「LIAR.」~10代から20代に書いた詩

天川裕司

「LIAR.」~10代から20代に書いた詩

「LIAR.」

 孤独者とは、哲学者とは、他人(ひと)を嫌う。やがて自らの墓穴に陥り、そこから上を見る。上空には人がいるかいないか、ただぼんやり空の雲だけが見え、覗く者にさえも石を投げつけ、遠ざけてしまうのである。つまり、他人の干渉を一切断ち切ってしまう輩。そうしなければ、気が狂う程のはがゆさにとらわれてしまう。かくして、孤独者とは一定の男に限り、女はその性質は持ち合わせていない。いわゆる、“砂の女”とは嘘である。我は孤独者である。孤独をこの世で何より愛している。孤独なしでは生きてはゆけぬ。その代償として、異性、(悪魔)を捨てたいと願った。今でもそう祈っている。我は、神を信じたのだ。キリストの神。唯一見たことはないが、我は何も見たことはない。人間には、本来、何も見えないものだと信じたい。その思惑を持って我はさかんに謳歌している友人に会わなければならない。この上ない悲しみだ、友人の顔を見る度に嫌気を覚え、ガタガタ震える。その実体をまだ誰も知らない。“私は知っていた…”などとあとから言う輩は皆、嘘つきである。悪にすぎない。私は神を見たことはない。だが神は私を見ている。この現実をそれではどうするのか。それもひと言でかたづけられる、常識だ。我はまだ若い時に、いろんな妄想を覚えていた。馬鹿げたことにその度に苦しみにさいなまれる。“何と華のない人生よ.”神は問われる。だけど、我は幾度かその声を聞かなかったのだろう。この世で格好をつけたかった。男と女とはどういうワケなのか、未だに理解できない。神に一方的に問う、あたりまえのことだ。

“どうしてあの時、悪魔を滅ぼさなかったのですか?お答え願いたい。どうして悪は女に化わったのか?お教え下さい私はあなたを信じました。信じた以上、お答え下さらねば困る…”我、未だに神の声聞こえたことなし。映画の俳優にでもなれば、神の声は聞けるのですか?決してふざけたりしません、お答えを。


「My Once.」

 私の書くものは全てがフィクションであり、ノンフィクションである。


「愛情。」

 私のまわりの男と女は、一瞬の輝きだけを見て、すぐに“愛してる”なんてことを言う。言葉はその一瞬できえてしまう。


「断絶。」

 生きること、哲学、逃げ場のない小門に囲まれて、苦しまぎれにまわりの人と前へ進む。親がまわりにいてひそかにその場に私がとどまることを恐れる。この社会からはじき出されるか、と。流行が支配しているこの世の中、たくさんすぎる程の悪事がまかり通っている。そのひとつひとつはリアルに見えて悪気が失せても多数になると、その悪に刺激される。意味のないことを好きこのんでするんだ。まわりに人がいっぱい居れど、やはり皆自分で精一ぱい。それが人間であり、本音だ。私は言葉を食べすぎて、夜になると、いつも腹が気持ち悪くなり、吐いてしまう。ひとりで考えてそれを思い続けることが続くんだ。人は自分の責任のもてる世界を主義(方針)としたがり、存在に意味づけしたいと思う。そう思わない者は、その時死を選択しているのだ。“何も思わない”、など生きる限り、あり得ない。神が人に脳を与えた以上、障害があろうと、かすかにも、生きてる限りは考えている。それが人だ。脳と一緒に生きる道を進んでいかなければならない。何故に悪に染まる方が楽なのか、その道理がわからない。何故神の側に立つことが心から喜べないのか。すぐにその方向に行けないのか。それが人ならば本当に生きにくい。


「“ご婦人にコーヒーを”」

 “ご婦人にコーヒーを”

あちらの人々の中では、とても窮屈だった。でも、こちらの人々の中では、確かに一人私を愛してくれた人がいたためか、嬉しい。そして、あちらの人々は、とても格好つけで、そんなくり返しばかり、他人(ひと)感情の悪口を陰でひそひそ言い合い、やがて自分もそんなくり返しをする。進歩のない輩だ、自らすすんで他人(ひと)を思いやるボランティアがなく、いつも自分の感情ばかりをおしつける。そして、自分を高く見せる。それ自体が無様なのだ、と、あとから気づいても同じだというのに。こちらの人々は、格好つけじゃなく、最低限のプライドは保っている。それが、あらゆるけじめをつけている。確かにあちらの人々と、こちらの人々とは違うのだ。


「精神。」

 自分で自分を否定する精神の弱さ…。そう、精神は弱い、と言える。しかし、人間の心理は、ひたすら思惑の裏だ。つまり、その精神の弱さは、勇気なのだ。おかしなことだ。


「シャドウ。」

 死体にまでその影はある。..

影は何をしても、死なない。

太陽がつくる影は、大規模だ。

ヒトがしかけたライトの影は、小規模だ。

だが、影にかわりはない。つまり、同じだ。

   影とは?…

ライトは、人の目が紙のウラにあって、

そこから、つくり出した影をのぞける。(絵画欠落。)


何か、法則性を

見つけるのだ。

自然現象とは

      法則。


「1/11(土).」

 今日、散髪へ行った。髪を染めてくれ、と頼んだがいっこうに染まらないように見え、少し嫌になる。父さんは昼間、あのテレビ番組をキラった。「面白くない」と。


「ピアノ。」

 彼はピアノが欲しい、と願っていた。当日、金が手に入ったので、ピアノを買った。そして、下手なりに、ピアノを弾いていた。彼は、ベートーベンが好きで、その孤独に合わせて曲をイメージしていた。だが、やはり下手でいいかげんにあいそうが尽き、ピアノを弾くのをやめた。そのがくふは、まだ新しく、次のページには知らない曲がのっていた。彼は気が遠くなるのを感じ、ピアノを眺めていた。そして彼は、想像していた。“今度ピアノを弾こう”と思うのはいつだろう、と。

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「LIAR.」~10代から20代に書いた詩 天川裕司 @tenkawayuji

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