第15話 ジェムマーケット
宿の手配をデュモン卿にお願いしたので、俺はせめて馬車の手配をさせてもらった。ユング家から王立アカデミーの教授用ドミトリーへ廻ってもらい、卿とジェイドを乗せた。
今日のジェイドは、女の子だった。中身は同じとわかっているのに、その姿にやはりドギマギする。薄茶の綿のスカートに襟に刺繍の入ったブラウス、編み込みのベストと、商家のお嬢さん風のいで立ちだ。
「今回は、売り子もやってもらわねばならんのでな」
卿は自身のコレクションをマーケットに出展するらしい。そちらの荷物は事前に保管場所へ送ってあるようだ。確かに、むさ苦しい男が売るより、可愛い女の子が呼び込んだ方がいいに決まってる。
秋晴れの中、日の出と共に出発し、着いた頃には夜になっていた。
湿気が混じった風の中に僅かに潮の香りがする。宿は中堅クラスらしく、対応も無駄がなくテキパキしている。
このジェムマーケットの間はどこの宿屋も満杯になるらしく、こんないい宿が取れたのは、デュモン卿のお蔭だろう。卿たちは二間続きの広めの部屋、俺は下の階の一人用の部屋だ。さすがに風呂はないので、体を拭いて着替える。食事は礼を失しない程度であれば、普段着にジャケットでも良さそうだ。
「お食事のお支度ができました。ホールへどうぞ」
お呼びがかかり、ジャケットを羽織ってホールへ降りて行く。案内された席にはもう、卿とジェイドが腰掛けていた。
「良い宿を取っていただきまして、有難うございます」
「馴染みの宿なのでな、融通をしてもらった」
卿にワインを勧められて頂きながら、明日からのジェムマーケットにワクワクする。ジェイドは炭酸水を飲んでいるようだ。
「明日はどのあたりで店を開くんですか?」
と聞くと、『知り合いの店の一角を貸してもらえることになっている』のだそうだ。
食事をしながら、父上が北方高地に遠征に行っていること、そして『通信石』のお陰で、その足取りを追えることなど話した。
「さっきも、馬車の中で通信してたよね。すごいね!」
ジェイドに褒められると、手放しで嬉しくなってしまう。
「馬車の中では多少、聞き取りづらいところもありましたが、大丈夫のようです」
「オリヴィン殿は、それを今後どうするつもりかな?」
卿が意味深なことを聞いて来る。
「デュモン殿、俺のことはもうオリヴィンと呼んでください」
「では、オリヴィン、『通信石』はこれから世に広めて行くつもりかな?」
「はい、俺は多くの人々が便利で暮らしやすくなる為に、それを使って欲しいと思っています」
そう宣言してしまって、俺はちょっとだけ後悔した。商売上、その秘密を独り占めにして、限られた人だけに高額で売れば、かなりの収益が期待できるだろう。そうすれば、一代限りの男爵家であるユング家も、経済的に安泰なのではないだろうか……。でも、そんな考えは、俺を見つめるジェイドのキラキラした目で、吹き飛んでしまった。
翌朝、ワクワクして早く目が覚めてしまい、早めにホールに降りて行くが、考えることは皆同じらしく、早くから店の設営をする商人や、各国の買付け人でごった返していた。ジェイドと卿はもう朝ごはんを食べていた。
ジェイドは昨日と変わって髪を後ろにポニーテールに結え、紺色の長いワンピースドレスに白いエプロンを着け、『美しい売り子さん』になっていた。
卿の出展場所を宿でもらったマーケット地図に印を付けてもらって、後でお邪魔することにする。
ホールが人で一杯なので、俺は小銭を持って外に出た。
朝早いにもかかわらず、出展の準備に急ぐ人や、その人たち目当ての屋台などがちらほら出ている。
俺は何か油で揚げた香ばしい匂いに誘われて、一軒の屋台に吸い寄せられて行く。気の良さそうなおばさんが、パンを揚げている。
「いや〜、いい匂いだね」
「お客さん、今揚げたてだよ!」
「一個おくれ、いくらだい?」
「今日初めてのお客さんだ、銅貨1枚に負けとくよ!」
「それはありがとう!」
「お兄ちゃんは、どっかの店の手伝いかい?」
「そう見える?まあ、そんなもんだよ」
「しっかりお稼ぎよ!」
俺は揚げパンを
街並みが切れて、青い海が目の前に広がる。海鳥が鳴いて波がキラキラ反射する。俺は思いっきり腕を伸ばして背伸びした。海は気持ちがいい!
桟橋には大きな船が何隻も停泊している。このジェムマーケットに参加するため、どこか遠くから来たのだろう。
今日はどんな面白い石に出会えるのだろう?、そう思うと嬉しくて元気が湧く。
俺は宿に帰って着替えることにした。途中、近道しようと思って路地に入ると、道端に倒れている人がいる。浮浪者を装って旅人を襲う輩もいると聞くので、用心しながら近づく。周りに誰も居ないようなので、そっと声を掛けてみる。
「あのー、大丈夫ですか?」
ピクリと動いた。そっと顔を覗き込むと、片目が真っ白な老婆だった。助け起こして座らせると、物乞いのようだった。
「どうか、お恵みを…」
「これで何か温かいものでも食べてください」
老婆は何度も掠れた声で『ありがとうございます』と言って頭を下げた。
困っている人を見ると、どうも見捨てられない。
宿に帰ると、ホールの中は皆出かけた後で、閑散としていた。改めて腹ごしらえをして、着替えに部屋に戻る。宿の洗濯係が早々と汚れ物を集めて回っている。
服のチョイスが
あまり上等の服を着込んで金持ちに見えてもいいことはない。スリに狙われるし、値段も吹っ掛けられる。
かと言って、先ほどのような服装ではそれこそ、どこかの使用人と思われて、相手にもされない。地味ながら良い生地のトラウザースに絹のシャツ、少し上等なジャケットで襟元に宝石をあしらったブローチ、派手すぎない金の指輪、こんな感じだろうか。
ブローチはやりすぎかなぁ?と思い外す。
宿の金庫に預けていた金貨の入った革袋を身につけ、護身用に短剣も持ち、俺はようやく出かけた。
メイン会場となる街の広場は、既に人でごった返していた。沢山の露天が区画ごとに整然と並び、呼び込みの声が賑やかだ。石畳に厚い絨毯を敷いて、大きなアンモナイトや恐竜の化石を沢山並べているところや、人が入れるほどの大きさの紫水晶の晶洞などもあり、珍しいものでいっぱいだ。
どこから来たのだろうか、苺のような赤い石にミルク色の縞が入った石が、様々な動物の彫刻や、盃、入れ物などに加工されて、所狭しと並べられている。その隣では、砂漠に落ちた隕石の欠片や、薔薇のような形に結晶した石など、どんなに見ていても飽きそうにない。
その中の一角に白い動物の皮を
『見たい!』と思い、男に声をかけて入らせてもらう。
そこには様々な原石が置かれていた。
まさにジェイドにもらった “赤水晶”の大きな結晶もあった。水晶の中に金色、銀色、黒、紫、緑の鉱物が針のように入り込んだ物や、見る方向で虹が見える物、うっすらとした緑色なのに、陽に翳すと赤く見える物、見るのも初めてな鉱物でいっぱいだった。俺の左目が石を見る度に金色に光ってしまうので、その店の店主を驚かせてしまったようだ。
「初めてお見受けいたしました。素晴らしい魔眼をお持ちなのですね!」
「あ、はい。あまりにも素晴らしい石ばかりなので
「世の中に、そのような目をお持ちの方がいると、話では聞いたことがあったのですが、お会いできるとは光栄です」
「こちらこそ。こんなに素晴らしい石を見せていただいて、嬉しいです」
俺は手付金をいくらか支払って、取り置きしてもらうことにした。
石は、出会った時が買い時!なのだ。この機会を逃すともう二度と手に入らない、ということもよくある。
いくつかの店を見て回ってから、卿とジェイドのいる店に向かうことにした。
その店は広場から放射状に伸びたメインストリートから、少し入った場所にあった。ジェムマーケットの期間中は、空いた民家や期限貸しの店舗を一時的に貸し出して、店をオープンする者もいる。そんな中の一軒のようだ。
扉は開いていて、ジェイドが店の前で呼び込みをしている。そのせいか、店は賑わっているようだ。
「ジェイド!」
俺が呼びかけると、ジェイドが嬉しそうに笑った。
「オリィ!」
「遅くなってごめん。でもお客さんは入っているみたいだね」
「
「そうか〜。なら、俺も見せてもらおう!」
中に入ると、一階は大きな石の展示だった。一抱えほどの大きさの黒水晶の塊や、化石木の輪切り、虫が入った琥珀など、俺の左目が反応しそうなものが沢山置かれている。
奥の小部屋は、カットされ研磨された宝石の部屋だった。とんでもない大きさの6条の光の分散が見えるルビー、光源によって色が違って見える宝石など、コレクターが喜びそうな綺麗なものが多い。
「これはオリヴィン殿、ごきげんよう。ようこそいらっしゃいました」
そう声をかけてきたのはタルク国の商人ポラス殿だった。
「ごきげんよう、ポラス殿。今日は盛況ですね」
「初日ですから、まあまあ、と言ったところですかな。まあ、ゆっくりとご覧になってくだされ」
奥の木箱の展示ケースの中に、変わったものを見つけた。
上が丸く下が尖った形の石のビーズだ。とても古そうなので、卿の出展品か?じっと見ていると、デュモン卿が近づいてきて説明してくれた。
東の大陸の向こうのさらに東の海、そこに浮かぶ島国のものだそうだ。つまり、ジェイドの母君の国?ということだろうか。
その国で採れる “
ふと、『触ったら何か見えるかもしれない…』と思った。
俺は卿に、それを手に取って触ってもいいかと
教授が俺の手に『まがたま』を載せた。
* * *
俺は、海の中に居た。
温かい透明な水が俺を包んで、俺は深く深く沈んでいく。
遠くで誰かが俺を呼んでいる。誰だろう、女の人の声?
俺を呼ぶ声?いや、『ひ・す・い』と呼んでいる…
真っ黒な長い髪、黒い瞳。ジェイド?似ているけど、違う…
* * *
「オリィ!」
ジェイドが覗き込んでいた。俺、倒れたのか?周りに卿とポラス殿が心配そうに覗き込んでいる。
「何か見えたのか?」
卿が訊いた。
「……黒い髪の女の人が…。ジェイドにそっくりだった……」
卿の顔色が変わった。
代わりに、ジェイドの方を振り向いて言った。
「…腹でも減って倒れたんじゃないか。ジェイド、こいつを飯に連れて行ってくれ」
俺は、もはや『こいつ』になりました。いいですけどね…
床に倒れていた俺は、体を起こして立ち上がった。どこも痛くない、ということは卿が支えてくれたのだろう。
「大丈夫?」
ジェイドが俺を支えるように、寄り添ってくれる。
ふわっといい匂いがする。何か香水のようなものを着けているのだろうか。
「ジェイド、もう大丈夫だから」
いつまでも支えてもらっているのは…恥ずかしい。触れてはいたいが、ドキドキしてしまって困ってしまう。
「オリィは、何食べたい?」
「俺はなんでも…。ジェイドが好きなもので」
ジェイドはにっこりすると、
「じゃあ、海鮮パエリアで!」
と言って、俺を案内してゆく。きっとこの街には俺より詳しいんだろうな。俺は学校があったので、なかなかここには来れなかったから。
俺たちは海辺の日除けのあるレストランに入り、テラス席に掛けた。
「びっくりしたよ!オリィが突然倒れたって言うから。具合でも悪かったの?」
ジェイドが心配そうに聞く。ジェイドは俺が “まがたま” を握って倒れたことを知らないのかもしれない。起き上がった時、もう手には何も持っていなかった。
聞いてもいいのだろうか?
『ジェイドはあの “まがたま” のこと、何か知ってるの?』
そう聞いてみたかった。でも、やめた。
明るい日差しの中で、目の前のジェイドが
店自慢の美味い海鮮パエリアを一緒に食べた。デザートに冷たく冷やした葡萄と炭酸水を頼んで、楽しい時間を過ごした。
いつも工房で一緒にお茶を飲む時と同じだ。ただその姿がほんの少し違っているだけで。
パエリアを持ち帰り用に包んでもらって、卿とポラス殿の待つ店に戻る。
店は更にお客が増えていて、対応にあたふたしていた卿が、待ってましたとばかりにジェイドに助けを求めて来た。
俺は、他の店も覗いてみます、と言ってその場を後にした。
その後も、面白そうな店を何軒も巡り、商品価値の高そうな宝石や、俺の目が『これ!』と思うものをいくつか仕入れて、最後に手付金を支払ってあった、白いテントの店に戻った。そこで、残りを支払い、持てるだけ持って、持ちきれない分は宿に届けてもらうよう頼んだ。
もう直ぐ日が沈む。宿でゆっくりしながら父上と “ 通信”したい。
そう思って、また今朝と同じ近道をする。すると、今朝方の老婆がそこに居た。今度は黙って通り過ぎようかと思ったが、お人好しな自分がしゃしゃり出てしまう。
「おばあさん、また会ったね。ご飯は食べられたかい?」
するといきなり、老婆は俺の手をガシッと掴んで、こんなことを言った。
「お兄さんは、変わった目をお持ちだねえ。この目なら役に立つかもしれないねえ」
そう言って、何やら懐から取り出したものを俺の手に握らせた。
それは、石だった。その石を握った途端、俺の左目にある情景が浮かんだ。
若い男と女が生き別れ、そしてまた歳をとった二人が何年後かに出会う。悲しくて、嬉しい、そんな感情が入り混じった映像だった。
「これは運命の人を引き寄せる石だよ。これはあんたにやる。あたしにはもう必要ないからねぇ」
そう言って、見えない目に涙を浮かべた。俺は、少し怖くなったが、また懐から銀貨を出して、おばあさんに握らせた。
「おばあさんも体を大切に。ありがとう」
俺はそそくさと立ち去った。今日はいろんなものを見るなぁ。
宿に帰ると、ちょうど日が沈むところだった。俺は上着を脱いでベッドに腰掛けた。
その時、父上から『通信』があった。俺はリングをグルッと回して、こちらからも『通信』できるようにした。
「オリィ、そこに居るかい?」
「はい、父上。今バロウの “ジェムマーケット” に来ています」
「そうかい。…良く聞いておくれ。実は少しまずい状況になってしまってね。しばらく帰れないかもしれない。また。連絡するが、毎日はできないかもしれないね。アレクやマイカにも言っておいておくれ、心配しないで…」
「父上?それはどうゆうことですか?……父上!」
それきり『通信』は途絶えた。
どうゆう事だろうか…俺の中に嫌な予感が膨らみ始めた。
『心配しないで』というのは、心配な状況という前提だろう?
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