第6話 この森を抜けた先

この森を抜けるための探索の途中で、一本の大木を見つけた。

 とても太く、枝葉もしっかりとついており、そして何よりこの近くにあるどの木よりも背が高い。 こういう、いわゆる特別な存在というのはどこにでも一つ二つはいるものなのだろうか。

 ロボはその木に手足をかけ、登りだす。

 自身の腕よりも太い木の枝に体重を預け、凹凸の激しい木の皮に足の爪をひっかけ、上へ上へと進んでいった。


 「どうした?」


 下の方から、エルジェベドの声が聞こえる。


 「この森は相当広いからな。 こうやって――高いところから見渡して、どっちに行けばいいか確認しようと思って」

 「そうか。 じゃあ私は下の方で待ってるぞ」


 ほどなくして、ロボは木のてっぺんまでたどり着いた。

 葉の上にのって少し屈み、大木の先端を片手でしっかりと掴んで体を支え、この森全体を見渡す。 そこには彼の知るよりもずっと広大で一様な緑が広がっていた。


 「どうだ? 何か分かったか?」


 また、下の方から声が聞こえてきた。 彼女のものだが、大量の枝葉に遮られているために音がこもって聞き取り辛い。


 「まだ何も分かんねぇ! いまどっちに行けばこの森を出られるか確かめてるところだ!」


 自然と、彼の声が大きくなる。 

 この森を囲う山々が彼の声を反響させ、奇妙な音となって彼の耳に入ってきた。 あまり時間をかけるのもよくない。

 ロボはじっと目を凝らし、この森を抜け出す道を探した。

 何もないと言っても過言でないだだっ広い森、そこに流れる一筋の川――あの赤い線はもう見えなかったが——、そして、ここら一体を檻のように取り囲む山。 はるか遠くに位置するためか、それらは薄く水色がかって見えた。


 「ん、あそこに見えるのは——」


 その山のうちの一つ、他と比べてそこまでこれといった特徴のないものなのだが、ロボはそれが気になった。

 その山の頂上あたりには、何か――灰色の石造りのようなものが乗っかっている。 その建物はどうやら上の方がすでに崩れさっているようだが、おそらく以前は大きな城として活躍していたのだろう。 それほどの風格が感じられた。


 「そういえば、エルが言ってたな」


 家を爆破され、逃げてきた――彼女に初めて会った時だっただろうか、確か彼女はそのようなことを言っていたような気がする。

 確かに見ようによってはあの石造りの建物は、誰かによって破壊されたとも見ることができる。 しかし、彼女が以前あの城に?

 ……今そんなことを考えても仕方がない、とロボは思いなおし、再び森を抜け出す道を探す。

 すると、ちょうどその城の反対側――そこからぐるっと、180度視点を回転させたところに、偶然山のない部分を見つけることができた。 あそこからなら、わざわざ山を越えなくともこの森を出ることができる。

 それと同時に、彼は遠い昔の記憶――かつて人間たちに襲われ、他の獣人らと共にこの森へ逃げてきたことを思い出した。 その時通った道が、あの山と山の切れ目なのだろう。

 辛い記憶がいくつか蘇るが、仕方のないことだ。 とりあえず、道は見つかったのだ。

 そのことを報告するためにロボが木から降りると、そこには——地面にうつぶせになって倒れているエルジェベドの姿があった。

 血などは流れておらず、また彼女のポーズからしても恐らく自発的に寝そべっているのだろう。 そんな彼女に向かって、ロボは若干あきれながら声をかける。


 「おい、行き先が分かったぞ。 ってか何を——」

 「しっ、静かに」


 ふざけた様子のない、真剣な声での制止。 ロボは思わずその声に従い、音を立てずに身をかがめた。

 すると、彼女がなぜこのような行動をとっているのか、その原因に気付くことができた。

 ざわざわ、かさかさ、と近くから音が聞こえてくる。 背の高い草や葉のなる木の枝をかき分け嗅ぎ分けるような、そんな音。 その音はあっちへ行ったりこっちへ着たりとこの近くをゆっくり駆け回り、少しづつだがこの場所へと近づいてきているのが分かった。

 この音は、ロボにとってはとても聞きなじみのある音だ。 かつてあの村にいたころに散々聞いた、獣が獲物を探し求めて歩き回っているときの音に違いない。


 「……ロボ」

 「分かった」


 短く言葉を交わし、二人は少し体を寄せ合って息をひそめ、獣がこの場に姿を現すのをじっと待った。


 突然、周囲に響く音が大きくなる。 

 向こうもこちらの存在に気が付いたのだろうか? その音はただ大きくなっているのではなく、発生源となるものがこちらに近づいてきていることも分かった。

 そしてその草木をかき分ける音は木の枝を豪快にへし折る音へと変貌し、その音量も最高潮に達した時、一つの巨大な影がこの場に飛び出してきた。

 猪に似た、四足の獣。 全身にはどこでつけてきたのかも分からない無数の傷を負っている。

 その獣はこちらを見るや否や大きく鳴き声を上げ、まっすぐ狙いを定めて突進を仕掛けてきた。

 大岩すら粉砕しかねない迫力――その獣のすさまじい勢いの突撃を、なんとロボは真正面から受け止める。 そして、その勢いのまま獣の首をへし折った。

 一瞬の出来事だった。 ごきっという異音を響かせたのち、獣は全身の支えとなる糸が切れたように、地面に崩れ落ちた。


 「おお、お見事。 ロボの狩りを見たのは、これが初めてだな」

 「ほんとは武器とか使って殺すんだけどな……まあ、でっかい肉を手に入れたということで」


 ロボは自分の仕留めた獲物を見ながら、満足そうにそう言う。


 「じゃあ、一度このあたりで休憩でもするか?」


 気が付けば、あの村を出てからこの森を抜け出すためにもう数日は費やしている。 そしてその間休息をとった期間は、彼女らの脳内には存在しない。

 さすがにこのままではいつか体を壊してしまう。 そう考えた二人は一度この場で足を止め、疲れを癒すことにした。


 近くにあるそれなりの大きさをした木の枝や、気にぶら下がっている丈夫なツタ、オールのように幅の広い葉など。 ロボはそれらを集めると手際よく組み合わせ、少し小さめではあるがしっかりとしたつくりの小屋を建てた。

 一方エルジェベドは、小さな小枝を集めて焚火を起こし、先ほどロボが狩ってきた獣の血抜き――と称した食事を終えると皮を剥いで肉を切り分け、今日の食事の調理にかかった。 剥いだ皮は毛を抜いて近くに干しておけば、丈夫なマントの代わりになる。

 あたりも暗くなってきて空には一番星のようなものが見え始めたころ、日足はそれぞれの作業を終え、小さな炎を挟んで向かい合った。


 「それで、この森から出る道は見つかったのか?」

 「ああ、それならちゃんと。 とはいっても方向が分かったぐらいだがな……」

 「十分だ。 ほら、そろそろ焼けてきたぞ」


 枝に突き刺した肉をときおり返しながら、程よい色になってきたものをエルジェベドはロボに次々手渡していく。


 「お、ありがと。 エルは食わないのか?」

 「私は、食事ならさっき終えたからな」

 「そうか」

 「それから、お前にいくつか言っておきたいことがある! とても大切なことだ……」

 「どうしたどうした、急に」


 突然のテンションの変貌に、ロボは少し困惑する。

 エルジェベドはそんな様子も気にせず、真剣な顔つきを崩さずにロボに向かって話し出した。


 「この森を抜ければ、私たちはきっと人間らの多く住む場所へ訪れるという経験を何度かするようになるだろう。 その時に気をつけておかねばならんことを、いくつかお前に教える」

 「なるほど、そういうことね」

 「まず一つ目に、こういった――形のエンブレムをかかげている人間や場所には近づくな」


 エルジェベドは近くに落ちていた木の棒で地面に絵を描きながら説明する。

 それはまるで五芒星から天使の羽が生えたような、変わった見た目をしたエンブレムだった。


 「そこが特に危険だということか?」

 「ああ、このエンブレムは『聖エルフ教会』と呼ばれる集団のシンボルでな――そいつらは特に、私らのような吸血鬼や獣人を敵視している」

 「なるほど、そこに近づいたら、そいつらはこっちを殺しに来る、と」

 「そういうわけだな。 二つ目に、白黒のスーツを身にまとった人間には気をつけろ」


 白黒のスーツ――ロボの脳内に、数日前の記憶がよみがえった。

 そう言えば確か、あの時自分たちの村を襲ってきたあの大男もそんな感じの服を着ていたような――ぼんやりとだが、つらい記憶が再び頭をよぎる。


 「——多分、今お前が考えている通りだ。 そいつらは自らを「クルセイダー」と名乗り、さっき言った聖エルフ教会と強いつながりを持っていて吸血鬼狩りを専門に獣人の討伐も積極的に行っている」

 「それは、まずいな……あの時のアイツみたいなのがまた来たら、正正直どうすればいいか……」

 「逃げるしかない、と考えて構わない。 下手に争わない方がいい」


 ほんのわずかな間、この場に静寂が訪れる。

 焚火の枝が軽くはじける音が、やけに耳に残った。


 「そして、これが最後になるのだが——」


 突然、彼女の声色が変わる。

 真剣ではっきりとした声から、柔らかで優しさを感じられる声へ。


 「私を頼ってくれ」

 「——は?」


 予想外の言葉。 ロボは思わす変な声を上げてしまった。


 「お前は今も、あの村のリーダーとして行動してくれているのだろう? 皆のことを忘れず、ずっと私のことを守ろうとしてくれている」

 「それは……そうだ。 お前のことは、今でも村の大切な仲間だって、思ってる」

 「でも、私だってお前に傷ついてほしくないし、お前のためになりたい。 それに、経験や知識なら、お前の何倍も豊富だ。 なんせ生きてきた時間が違うのだから」

 「そう言われると、うぅん……そっか」

 「だから、自分一人でなんでもしようとは絶対しないでくれ。 私がついてるってことを忘れないでくれ」


 そのまっすぐな頼みに、ロボは何も言わず小さく頷いて答えた。

 エルジェベドも、その様子を見て満足したのか、小さくため息をつく。


 「——あ、もう今焼いてる分もなくなったか」

 「俺は十分腹いっぱいになったし、残りはとっておいて――寝るか」

 「そうだな」


 実際に入ってみると、小屋の中は思ったよりも狭かった。

 二人が肩を限界まで寄せあって、なんとかその中で横になることができるぐらいのサイズ感。 もっと大きな小屋を建てるだけの材料やスペースは、残念ながらこの場にはなかったのだ。


 「ーー狭いな」

 「しょうがないだろ。 今日はこれで我慢するしかない」

 「そうだな......」


 ロボの顔を見つめつつも、じりじりと相手の体に擦り寄るエルジェベド。 一方のロボは彼女から目をそらし、少しでも間隔を空けようと必死に身をよじっていた。


 「......なぜ逃げる」

 「逃げてるわけじゃない。 そんなに近づかれても困るだけだ」

 「別に、お前が私の上に乗ればそのぶんスペースも広がるぞ」

 「話を聞け。 あと誰がお前の上に乗るか」

 「お前が、私の上に......のしかかってきて......」

 「変な言い方するな!」

 「お前が求めるなら、私はいつでもどこでもかまわん。 抵抗もしない」

 「求めるか、このバカ!」


 そうした掛け合いの声も、次第に小さくなっていく。

 きっと今までの分の疲れがようやく現れたのか、二人とも眠りについたのだろう。


 思ったよりも早く夜が明けた。

 二人はほぼ同時刻に目を覚ますと、朝の挨拶もせずに小屋や焚火の片づけを済ませ、この場を去る。

 勿論、干し肉と化した獣肉の余りや木につるして干していた皮のマントも忘れずに。


 昨日ロボが見つけてくれたこの森の出口を目指し、二人はひたすらに歩き続ける。

 時にはまたあの日と同じように休み、また時には再度ロボが木に登って道を確かめ、疲れを紛らわせるようにたまの会話などもはさみつつ、一刻も早く森を抜けることを目指す。


 「——よっと」

 「どうだった?」

 「こっちで間違いない。 もう少しで抜けられそうだ」


 もし残りも休みなく歩くのなら、半日もかからないだろう――木の上からの確認を終えたロボの予想を信じ、残り僅かの道を今日も進んでいく。


 「今日の話題。 ロボのやりたいことについて」

 「俺のやりたいこと?」

 「ああ。 私を守る以外のことで頼む」

 「そうだな……じゃあ、人間たちに復讐する、で」


 まさか彼の口から出るとは思わなかった、復讐というなかなかに過激て物騒な言葉。 それを聞いて、エルジェベドは少し驚いた。


 「——本気か?」

 「本気だ。 でもやみくもに人間を襲うわけじゃない、そんなことしたらあいつらと同じになるからな……」

 「狙う相手はクルセイダーのみ、ということか。 まあ……お前がどうしてもやりたいのなら、止めはせん」

 「俺のやりたいことのために、エルを巻き込んでしまうかもしれないが」

 「構わんさ。 面倒なことは好きではないのだが、手助けぐらいならしてやろう」


 そうこう言っている間に、はるか前方から小さな光がさしているのが見えるようになった。 恐らくあそこが、この森の出口だ。

 まだそれなりに距離はあるが、そんなことは問題ではない。 二人の足は自然と速くなる。 多少木の根や石につまずいたところで、その歩が止まることもない。

 そして——


 目の前の光が、一気に広くなった。

 長い時を経て、ようやく森の外へ出たのだ。

 視界には地平線まで広がる草原が、さわさわと豊かな風に揺られていた。

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