遠くからの知らせ

わたしたちがドームの町に着いてから数日が経った。その間ずっとこの町にいたおかげで、ここでの生活に慣れてきたのに加え、この周辺のことにも少し詳しくなった。

この町はドームがあって安全なので、他の町からの人や物の中継地点となることが多いらしい。そのためか、かなり賑やかだ。ディロウによって国のあちこちが寸断されかけているこの国において、こうして各地の人が集う光景は珍しい。

宿泊できる場所もたくさんあったおかげで、わたしたちはすぐに泊まる場所を見つけることができ、長期の宿泊についても快く承諾してもらえた。そのため、しばらくはここに滞在して、今後この町に残るか、あるいは別のところへ移動するか検討するつもりだ。今のわたしたちには考えるのに充分すぎるほどの時間がある。わたしたちの旅路は、始まったばかりなのだから。

「翡翠さま!そろそろ朝食にいたしましょう」

わたしがぼんやりと考えごとをしながら朝の景色を眺めていると、後ろから瑠璃が声をかけてきた。瑠璃は朝市で朝食を買うために外に出ていたのだが、いつの間にか帰ってきていたらしい。

「うん、ありがとう、瑠璃。いつもごめんね」

当初はわたしと瑠璃が一日ずつ交代で朝ご飯を買いに行こうと話していたのだが、ここに来た翌日にわたしが一人で買いに行ったら、気になるものが色々ありすぎて、つい買いすぎてしまったのだ。そのため、わたしが必要ない物まで大量に買って帰ってきたのを見た瑠璃に、

「…翡翠さま、次はもう少し買い物のお勉強をしてからにしましょう」

と怒られてしまった。彼女曰く、お金はちゃんと節約するべきだとのこと。一応わたしは所長を務めていたおかげで、かなりの収入があった。しかも、そうしたお金を使う機会があまりなかったので、かなり貯まっている。そのため、多少使いすぎても問題ないとわたしは思っているけど、結局瑠璃は許してくれなかった。そうした経緯で、しばらくは瑠璃が買い物をすることになったのだ。

「お気になさらず。この前のように翡翠さまがお金を使いすぎてしまったら困りますから」

「う…、ごめん…」

「いえ。わたくしも今は翡翠さまのお金で生活していますので、お互い様です。落ち着いたら何か仕事を探すつもりですから、ご安心を」

仕事、か…。わたしは思わずペンダントをいじった。わたしも今後、生活のために働かなければならない時がくるだろう。でも、わたしにできることなんて、ディロウの研究くらいしかない。今まではそれでいいと思っていたし、これからもずっとそれだけしてればいいと信じて疑っていなかった。

でも、研究するための資格を失った今、その技能には何の価値もない。何となく一部のお気に入りの研究道具だけはトランクケースに入れて持ってきてしまったけど、実験のためのサンプルは持っていない。

研究以外にわたしにできること…。何かあるのだろうか。今までは研究するだけでどうにかなってきたから気付いていなかっただけで、わたしはわたしが思っている以上にできることが少ないのかもしれない。

わたしがそうぼんやりと考え込んでいる間にも、瑠璃は話を続けた。

「それから、新聞も買ってきたのですが、その…」

何故かそこで歯切れが悪くなった。

「…何かあった?」

「いえ、その…、わたくしたちにはもう関係ないというか、そうは言ってもやはり無視できないというか…」

瑠璃はしばらく迷った後で、その新聞をわたしに差し出してきた。新聞自体は都で主に見られる新聞社のものだが、日付は三日くらい前のものだ。もはや新しい情報とは言えないかもしれないが、ディロウのせいで少しの距離の移動も大変なこの国では、これが普通だ。きっとこの新聞も、配達員が命がけで都から届けたものなのだろう。

それから目線を一面の記事に移動させると、確かにわたしたちにとって無視しがたい内容がそこに載っていた。

『国立ディロウ研究所の所長が交代』

『新たな所長は研究所の調水師・睡蓮すいれん

『前任の所長の退任理由は不明』

そんな見出しと共にわたしたちもよく知る少女の顔写真が載っている。

水のように背に流れ落ちた綺麗な黒髪、宝石のようにきらめく青い瞳、人形のように整った顔立ち――。間違いなく睡蓮だ。

控えめに微笑んだ顔が、今は何故か恐ろしく見える。…ただの考えすぎだとは思うけど。でも、その表情をすぐに脳裏から消し去ることなどできないほど、わたしと彼女の間には因縁があった。

「翡翠さまに濡れ衣を着せておいて…、よく平然とした顔をしていられますね」

横から記事をのぞき込んだ瑠璃が吐き捨てるように言った。その目はとても冷ややかで、彼女の怒りが深いことが伺える。けれど、それ以上に声は悔しそうだった。そして、その理由をわたしは知っていた。

瑠璃はとても真面目だ。護衛というのは身辺警護だけでなく、主の地位を脅かすものからも護るものだと思っている。だからこそ、あの時わたしの無実を証明できず、そのまま罰が下ったことを申し訳なく感じているのだろう。

「…あ、見て。ここ、兄さまの名前がある。副所長だって」

「は?…次会ったらぶちのめします」

瑠璃にしては珍しく口が悪くなった。普段はわたしよりも丁寧な言葉遣いをしている瑠璃だが、実は結構過激な言葉をたくさん知っている。だが、普段被っている猫を一瞬脱ぐ代わりに少し元気になった気がするので、今回は目をつむることにしよう。

わたしはそのまま記事を読み進めることにした。

新しい所長の経歴、演説の言葉、そして、新たな人事――。こうして見ると、だいぶ幹部が入れ替わっている気がする。どうしてだろう、とそれらの名前を見て納得した。恐らく睡蓮は自身と意見が近かったり、わたしを批判したりしていた人物を自分の近くに置こうとしている。ある意味、わかりやすいと言えばわかりやすい。

そして、最後の方にはわたしのことも少し書いてあった。わたしが解任された理由は明らかになっていないが、解任される前後からわたしの姿が見えないことから、所長の重荷に耐えかねて失踪した、とか、何か禁忌に関わるような実験をしたせいで幽閉されている、とか様々な憶測が飛び交っているらしい。

わたしとまったく関わりのない人が作り出した妄言とは言え、自分がまるで悪者のように書かれているのはとても気分が悪い。それでも最後まで読み切った。

「うーん…。どうやらわたしが解任された理由は発表していないみたいだけど、『無責任な所長が何かしらの事件を起こし、その罪が発覚するのを恐れて失踪した』みたいな流れに持って行きたいみたいだね。腹立つ」

まさか追放された後でもこんな風に取り沙汰されることになるなんて。しかも、当然のことながら良くない話ばかりだ。こんなのデタラメだと叫びたくなってしまう。

「申し訳ございません…。朝から気分が重くなるようなものを見せてしまって…」

「大丈夫だよ。いつかは知ることになってただろうし。…あ、今更だけど、ご飯にする?まだぎりぎり冷めてないんじゃない?」

わたしはくだらないことばかり書かれている役に立たない新聞を放り捨てて、テーブルに向かった。いつもはわたしがちゃんと片付けないと小言を言う瑠璃だけど、今日ばかりはさすがにそんな気になれないのか、何も言わずについてきた。

「そうですね。…あ、後で町に何か買いに行きませんか?今日だけは食べ物でも何でも好きな物を買って、パーティーでもしましょう」

「いいね。ついでにお店も色々見られるし、楽しそう!」

そういえば、所長だった時は忙しすぎてお店をのんびり見るなんてこともなかった。そんな自由を手に入れられたことだけは、いいことなのかもしれない…。

正直、そうでも思わないと、悔しさに押しつぶされそうだった。

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