幼少編・4『走ってると脳内で音楽が再生されるよね』

 

「これが異世界の洗礼か……」


 朝。

 きゅるるると鳴る腹に起こされた、爽やかな異世界の朝だった。


 窓を開くと白んだ青空が見える。西の空しか見えないから朝日を拝むことはできない。少し肌寒い空気が部屋に流れ込んでくるけど、早朝でこれなら日中は少し暖かいだろう。そういえばこの国には四季はあるのだろうか。


「あ~……腹減った」


 決して成長期だからではない。

 ことの発端は――というか本題は昨夜の夕食時のことだった。


 部屋に待機を命じられて俺だけ呼ばれないまま、他の家族たちの和気あいあいとした団欒の声が、かぐわしい料理の香りと共に窓の外から聞こえてきた。そうか。俺は忌み子……いつも部屋でひとりで食事を取らされているのか。


 まあポジティブに考えれば、ルルクのフリロールプレイをしなくていいから気は楽だった。幸いなことに前世でも小学生の頃から基本は家にひとりだったので、自炊や宅配での孤独なグルメには慣れている。


 異世界転移してまだ初日、家族とはいえ心を許せる相手でもないのでむしろラッキーだといえるだろう。うん、そうだ。そうに違いない。だからそこの木に留まっている可愛い小鳥さん、狭い部屋で夕日を眺めている俺を見てボッチって言うな。いいか、俺はソロだ。


 そんなことを思いながら待っていると、カラカラと何かが運ばれてくる音が。

 部屋の扉をちょっと開けて廊下をのぞきこむと、ワゴンに乗せて運ばれてくる豪華な食事……おお、今日の夕飯はステーキか! ステーキ万歳! 異世界万歳! 公爵家バンザーイ!


 おっと、浮かれてはいけない。食事にはマナーってものがある。熱く燃え滾る心はそのままに、表情は明鏡止水のごとく穏やかに。それが貴族のたしなみってもんだ……ワクワク、ソワソワ。


 俺の瞑想をものともせずに自我を持ち始めた足を「くっ、おさまれ我が右膝……っ!」と押さえつけているとき、近づいてきた食事の気配が――


「きゃっ!」


 ガッシャーン!

 おやおや? なにやら不吉な音がしましたね。

 まさかね、俺の夕飯に何かアクシデントでもあったとは思えないけど、一応ね? 一応確認しておこうか。一応ね。


 扉を開けた俺が見たのは、転倒しているワゴンと廊下に散らばるステーキやパンたちだった。

 ……ぽく、ぽく、ぽく、ちーん。


「うわああああ! 俺のステーキぃぃいいいいい!?」


 俺はとっさにステーキに駆け寄る。

 アツアツだったステーキはどんどん冷たくなっていく。異世界でも三秒ルールは適用されますか!?


「す、すみませんすみませんすみませんっ!」


 一枚の肉を抱える俺に、転んだまま必死に頭を下げるメイド服の少女。

 転生直後、俺に水をぶちまけた子だ。


 またお前かドジっ子メイド!

 なんなの、俺のこと嫌いなの? さすがの温厚な俺もプッツンしちゃうよ? だってこれ、ステーキだよ? ステーキって言ったら誕生日とかクリスマスとかにしか食べられないんだよね? きっと今日は俺の復活を祝ってるんでしょ? 顔色がいいねと君が言ったから今日は復活記念日。

 あれ? 俺が主役の復活記念日なのに、なんで俺はこんなところで一人で飯を待っているんだ……?


「本当にごめんなさい! お、お詫び、お詫びいたします……っ!」

「まてまてまて! 反省してるのはわかったから! だから泣きながらステーキナイフ喉にあてないで!?」


 慌てて自傷行為を止める。いやほんと、ステーキごときでやめてくださいお願いします。

 悪ノリし過ぎた俺も俺だけど、別に君を責めてるわけじゃないんだよメイド少女くん。


 だって本当は、廊下を走って逃げてく悪ガキの後ろ姿が見えたんだもの。だからメイド少女よ、きみは被害者ってことくらいわかっている。そして俺も被害者。俺たちは仲間なのだよナカーマ。あとであの悪ガキには天誅を下しておくから、お願い泣き止んでくれ。


 とまあ、そんな風に騒いでると他のメイドたちが駆けてきた。

 悲惨な状況を見た瞬間、先輩メイドが金切り声でメイド少女を叱りつけた。それを俺が庇って事情を説明するものの、それでも先輩メイドが力づくで少女の頭を下げさせるので、ボロボロ泣く彼女がまた自傷行為に走らないように俺はこう言ったのだ。


「大丈夫だから! 今日はお腹空いてないから!」


 って感じで一件落着、いまに至るわけだ。

 俺ってば偉いよな? なあ我が胃袋よ。


 ぐううぅぅぅ……


 ほら、胃も肯定してくれた。

 兎にも角にも、空腹な俺はこのままじゃヴェルガナの特訓で餓死しにかねないので、そのまえに厨房にでも行って何かつまめるものをもらってこよう。

 洋服ダンスをあさって、寝間着からゆるいシャツとズボンに着替えて出発だ。


 そういえば昨日は屋敷の探索を途中でやめたから、今日は続きをやらないとな。

 探すは書斎。

 我求めるは異世界の物語なり。

 






「――であれば、なおのこと――」


 厨房にいた早起きの料理人に事情を説明し、パンに生ハムを挟んだ軽食をつくって貰った。


 何気にこれが初めての異世界飯か……もぐもぐ……塩気の利いた生ハムに薄切りのパン……もぐもぐ……シンプルながら奥深い味わい……もぐ……なんという料理だろう……ごくん。よし、この異世界飯をパンニハムハサムニダと名付けよう。

 いや、まんまサンドイッチだったわ。異世界飯とは……。


「――すれば、こういう――」

「ん?」


 まだ早朝の人気の少ない屋敷内だ。行儀なんて概念など犬に食わせておいて食べ歩きを決行していると、不意に声が聞こえたので立ち止まった。

 一階の応接室の扉が少し開いていた。こんな時間に来客でもあったのだろうか。


 俺は隙間から中を覗いた。父親がソファに座っていて、その背後に執事がいる。父の正面の席は無人だが、テーブルには空の紅茶のカップが置かれていた。本当に来客があったのだろう。まだ使用人たちも起ききってない明け方なのに?


「確かにその方法であれば、ルルクの処遇も対外的には困らんだろう」


 おや、俺の話か。

 耳をそばだてて聞いてみる。


「左様でございます。公爵家から出すにしては幾分地位の低い貴族ではございますが、何よりシュレーヌ家と申せば……」

「ふん、あの変わり者は幼い獣人を集めている変人で通っているな。ルルクを引き取らせるには釣り合いが取れんが、あの子爵はそのうえ男色家という噂もあるからな……たしかに隠れ蓑にもなるか」

「それにシュレーヌ子爵家には血縁者にも男児がおりません。まだ早計ではございますが、二歳になる姪子がいらっしゃるようです。婚約の体裁で引き渡すのであれば、ルルク様が十歳になれば問題なく手続きが可能でございます。あちらも公爵家からの婿養子を断ることはないでしょう」

「息子のいないシュレーヌ家の次期当主としてあてがえば、ルルクが我がムーテル家の名を名乗ることはなくなる、と。いい考えだ」

「光栄にございます。ではディグレイ様、ワタクシはシュレーヌ家と会談の申し入れを行っておきましょう」

「してシュレーヌ家はどこにあったか? 近くないだろうな」

「ぬかりありません。王国南西部の国境付近、ケタール伯爵領内でございます。ディグレイ様の巡回予定ではおよそ一か月後に視察のために立ち寄りますゆえ。会談はその際に」

「さすがだ。では頼んだぞ」


 父が立ち上がる。

 おっと危ない、見つかる見つかる。

 すぐに忍び足で応接室から離れて、廊下の大きな壺の陰に隠れた。金持ちに家には本当に大きな壺があるんだな、初めて知ったよ。


 俺は隠れながら考える。


 けっこう大事な話をしてたな。

 厄介者の俺を追い払うために、地方の子爵家に婿養子に出すつもりらしい。子どもが十歳になれば正式に婚約させられる……なるほど。貴族社会って早熟だなあ。ところでこの国の成人年齢はいつだろう。


 まあ考えても仕方ないので、ひとまず十歳までに家出が可能かどうか検証していこう。

 そのためにも色々と知識も力もつけないとな。いまのままじゃ七歳の悪ガキにも勝てない。


「さて、運動しに行きますか」


 父と執事が階段を登っていったのを見送って、俺はヴェルガナの指示通りに屋敷の裏庭に向かった。

 ひみつとっくん、がんばるぞ!








「それじゃあ、今日の訓練を始めるさね」


 ムーテル家の裏庭。

 高い外壁と屋敷に囲まれたその空間には土の運動場があった。広さはだいたいバスケットコートくらいで、建物のそばに井戸と椅子があった。天気は快晴、絶好の運動日和だ。

 メイド服を脱いでラフな格好のヴェルガナの前に並んだ俺は、隣にいるやつを指さした。


「「なんでこいつも」」

「なんでも何も、アンタたち二人の訓練だからさね」


 ちっ、悪ガキも参加するのか。

 ガウイは頭の後ろで腕を組んで、つまらなさそうに言う。


「え~俺一人でいいだろ。モヤシなんか鍛えても上に伸びるだけじゃねぇの?」

「悔しいけど面白いこと言うじゃん」

「あん? 上から目線で言うなよモヤシ」

「大変心苦しい次第ですが、とても興味深いご冗談ですね」

「何言ってんのおまえ?」


 いや、おまえが上から言うなってゆうから下から言ったんだけど。

 そんな中身のないやり取りをしていると、ヴェルガナが不意に木剣を二本投げてきた。


「おっと」

「あぶなっ」


 山なりとかじゃなくて、わりとストレートに飛んできたよな??

 ガウイが慣れた手つきでキャッチして、俺は迷わず避けた。後ろに転がっていく木剣……あ、子ども用の小さいやつだ。


「ガウイ坊ちゃん、アンタはいつもどおり柔軟してから素振りを始めな」

「……ふん」

「ルルク坊ちゃん、アンタも柔軟。そのあと走るさね」

「はーい」


 とりあえず木剣は手元に確保しておこう。

 魔術は使えないけど、じつは剣の才能があったりしないかな。とりあえず居合切りの構えをして、水っぽい呼吸の型を意識してみる。

 目覚めよ、俺の剣才!


「何遊んでるさね」

「あいたっ」


 ヴェルガナに木剣で叩かれた。すみません。

 残念ながら俺には何の才能もないらしいので、大人しくガウイのマネをして柔軟体操を行った。

 この行程をサボったらケガするから念入りにね。とはいえ運動不足の病み上がりにしては、意外とルルクの体は柔らかかった。子どもの柔軟性はすごい。高校生の俺だったら柔軟体操でケガする自信があるぜ。


 柔軟が終われば、次は走り込みだ。訓練場の周りをとりあえず十周だとか。


 そういえば高校生のとき、マラソン大会があったなあ。一緒に走る友達なんていないしのんびり走ってたら、遅れてスタートした女子の先頭集団が追い越していったっけ。そのなかに一神と九条、鬼塚がいて一神には「ムリしないでね」って応援されて、九条には「遅いなコイツ」みたいな目で見られて、鬼塚には「ジャマです」って冷たく言われたっけな。言っとくけど俺が遅いんじゃなくてお前らが速かったんだからな、と文句を言いたかった。でも俺がゴール地点に着いたら女子も大半がゴールしていたから、やっぱり俺が遅かったんだと気づいた。文句言わなくてよかった。


「シッ! シッ! シッ!」


 いまは遠い高校時代を思い出しながら走っていると、ガウイが素振りを始めた。

 もう何年も訓練を続けているのか、ガウイの剣筋はそれなりに鋭かった。振り下ろした木剣もちゃんと同じところで止まっているし、それなりにサマになっている。素振り検定があればおそらく二級くらいは受かるんじゃないか。知らんけど。


「くっ……横っ腹が痛い……」


 あかん、まだ半分も走ってないのに呼吸が乱れてきた。本当に運動不足だなこの体。

 こういうときは、何か脳内で音楽を流しながら走るといいって誰かから聞いたことがあるぞ。歩幅のリズムに合わせた音楽を脳内で検索再生してみよう。

 き~~み~~が~~あ~~よ~~お~~は~~


「俺おそっ!」

 

 あかんさすがに遅すぎる。でもしょうがないよね、腹が痛いんだもん。


「何止まってるんだい! 足を動かしな!」

「あのですね、横隔膜さんが、ドクターストップを、要請しています」

「甘えるんじゃないさね! ほれ、ぶっ倒れるまで走りな!」


 ケツを木剣で叩かれた。ああん! お尻が四分割しちゃう!

 いやマジでスパルタだなこの老婆。俺の内臓が悲鳴を上げ始めたぞ。まあ、まだ三分も走ってないことは置いておいてだな。

 俺がひぃひぃ呻いて走っていると、それを見たガウイが。


「……ハッ」


 おいてめぇ鼻で笑いやがったな。

 いいだろう見せてやるよ。この俺の本気をよォ!

 新たなる脳内ミュージック、スタートだ!

 

 ふふふ~ん~それは~君が~みたひかり~僕の~み~た~きぼお~↑↑


 天に召されそう? 知るかそんなこと! 俺が死んだら線香は百本まとめて燃やして松明にしてくれよな!

 冗談はさておき無理やりテンションをあげて、さっきよりいくらか速くなった俺はSEIUNのビートを刻みながら走り続けた。

 ちょうど十周したところで、膝から崩れ落ちる。

 ヴェルガナが呆れたようにつぶやいた。


「ま、病み上がりだったし仕方ないってことにしとくさね」

「燃え尽きたぜ……真っ白にな……」

「それじゃあつぎは筋トレだよ。腕立て五十回、腹筋五十回、背筋五十回」

「なん、だと……」


 いつから終わったと錯覚していた?

 訓練はまだまだ始まったばかりだった。


 いままで文化系オタクだったから気にしなかったけど、うん。

 基礎体力って大事だね?

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る