第陸幕 ツラヌキお巻は何故×う

 お巻が待つその部屋へ。細長い廊下の果て。

 ほとほとと襖を叩き

「お巻……さん、入ってもいいですか」

 滋比古は呼びかけた。ざらりと物音。

「入っとくれ」

 ざわりとした声音。一呼吸置いて、滋比古は進む。

「ここに来ることは、団長から聞いていたよ。座るがいいさ、坊ちゃま」

「……はい」

 滋比古はカンテラを茶袱台に置き、ひざまづく。畳が湿っている。

「こんな遅くに、その……」

 正直な気持ち、戸惑っていた。ナイフ投げのスタアだと聞いていたので、妙齢の颯爽とした婦人だとばかり思い込んでいたのだ。しかしどうだろう。そこいるのは、小さな丸い背の老婦人。

 その両目の周りに、黒い目隠し布がグルリと巻かれている。

「あの、大丈夫ですか」

 滋比古の言葉に、お巻は顔を上げる。

「柄にもなく参っちまってねェ」

「……全部、団長に聞きました」

「そうかい」

 沈黙。どう切り出していいものかと滋比古。それでも言葉を探して、唇を開こうとしたとき、お巻に先を越される。

「お千代は、あたしが殺したようなもんだねェ」

 首が折れるほどに項垂うなだれた。

「いえ、違います!」

 滋比古は否定する。猛然と否定する。

「お千代……さんは、事故でした! お巻さんと家族になろうとしたことが切っ掛けの、哀しい事故です!」

 茶袱台に手を突き、身を乗り出し、お巻に叫ぶ。

「甘えたんです。お千代さんは、お巻さんに甘えようとしたんです」

「甘えた?」

 お巻の口が、ぽかんと開く。

「そうです。お千代さんは口から血を吐いて死んでいた。これはきっとお巻さんが寝てから、猫イラズ入りのお菓子を食べてしまった結果の、事故なんです!」

「事故……」

「お巻さんが戸棚に仕掛けておいたお菓子を、お千代さんは食べたんです。髪を切られて、ねて、こうなったら代わりにお巻さんのお菓子を食べてやれッて、それで」

「ああっ、確かに毒饅頭を入れていた。だけど私は、あの子にそれを注意したのか忘れちまっているんだよ、ああ、お千代、お千代、可哀想に」

 お巻の狂乱。目隠しの上から両目を掻き毟る。

「お巻さん、落ち着いて! よく聞いてください。お千代さんは、お巻さんのお菓子をいたずらしたんです。お巻さんに甘えた証拠です」

 お巻の動きが止まる。

「家族になろうとした気持ちが、芽生えていたんだと思います」

 滋比古は今にも泣き出しそうに、声を震わせている。お巻の声も、震えてきた。

「坊ちゃま、あたしはねェ、みんながお千代が笑っている笑っているって言うのはね、見えないあたしへの、ヘタな慰めだと憎々しく思っていたんだよ」

「お千代さんは本当に笑っていたんだと、ボクは信じます」

 堪えきれず語尾がかすれた。不謹慎なことだと自覚はあったが、お巻に泣き顔を見られないことが、滋比古にはとてもありがたかった。

「坊ちゃま、お優しい坊ちゃま。その言葉にあたしは救われたよ。お千代は、そう、笑っていたんだねェ」

 お巻の声が更に震えた。

 滋比古の口から、抑えていた嗚咽が漏れた。

「坊ちゃま、あたしはもう大丈夫さ。早く団長にこのことを知らせてくれないか」

 震えを通り越し、絞り出すようなお巻の声に滋比古が頷く。

「はい。知らせます。お巻さん、どうか……」

「ああ、判っているよ。大丈夫さ」

 滋比古はカンテラを取り、名残惜しげに部屋を出た。

 だから知らない。一人になったお巻が、ついに肩を揺らして×い出したことも。ヒッヒッヒッと息を吸い込み、×い出したことも。

「なんだい、ありゃ。聞きしに勝る馬鹿だねェ」

 という独り言も。


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