ん」と満足げに微笑んだ。



神修の授業は座学だけでは無い。一日六コマの授業が一週間あるうちの、七割が座学で残り三割は実技や演習系の授業だ。


これが私の中ではいちばん嫌いな時間で、その中でも「詞表現実習」は一番避けたいものだった。



座学のひとつ「詞表現演習・・」とセットになっており、演習の授業で習った祝詞を「詞表現実習・・」では実際に奏上して、用意された模擬の穢れや呪を祓う実践形式の授業だ。


どちらの科目も担当教員は薫先生で、少しは気持ちも楽だと思ったのは最初の五分で砕け散った。



初日の授業、詞表現演習が終わって詞表現実習の授業が行われる白砂が敷き詰められた会場にやって来た。


一番最初に習ったのは、「火鎮祝詞ひしずめののりと」というもので、火事を鎮火するための祝詞のように思えるけれど、実際は火事が起こる前に唱える祝詞で、旧暦の6月と12月の晦日に行う神事「鎮火祭ひしずめまつり」の際に奏上するんだとか。


けれど、言霊の力をのせれば名前の通り火を鎮める効力が発揮され、妖がその霊力を使って付けた怪火あやしびを鎮めるのにも効果的がある。


そして「詞表現演習」で祝詞の意味を習った私たちは、これから後半の「詞表現実習」で実際に模擬の怪火を使用して鎮火を実践するのだ。




演習場となる白砂が敷き詰められた屋外の施設に集合した私たち。始業を知らせる鐘がなってから、少しして薫先生がやってくる。


何やら小脇に古びた壺を抱えていた。



「ごめんごめん。購買のおばちゃん口説いてたら遅れた」


「何やってんだよセンセ~」



薫先生が授業に遅れてくることはしょっちゅうらしく、ここ数日の付き合いだけれどあの性格なら仕方ないと納得する。



「じゃあ演習の授業で教えた火鎮祝詞、早速奏上してみよっか」



そういった先生は、私達の真ん中に抱えていた壺を置く。覗き込むと、蓋の部分に仰々しく御札が張り巡らされていた。



「薫先生これは……?」


「神職が集めた怪火だよ。えっとね」



壺のそこをひっくり返した薫先生。



「お、去年の12月にうちの権禰宜が対峙した阿紫霊狐あしれいこの怪火ってラベルにあるね。新鮮だから活きがいいよ。すぐには消えないかもねぇ」



まるで賞味期限の話でもするようにそう言う。



「じゃ、各々習ったことを思い出しながら火鎮祝詞を奏上するように。祝詞の一言一言にはきちんと意味がある。意味をしっかり自分の中で解釈することで完成度も変わってくるからね」



はーい、とみんなが返事をしたのを確認して、薫先生は御札を外す。その瞬間、鼻先でオレンジ色の炎が燃え上がった。


わっ、と仰け反った私の肩を、薫先生が受け止める。



「あ、ありがとうございます」


「あはは、やっぱ活きがいいねぇ」



あはは、と笑った薫先生は嘉正くん達に「みんなさっさと鎮めないと制服燃やされるよ」と促す。


ゴーッと音を立てて燃え盛る怪火は、妖生態学の教科書に乗っていたものとは何か違う気がする。



「ちょっと薫先生!? なんかこいつら火力強くない!?」


「薫先生ッ! なんかこいつら合体始めたんだけど!?」



慶賀くんと泰紀くんが悲鳴混じりにそう叫ぶ。



「そりゃ火なんだから、近付けばひとつになるでしょ」


「そっか火だもんなー……ってそうじゃねぇーよ!」



わああ!と騒ぐ皆を横目に、薫先生はあははと笑いながら私の背を押した。



「じゃあ、巫寿は俺と特別授業ね」


「特別授業?」


「うん。今のままじゃ、奏上したとたんぶっ倒れるの目に見えてるからね。まずは言霊の力の出力を操れるようになろう」



みんながわあきゃあと騒いでいる所から少し離れた、松の木の木陰に連れてこられた。


座って、と言われて幹にもたれるように腰を下ろす。


薫先生は私の前に片膝をつく。



「巫寿は今、言霊の力を使おうとすると、その力の全てを使ってしまう状態なんだ。言い換えれば、車を運転するときにアクセル全開の状態だね。時速100キロみたいな。あはは、スピード違反じゃん。危ない危ない」



そう言って木のそばに転がっていた掌くらいの大きさの小石を拾い上げた。


ふう、と息を吐いて、次の瞬間。



「────呪え」



いつもの朗らかな声とはまるで正反対の、真冬の鉄筋に触れるような鋭さの声色でただ一言そう呟いた。


全身の肌が泡立つ。喉にナイフを突きつけられるようなこの感覚は、紛れもない殺気だ。



「はい完成」



薫先生は手に乗せていた石を私に差し出した。


何の変哲もない石、のはずだった。



「靄が……」



その小石にまとわりつくように黒い靄がかかっている。



「そ。俺が今呪った。巫寿が可視しているのは、俺がかけた呪いだよ。と言っても、所有者が一回転ぶ程度の効力しかないけれどね。触ってもそんなに害はないよ」



薫先生は私の手のひらにそれを置く。


触れた瞬間、ぞわりと背筋に嫌な感覚が走る。



「まずはこの位の小さな呪いを小さい出力で倒れず祓えるようになろうか。奏上する祝詞は略拝詞りゃくはいし。初回の授業で軽く触れたやつだけど、覚えてる?」



略拝詞、首から下げている巾着袋にそっと触れた。かむくらの社で禄輪さんに「略拝詞」を書いてもらった紙がその中に入っている。お守りがわりにして、今は毎日持ち歩いている。



「……えっと、はい。────はらたまい きよたまえ かむながらまもたまい」


「あ、ちょっと待」



確認代わりに口ずさむと、薫先生は慌てたようにそう声を上げる。



「……? さきわたまえ」



その瞬間、頭のてっぺんからさあっと力が抜けていくのがわかった。


あ、そういうことか。理解したときには遅く意識がふっと途切れた。



「巫寿? おーい、起きて。授業終わったよー」



肩を叩かれる感覚に、意識の深いそこから引き戻される。重い瞼をゆっくりひらけば、みんなが私の周りを囲んでいた。


ゴーン、と授業の終わりを知らせる鐘が遠くで響いている。



「あれ、私」


「授業中に倒れたんだよ、気分はどう?」



嘉正くんにそう言われてこめかみを抑えながら思い出す。


そうだ、今は詞表現実習の授業中だった。薫先生に「特別授業」って言われて。みんなと離れたこの松の木の下で略拝詞を唱えようとして、口ずさんだときに倒れてしまったんだ。



「あはは、やっぱりここにして正解だね。倒れても後ろは芝だから、いくらでも倒れられる」



薫先生が私の目の下を軽く引っ張る。



「うん。元気そうだね。にしても巫寿、今回もかなり派手に祓ったね」


「え……?」


「石の呪いはもちろん綺麗さっぱりはらえてるけど、怪火まで、全部祓ちゃったんだよ」



怪火は私以外のみんなが「火鎮祝詞」を練習するために用意されたものだ。


どうやらそれまで私が略拝詞を奏上した際に祓ってしまったらしい。



「やっぱり巫寿は真っ先に出力調整を覚えるべきだね。毎回祓った後にぶっ倒れるようじゃ、一人では何もできない」



何もできない、その言葉に俯いた。その通りだけれど胸に刺さる。



「今回与えた課題の石もアクセル全開で祓っちゃったけど、本来なら5パーセントくらいの力でも払えるんだよ。時速5キロくらいね。次の授業では、力の強弱を意識しながらやってみようか」



そう言われて、自分の掌を見つめる。


力を抑えるって、どうすればいいんだろう。



「はーい、じゃあさっき授業で習った祝詞、実践していくよ」



今日で5回目の「詞表現実習」。私は変わらず、みんなと同じ授業に合流することはできず、松の木の下の芝でひたすら言霊の力を操る練習をしていた。


みんなは「火鎮祝詞」の単元が終わって、新しい祝詞の練習に移行している。


みんなと同じように授業に参加できるのはどれくらい先になるんだろう、そんなことを考えると、沈んでいた気持ちがより一層沈む。



先ほど薫先生に渡された小石を見つめてはあとため息をついた。



「イメージ……イメージ。力を調整する……」



薫先生はいつも私の力の状態はアクセル全開だと言う。この小石を払うのは全開の5パーセントくらいでいい。時速5キロくらいのイメージ。


時速5キロ、時速5キロ……。



時速5キロってどういうことだろう?



はらたまい きよたまえ────」





「────ほんとにごめんね」



詞表現実習の授業が終わって、教室へ戻りながら項垂れるようにそう言った。



「気にすんなって! ぶっちゃけ巫寿が祓ってくれるから、薫先生も中等部の時みたいに『祓い終わるまで帰しません』とか言わないし。楽できていいもんよ~」



伸びをしながら泰紀くんはそう言う。


授業中に私が奏上した祝詞が暴走して全部祓ってしまうのは、初日の授業を除き今日で4度目だ。毎回暴走してはぷつっと意識を飛ばしてしまい、授業が終わる頃に薫先生に起こされることの繰り返し。


いつになったら私はみんなと同じ場所に追いつけるのだろう。



「仕方ねぇよ巫寿。なんにも知らなかったとこからスタートしてんだし、迷惑なんて思ってねーから!」


「おっ、慶賀いい事言うねぇ!」


「がははっ、だろ!」



煽てられた慶賀くんは、嬉しそうに泰紀くんの背中に体当たりしてはしゃぐ。



「慶賀くんは、言霊の力の強弱をどうやって調整してるの……?」


「おれ? うーん、あんまり意識したことないけど……強いて言うなら、うんこ気張る時の感じに似てるかも!」



思わず顔をひきつらせると、パコンッと間髪入れずに嘉正くんが教科書で慶賀くんの頭を叩いた。



「なんだよ! 聞いたのは巫寿だろ!」


「言葉を選べ馬鹿たれ」



嘉正くんは呆れたように息を吐いた。



「えっと、嘉正くんはどんなイメージ……?」


「うーん、正直言うと、慶賀と一緒であんまり意識したことは無いんだよね。普通は幼い頃に、無意識で出来るようになるから」


「そう、なんだ」


「あ、でも強いて言うなら、蛇口をひねる感じに近いかも。緩めれば沢山流れてしまうものを、自分で捻って調整する感じ」



蛇口をひねる、これまでに無いイメージの仕方だ。



「えー、俺と正反対じゃん。嘉正は緩めるけど、俺はうんこ気張……」



パコンッとまたいい音がなって、慶賀くんは「何すんだよ!」とまた口をとがらせた。


反撃しようと教科書を丸めた慶賀くんに勘づき、嘉正くんはそそくさと教室に向かって走り出す。「待てコラー!」と追いかけっこが始まった背中に思わずくすくすと笑った。



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